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重戦機エルガイムの思い出 Feed

2015年7月 7日 (火)

重戦機エルガイムの思い出その7〜戦地で電子マネー?

WAONが一時的に使えなくなったことで思い出したのが100万ギーンの手形のこと。
マッタク、アニメファンってやつはホントにビョーキだね。
こんなトラブルの時でも考えるのはアニメのことだ。
重戦機エルガイムの世界は完全に電子マネーで現金というものは存在しない。
ニュータイプ誌の別冊にそう書いてあったからそうなんだろう。
冒頭でも100万ギーンという大金のカードの争奪戦が話を動かす原動力となっていたが、現金だったら嵩張りすぎてああいうコミカルなやりとりは行えなかっただろう。
俺はそれを何の不思議もなく受け止めていた。
だが…ペンタゴナワールドは戦争中である。
どんな高度なシステムでもハードを物理的に破壊されたらおしまいなのに、戦地で電子マネーオンリーなどあり得るのだろうか?
今ならペンタゴナの金融システムはクラウドなのだという設定をすることも可能だろう。
個々の端末がいくら破壊されようと情報が情報としてのみ存在するゆえ関係ないクラウドなら戦地での電子マネーとしてより説得力ある説明に近づくだろう。
しかしエルガイム放映当時にクラウドコンピューティングなんて考え方はなかっただろうから、物理的な破壊が無意味であることに他の理由が必要だ。
恐らくは無数のバイパスと無数の電脳による無数の分散処理により無数のデータクローンが絶えず作られている、といった当たりが落としどころだろう。
では、その管理者は?
もしかしてアマンダラ・カマンダラが絶大な力を持っていたのは死の商人云々よりも金融システムの管理者だったからなのかも知れない。
俺が勝手にそう思っただけだが。
ただ、「完全な」電子マネーは、一度も為政者による使用停止が起きなかったからこそ成立する。
一度でも起きていたら現金を使う動きが必ずあった筈で、それでは完全ではない。
それをなし得るのは己を神と任ずる傲慢な人間のみだろう。
まさにアマンダラのことではないか。

2011年11月 9日 (水)

重戦機エルガイムの思い出その6〜ダバ・マイロードvs少女隊

エルガイムの思い出は今回でひとまずおしまい。
なかなか楽しかったので、そのうち気が向いたら、別のロボットアニメで書いてみたいと思います。
さて、今回のネタは少女隊です。
シリアスな貴種流離譚であるエルガイムに、ある時、何を考えたのか少女隊という敵があらわれた。
最もA級に近いB級ヘビーメタル・バル=ブドのバリエーションタイプ、バルブド・ガイゼスをピンクに塗って部隊マークのハートを肩にあしらってダバのmkIIの前に立ち塞がったのだ。
俺は特にそうは思わなかったのだが、美少女の集団ということになっており、何とも場違いな連中であった。
だが、実際の出番を見ると、そう場違いな結果ともならなかった。
特にキャラとしての出番もなく、単に敵部隊の1つとして現れ、たった1話で全滅してしまったからだ。
その戦闘は一方的で、ダバが撃っては倒され撃っては倒されで、コンスコン隊のリックドムと同様の何の良いところもないやられっぷり。
カスタムタイプまで与えられている部隊とはとても思えない体たらくであった。
と、これだけなら、ダバの駆るエルガイムmkIIはそれ以上に強かったのだ、で済むのだが、そうはいかない。
と言うのは、普段のエルガイムではそうそう一方的な戦闘は行っていない。
量産機であるグライアやアローンでも、そうバッタバッタと倒されている印象はないのだ。
永野護さんは雑誌のインタビューで、このようなことを言っている。
実際の戦闘では敵の攻撃を食らっても全てが破壊されると言うことはあまりなくて、壊れたところを修理してまた出撃したりする。
エルガイムにおいても、そのような演出を心がけています、と。
その考えあってか、量産機が次々とやられるシーンがあまりないエルガイム本編。
これをそのまま対比すると、まるで少女隊が一般の部隊より弱いかのように思えてしまうのだった。
もちろん、少女隊などという巫山戯た部隊のことなどどうでもいいのだが、エリート部隊が一般兵よりこうもあからさまに弱く見えることなどロボットアニメにおいてなかなかあることではなく、この一件は強烈な印象となって俺の中に残ったのである。
このチクリと刺さった棘が抜けるのは、十数年後に細野不二彦せんせいのボクシング漫画「太郎」を読んでいる時のことになる。
ラスボスとなる世界チャンピオンのイワンは、ロッキー小林という実力不足な挑戦者と戦っていた。
あまり早く倒すとビジネス上、問題があるから、なるべく試合を引き延ばせとマネージャーに厳命されるイワン。
だが、何ラウンド目かで彼はその命令を振り切り、KO予告を出した挙句、速攻でKOしてしまう。
ロッキー小林が弱すぎて緊張感が保ちきれず、このままではラッキーパンチでももらいかねないというのが、その理由だった。
これを読んだ時、そうかと思った。
逆だ!
ダバは一般兵を相手にした時はなかなか本気になれない。
相手が弱すぎるとリズムを崩してしまうのだ。
スポーツで下位に取りこぼすチームのように。
それが、ある程度以上の強さの敵だとやっとエンジンがかかってくる。
少女隊は辛うじてダバを暖機運転から通常運転に引き込むほどには強いが、そのレベルの中では圧倒的に最下層なので、あのような結果となったのだ。
このように解釈すれば何の矛盾もないということで、俺はやっとスッキリしたのだった。
ロボットものと言えど、単純に戦闘能力の差だけで勝敗が決まるわけではない。
なかなか綺麗にまとまった。
まぁ、少女隊が本当にただの雑魚である可能性も十分にあるがw

2011年11月 7日 (月)

重戦機エルガイムの思い出その5〜レーティングの温度差

エルガイム放映当時はファミコンすら出る前で、ロボットアニメのボードゲームの全盛期だった。
最初は交代でユニットを動かし、そのユニットに描かれた数字どおりに射撃や格闘の結果を判定していたのだが、よりリアルな戦闘をということで登場した詳細な機体データと行動をシートへの記載で管理する「オーラバトラー」「ウィングキャリバー」のダンバイン二部作がエポックメイキングとなり、そのフォーマットを発展させて当時のリアルロボットアニメは軒並みゲーム化された。
これらのゲームは、単にゲームであるのみならず、アニメ本編を理解するための副読本の役割も果たした。
テレビ画面での活躍を観ながら、これは移動力や攻撃力や攻撃に命中率はこのくらいだろう、今、すんでのところでかわしたのは、回避のサイコロで11か12を出したのであろう、などとゲームの戦闘システムに置き換えて理解していた。
今なら、スパロボが果たしている役割を、当時はツクダホビーのボードゲームが果たしていたというわけだ。
エルガイムでも3作品が出た。
うち1作はあまり人気のない艦隊戦までサポートした作戦級「スヴェート」で、遊んだことはないので除外させてもらうが、残り2作「ヘビーメタル」「エルガイムmkII」はかなりの人気があった。
特に番組に登場するほとんど全てのヘビーメタルやマシンナリィを収録した「エルガイムmkII」は、その発売が待望されていた。
まず番組前半だけを収録したゲームが放映中に出て、全てを収録したバージョンは放映後に出るというのが黄金パターンで、後者は前者で不満だった部分がパーフェクトになるのだから、まだかまだかと待たれるのも当然のことなのだ。
だが、「エルガイムmkII」のボックス内に収納されている各ヘビーメタルの性能表を見た俺は、何だこれはという感想持つに至った。
前半の主人公メカであるエルガイムの性能が、A級ヘビーメタルの中で最下位だったからだ。
もちろん実際のゲームではパイロットユニットと組み合わせることで総合的な戦闘力が決まるからエルガイムが必ずしもヒーロー的な力を発揮できないわけではないが、はっきりと最下位にランク付けされているのには違うだろうと言うしかない。
前作「ヘビーメタル」ではオージェやバッシュよりやや強いくらいだったので、何故こんなことになっているのか脳内に疑問符が溢れる。
その疑問への回答は、ボードゲームにおける「後書き」に当たるデザイナーズノートに書いてあった。
曰く、各ヘビーメタルのスペックは永野護さんの監修を経たものなので正確だとのこと。
さて、俺はこれを読んで「なんだ、ヘビーメタルの生みの親である永野さんが言うのならこれが正しいんだろう」と納得しただろうか?
答えはもちろんNO!
実際にテレビ番組上で大活躍を見せているエルガイムだ。
永野さんが何と言おうと、このようなレーティングはあり得ないと反発した。
とは言え、理論武装できるだけの知識はない。
不満を抱えながらもそれを受け入れるしかなく、その不満の正体に見当がつかないでいた。
だが、その翌年から北斗の拳の連載が始まる。
北斗南斗の拳士たちの活躍を追う中で、シンやレイやファルコなどの例から「作者が読者に思わせたい強さの序列と、実際に読者が感じ取るそれとの間に乖離が出るのは仕方のないことだ」というバトルマンガにおける一つの真理を得、よって作者がどう言おうと実際に描かれた光景こそが真実であるとの結論に至った俺は、やっと「エルガイムmkII」におけるエルガイムのレーティングは誤りであると自信を持って言えるようになったのであった。
現在でも、ロボットアニメにおいて設定と劇中描写が矛盾した時、前者と後者どっちを正しいことにするのか議論が沸騰することがある。
俺は実際に劇中に反映されない設定など、優先順位が低くて当然という考えだが、それはこのエルガイムのレーティング問題によって培われたのである。
しかし、そもそも設定という親の敷いたレールの上を疑問も持たずに走るなどナヨナヨしていて気宇壮大なヒーローに相応しくない女々しさだと言えないだろうか。
ロボットだからマシンだからという言い訳などしてはいけないのである。

2011年11月 5日 (土)

重戦機エルガイムの思い出その4〜パワーランチャーとセイバー

「重戦機エルガイム」の思い出について語る連続エントリーの第4回目。
さて、エルガイムの撃つ鉄砲と言えばパワーランチャーだ。
ゴツくて見るからに威力がありそうだ。
戦闘用ロボットの銃は、手で持つタイプと腕にマウントするタイプがあるが、マウントタイプはポーズやアングルが限定されやすいためか主役メカの武器としては多用されない。
例えば右手から弾き飛ばされた銃を左手で拾って撃ったりできない、西部劇やヤクザ映画で蓄積されたガンアクションの系譜に乗れないわけで、カッコいいアクションのバリエーションが少なくなるのは明らかに不利な点だからだ。
ダグラムのトドメの武器がリニアキャノンになったのもリニアガンでは威力がありそうに見えなかったからだろうし、オーガスが失敗したのも色々と言われているが一番の原因はミサイルガンのアクションがカッコよく決まらなかったからだと思っている。
そんな中にあってエルガイムのパワーランチャーは、思い切り長く大口径にすることでその問題を解決した。
さらにその大きなパワーランチャーが格闘の邪魔にならないようにするためか、格闘用の光剣であるセイバーを腕の内側に持ってきたことが、これまでにないスピーディーな射撃から格闘へのチェンジを可能にしたのだからたまらない。
「リアル」という点では手持ちタイプよりマウントタイプの方が上だ。
パワーランチャーを何としても採用することへの拘りが、これまでにないシルエットの獲得に繋がったとするなら、まさにエルガイムはパワーランチャーの賜物とさえ言えるだろう。
しかし、このことでエルガイムだけでなくほぼ全てのヘビーメタルの武器が似たり寄ったりになってしまったのは弊害だった。
もちろん例外はある。
攻守一体のランダムバインダーを持つオージェや、金属球リバースボマーとトリッキーなラウンドバインダーを備えたアシュラテンプル、ビームの鞭ビームフロッガーを振り回すアトール、ビームを跳ね返すミラーを装備したカルバリィテンプルなどは例外の部類に入る。
だが、これらのヘビーメタルも、今、挙げた特殊装備ばかりでなく通常のパワーランチャーやセイバーを使うことも多かったし、多くのヘビーメタルの武器はあまりデザインの変わらないランチャー及びセイバーばかりだったのは事実。
それが新型が出ても「どこが違うの?」という印象になり、マンネリ感の原因となったのだった。
(ちなみに「新型」という言葉はわざと使わせてもらっている。エルガイムの世界では強い兵器はみな発掘品であり、他のロボットアニメのように「新型」などではないことくらいは知っている。だが、“何故か偶然”物語の進行順に強くなって行くのは事実なのだから、「新型」という用語で語っても何の不都合もないし、その方が適当と思われるのでそうした)
エルガイムの世界を設定した永野護さんはミリタリーマニアだ。
各兵器が共通の大砲や手持ち武器を使っている方がリアルであると考えたのだろう。
放映当時の自分も、確かにその方がリアルだと納得した。
だが、リアルロボットアニメと言えどもキャラクターとしての各ロボットにメリハリがついていること、つまりキャラが立っていることは重要なことだ。
多分、それ故に後番組であるZガンダムではモビルスーツの持っている銃のデザインが「それまでの慣例を踏襲して」バラバラなのだろう。
時々、ロボットアニメを見ていて、各ロボット兵器専用のバラバラのデザインのライフルに疑問を持つこともないではない。
しかし、そんな時はエルガイムのことが頭に浮かぶ。
モビルスーツがみんな同じデザインのライフルを装備したりしたらエルガイムみたいなことになるんだぞ、と。
多少、リアリティに疑問はあっても、それより重視すべき点があることをエルガイムのパワーランチャーとセイバーは反面教師として教えてくれたのである。

2011年11月 3日 (木)

重戦機エルガイムの思い出その3〜シークレットブーツを履くmkII

エルガイムmkIIの設定画を始めて見た時の衝撃と言ったら。
悪魔のような顔。
スラリと長い足。
立ちポーズのあれ程に格好いいメカはそうはあるまい。
だが、俺は気づいていなかった。
フフフ、気づいてないわ気づいてないわ。
mkIIがシークレットブーツを履いていることに。
最初に気付いたのは模型誌の作例だった。
放映当時のヘビーメタルの作例と言えば何と言ってもこれで有名になったMAXさんで、エルガイムmkIIも大変に格好よかったのだが、様々な写真を見ているうちにオヤ?と思った。
確かに直立姿勢は物凄く格好がいい。
しかし、膝を曲げている写真には違和感があって、あまり格好よくない。
そこでやっと気づいた。
腿と脛の長さがかなり違っていると言うことに。
人間の身体構造と異なるが故に、立てば芍薬であっても、歩く姿は百合の花ではない。
mkIIの格好よさは立ちポーズ限定のものだったのだ。
もちろん、ロボット兵器のプロポーションが人間のそれを模している必要はない。
人間のシルエットを逸脱していても格好よいロボットデザインなどいくらでもある。
だが、動いた時の格好よさは、やはり人のシルエットに準じていた方が、より許容範囲に収まりやすい。
そんなことを考えながら改めて番組を観ると、フロッサーシステムというホバリングがあるから、ほとんど歩かない。
そもそも宇宙か空中にいることが多いし。
この時から俺はロボットアニメにおいて、ロボットが歩くか歩かないかがとても気になるようになってしまったのだ。
後番組であるZガンダムも走って格好いいデザインではなかったせいか走らないし、ゲーム「ガンダムvsZガンダム」でもZ登場モビルスーツはハイザック以外全てがホバリング移動で自分の足で走らない。
その積もり積もった欲求不満があったからこそ、エヴァンゲリオンが走ったり、バーチャロンのテムジンが走り「ながら」戦闘することに興奮した。
とは言え、ロボット兵器のハイディティール化がなければ、ジャンルとして定着することもなかったかも知れない。
そう考えると、エルガイムは、この観点においてもエポックメイキングだったのだと思うのだった。

2011年11月 1日 (火)

重戦機エルガイムの思い出その2〜エルガイムと鍔迫り合い

宇宙空間や空中で2機のロボットが対峙する。
互いに剣を抜いて相手に斬りかかろうとする。
しかし、どちらも相手のボディーに太刀筋を浴びせることはできない。
剣を振り下ろすタイミングもスピードも全く同じなので、ぶつかって火花を散らすだけなのだ。
これでは埒があかぬとばかり、いったん剣を退くもののまた振り下ろす。
だが、結果は同じで、それが延々と繰り返される。
ロボットアニメではよくあるタイプの殺陣だ。
これが始まると俺は、またかと思って白ける。
動画枚数の省略なのは想像が付くが、舞台裏を感じさせるなという気持ちになる。
もちろんエルガイムの専売特許というわけではない。
でも、俺がこのワンパターンな殺陣が無性に気になるようになったのは、エルガイムがキッカケだったのは確かだ。
なんでこんなに戦闘がつまらないんだろうと思いながらエルガイムを観続けるうち、俺はそれに気がついた。
対峙するエルガイムと敵ヘビーメタルの腕だけが動き、他の部分は全くの静止画。
背景の宇宙空間くらいはスクロールや星の瞬きなどしてたかもしれないが、とにかく腕だけアニメーション。
リミテッドアニメという言葉の意味をはっきりと理解したこの種の違和感ある戦闘シーンが、エルガイムのバトルシーンのつまらなさの象徴に思えたのである。
そして何故、このような手抜きをと考え出すと、ヘビーメタルはデザインが複雑でディテールが細かいからアニメーターさんも描くのが大変だからなんだろうなという結論に誰でも達するわけで、ここで考え込んでしまう。
ヘビーメタルの格好いいデザインに快哉を叫んだ自分ではあるが、実際の番組での動きが犠牲になるのでは、本末転倒というものではないか、と。
改めて振り返るとダンバインでもあったし、Zガンダム以降でも頻出する。
何れもデザインの複雑なメカが多いアニメだ。
この認識に立つと、バーチャロンのデザイナーであるワタリさんがVガンダムを評して「動かせるギリギリの線の多さに止めたデザインはいい(うろ覚え)」と言った時に、この人は分かっている!と感動できるし、サーバインvsズワウスに、ああやっちまったなと苦笑することもできるのである。
だが、いつ頃からか、そのようにアニメを冷笑的に観るのにも飽きてきた。
おかしな部分に無理やりそれっぽい解釈を与えるというマニア特有の病癖も鎌首を擡げてきた。
あれは手抜きなどではなく、実際にも劇中世界ではあのような戦闘が行われ、それには誰もが納得する合理的理由があるのではないだろうか。
そんな屁理屈を捏ねたくなってきたのだ。
そこで俺が目を付けたのが、ガンダムの教育型コンピューターの設定だ。
知ってのとおり、ガンダムはアムロの戦闘データでどんどん強くなる。
そしてそのデータは量産機であるGMにも採用された。
モビルスーツはある程度ならオートで動いてくれるのだ。
ちょうど、コマンドを入れただけで波動拳が撃てるように。
ガンダムセンチネルでもそれっぽい話があったが、連邦軍のモビルスーツは共通のOSや操縦プログラムで動いていてもおかしくない。
もし敵味方のモビルスーツが同じプログラムで動いていたとしたら、サーベル戦闘の際に双方で全く同じ動きをしてしまっても不思議じゃないではないか。
そう思うことによって、俺はやっと予定調和的な殺陣を少しは我慢できるようになってきたのである。
現在、そのような殺陣は減ってきた。
エルガイムの頃はメカデザイン複雑化の黎明期だったので特に目立ったのだろう。
ヘビーメタルのトイやプラモを眺めながらも、それを動かすのがいかに大変だったのか、つい想いを馳せてしまうのだった。

2011年10月30日 (日)

重戦機エルガイムの思い出その1〜エルガイム真っ二つ事件

仕舞い込んであったエルガイムのトイをツラツラと眺めているうちに色々と思い浮かぶことがあったので、数回に分けてエルガイムについて書く。
先ずはエルガイムのくびれたセクシーな腰回りについてだ。
事の始まりは、数日前のツィッター上でロボットの関節処理の話が出て、エルガイムの腰についても例示として挙がったことによる。
俺はそれについて思うところがあったのだが、140文字では伝えきれないと思ったので特に絡まず、考えのまとまった今、ここで語ろうというわけだ。
ロボットは鎧のイメージがある。
敵の攻撃を弾く金属の鎧だ。
だが、鎧を着ていると動き難い。
落馬すると、そのまま鎧を脱がされて短剣で刺されて死んでしまうことも多かったと聞く。
靴底もゴムのない時代だし、ドルアーガの塔のブルーやブラックのナイトを嚆矢とする走って襲いかかって来る騎士はファンタジーの産物と言っていい。
その騎士の鎧の機械化バージョンたる巨大戦闘ロボットが、そのままのデザインでは動きにくくなるのも自明の理ということになる。
もちろん、そんなことは無視してフォルムの格好良さのみを重視するのも多いにありだ。
マジンガーも鉄人も、そうやって作られてきた。
だが、ロボットアニメ好きには、例え架空の存在であってもリアリティがほしいという人も多く、その欲求がいかにフォルムを崩さず関節の稼動範囲を広くするかの試行錯誤の歴史を紡いできた。
エルガイムのデザインは、その歴史の中にあってエポックメイキング的な存在だ。
現在の戦闘用ロボットの関節処理の三要素、
1.ラバーや蛇腹などで柔らかくする。
2.フレームと装甲を独立させ、フレームの動きに合わせて装甲をスライドさせる。
3.さらに発展させ、装甲の動きに合わせてフレームの方を引き出す。
のうち、1と2を両立させてきたからだ。
1は昔からあった考えだ。
それこそ、今は亡きアニメック誌にあった連載コラム「エンサイクロペディア・オブ・パワードスーツ」の頃からだ。
このコラム自体は性格の悪いシロモノだった。
パワードスーツの肘や膝を大きく曲がるようにするためには、それぞれの内側を広範囲の蛇腹にしなければならないと説き、いかにも格好悪そうな蛇腹の切り欠きを持った腕が描かれていた。
こんな格好悪くなるんなら動かなくてもいいやと読者を誘導するような書き方で、お前らアニメのロボットが動かないとかごちゃごちゃ言うなというメッセージをこちらとしては感じ取ってしまった。
しかし、蛇腹が格好悪くならないようにデザインすればいいわけで、それはダグラムのコンバットアーマーにおいて多用されたし、エルガイムにおいてラバーと言う形で昇華した。
蛇腹の野暮ったさを嫌って採用されたであろうラバーは、スタイリッシュさを持った関節保護手段という意味で革命的だった。
まさに、古い葡萄酒を新しい革袋に入れたのである。
対象的にムーバルフレームは全く新しい考えによるものだ。
ロボットだから固そうじゃなきゃ強そうじゃないし、全てが全てラバーというわけにはいかない。
ムーバルフレームによる2の関節処理は強そうな関節であるが可動範囲という点では1ほどではない。
逆にラバーによる1の関節処理は範囲は広いが、いかにも無防備だ。
その両方の特性を適材適所で生かしたからこそ、エルガイムのデザインは非凡なのである。
と、これで終わればめでたしめでたしなのだが、ある日、そんな俺に冷水を浴びせる場面がテレビ本編に登場した。
今回のタイトルになっているエルガイム真っ二つ事件だ。
エルガイムの腰は如何にも無防備だ。
ここに攻撃を受けたらひとたまりもないように見える。
とは言え、全く心配はしていなかった。
あくまでネタとしてそう思っていたのであって、作劇のお約束としてここが狙われることはないと確信していたからだ。
モビルスーツの股間やコンバットアーマーのコクピットは、奇策を得意とするキャラ以外は狙ってはいけない。
何故なら、作品世界の中でロボット兵器が存在する意義を崩してしまう。
気づいていても気づかないふりをするのがファンに求められる節度なのだ。
それと同様にエルガイムの腰を狙ったりしてはいけないはずなのに。
長距離飛行用サポートマシーンであるスピリッツにぶら下がったエルガイムは、腰から真っ二つにされてしまったのだ。
エルガイムのコックピットは首の付け根にあるからパイロットに怪我はない。
乗っていたのも主人公のダバではなく、ヒロイン候補のアムだから、初代主人公メカの面目も(そんなには)傷つかない。
量産機と違って真っ二つにされることと大爆発はイコールじゃない(※)から、機体そのものが失われることもなかった。
(※ツクダのシミュレーション風に言えば、ダメージコントロールポイントが低い)
しかし、あまりにもガッカリし、興ざめする出来事だった。
娯楽作品に求められるのは、現実世界を反映したリアリティよりもむしろ、作品世界を構築するルールを崩さないことだと俺は思っている。
そこをガラッと引っ繰り返されると、所詮は作り話かということになって一気に覚める。
俺はエルガイムはデザインワークは別として、お話としては全く好きじゃないが、それはこの真っ二つ事件のように作品世界のルールを積み上げて行くことを疎かにする姿勢にあったのではないかと思っている。
立体物でエルガイムの腰を見るたびに、俺はそのことを思い出すのであった。