Powered by Six Apart

オコトバではあります(言葉の話題) Feed

2017年11月 7日 (火)

グラフィカルエンドクレジット

ソー/ラグナロク(邦題「マイティソーバトルロイヤル」)はたいへん面白い映画であったが、映画の出来とは無関係の部分で気になる点があった。
さらに言うとこの映画に限った話では無い。
冒頭でこのようなメッセージが出た。
「エンドクレジットの後にも映像があります(虚覚)」
最近はエンドクレジットの後でちょっとしたオチをつける映画も多いから、それをあらかじめ知らせておくことも少なくない。
なかなかいい配慮だと思う。
映画が終わったらすぐに席を立ちたい人も多いだろう。
最初からこのことがわかっていれば、席を立てばいいのか座って待つのがいいのか判断もつきやすいと言うものだ。
だがこの映画のこの冒頭メッセージの場合はちょっと説明が足りなかった。
最近のハリウッド映画はエンドクレジットが二段構えになっていることも多い。
メインの俳優陣やメインスタッフが撮影風景や後日談的映像やイラストとともに1人や2人ずつ紹介されるエンドクレジットと、それ以外の無数のスタッフが黒字に白で流れていくエンドロールだ。
そしてエンドクレジットの後にはエピソードがあっても、それに続くエンドロールの後には何もないパターンが多い。
しかし、このソーラグナロクでは、どちらにもエピソードがあった。
その事は冒頭のメッセージではわかりづらいのだ。
実際、エンドクレジット後のエピソードを見た後、すぐに席を立った客が1人いた。
彼はエンドロール後のエピソードを見ることができなかったのだ。
俺は思った。
エンドロールとエンドクレジットではその違いがわかりにくい。
もちろんちゃんと説明されたりちょっと考えればわかるだろうが、大事なことなんだから説明されなくても考えなくても直感的に分かる用語でなくては意味がないではないか。
そこでだ。
最初のメイン俳優陣用の豪華版をグラフィカルエンドクレジットと言うのはどうだろうか。
そしてエンドロールのことをエンドクレジットと呼ぶ。
どうしてもエンドロールと呼びたければ、最初の豪華版はグラフィカルエンドロールだ。
なに?
豪華版はロールしない?
そんな事はどうでもいいのだ。
なぜならロールは英語ではない、カタカナ言葉なのだから。
そしてそれぞれにエピソードが続くかどうか告知すれば、不幸な見逃しは減るに違いない。
まぁ俺の考えた用語は長いから、もっと適切な用語を使ってほしいと思うが、豪華版を特別な用語で呼ぶことには、大きな意義があると思うのだ。
ところで邦画は昔からグラフィカルエンドクレジットが多かったと思う。
でもそれは、ハリウッド映画よりスタッフがずっと少なかったからできたんだと思うと、なんだか複雑な気分になるのだった。

2017年10月12日 (木)

「そのうちやります」と「前向きに考えます」

ゲームやアニメを勧められて、面白そうだなと思うんだけど、今はやる時間がないから時間ができたらやろうと思って、そのうちやるよと言ったら、相手が怒りだすということが何回かあって、俺はなんで相手が怒ってるか全くわからなかったんだけど、やっとわかった。
本当はやる気も興味もないのに適当に話を合わせてはぐらかしているかのように思われたんだな。
まぁ、確かにそういうつもりで、そのうちやると言う人はいるけど、俺はまさにそのうちやるつもりでそのうちやると発言するものだから、まさか疑われてるとは思わなかったわけだ。
俺とリアルの付き合いがある人はわかると思うけど、俺は勧められたものは何年たっても何十年たっても覚えていたりする。
お前が○年前に勧めてくれたゲームやったけど、あれ面白いなぁ!ということは結構あったりする。
だから、そのうちやる、と俺が言ったからといって、気を悪くしないで欲しいんだよね。
本当にやるかどうかは、タイミングの問題だけど、興味があるのは事実なんだからさ。
これで思い出したのが、前向きに考える、って良い方。
前にブログに書いたと思うんだけど、前向きに考えるという言い方は、断るときの常套文句としてあまりにも有名だから、本当に前向きに考えているときに使えないという欠点がある。
でも、はっきりオーケーとは言えないけど、候補の一つとして非常に魅力を感じている時はあるじゃないですか。
そういう時なんていやいいの。
だから、断るつもりで前向きに考えていますと言うことがあるけどそういう意味じゃなくて前向きに考えたいです、みたいに言ってもいいんだけど…長ったらしいよねw
言葉とニュアンスがワンセットになった時、それをイディオムと言うのかもしれないなぁ。

2017年8月25日 (金)

変物

今、読んでる本に『変物』という言葉が出てきた。
主人公の大学時代の教授を形容する文脈で。
きっと変人で名物教授ということなのだろう。
それまでに描かれていた恩師の人物像からの類推だ。
単に唐突に変物と言われていたらピンと来なかったであろうから、これは読者が話の流れを理解してくれることを信頼しての造語と言える。
そして、その信頼に応えられたことに、俺は微かな満足感を覚えたのである。
作者と(この本の場合は翻訳だから訳者と)読者とのキャッチボール。
時々、こういうことがあるとなんだか嬉しくなる。
表音文字、表意文字と言うが、例えば英語にも沢山の接頭語や接尾語や語幹があり、漢字の部首のように意味を持っているから、アメリカ人も未知の単語の意味が全く分からないということはない(筈だ)。
原語を読んだ訳じゃないから推測だけど、きっと変物に対応する英単語も造語だったのだろう。
そして訳者は頭を悩ませ、変物、という訳に至った。
海外の翻訳ものを読む楽しみって、こういうところにあるんだと思う。

2017年7月12日 (水)

スピードか死か、

かつて「スピードか死か」という交通安全の標語があった。 テキストサイト時代から何度か取り上げているから、もしかしたら「またかw」と思うかも知れない。 以前は単にこの日本語はおかしいだろ、とツッコんでいた。 スピードダウンか死か、なら分かるが、スピードか死かだとスピード(アップ)と死のどちらかを選ばせることになり、みんなスピードを上げてしまうじゃないか。 しかし最近では考え方も変わってきた。 確かにスピードダウンか死かの方が正確だ。 だが語呂が悪いというかくどい。 伝わり易さという点では圧倒的にスピードか死かに軍配が上がる。 思わずツッコんでしまうのも話題性を狙ってわざと仕込んでいるが故とも取れる。 そして、標語を読んだ人がじゃあスピードを上げてもいいんだ、とスピードアップに勤しむケースは皆無であろう。 そこまで考えてやったとしたら、むしろ賞賛すべき標語なのではないか。 タイトルでインパクトを狙う今のネット記事には辟易している俺だが、敢えて正確じゃないタイトルをつけることにも場合によっては一定の社会的価値があるんだな…と思いました。

2017年5月14日 (日)

キビキビは死語

昨日、誘われて「第6回宗谷ストリートダンス発表会」を観てきました。
途中15分休憩があるだけで16:30〜19:00という長丁場。
今は小中学校のカリキュラムにダンスの授業があると聞いてはいましたが、地元近隣市町村の子供達だけで相当数のチームになるほど盛況だとは知りませんでした。
最後に道内著名ダンサー3組が登場して見応えがあったんだけど、子供達から「◯◯さーん!」とか歓声を浴びてる。完全に子供達のヒーローですよ。きっと動画があるんでしょうね。
で、観ていて思ったんですが、DANCEは完全にYOSAKOIに取って替わったってことでいいのかな。
レギュレーションも緩いだろうし衣装の費用もそんなにかからなそうだし、何よりより自由で自主的な感じがするのがいいですね。
「キレッキレ」って言葉に全てが現れている気がするんですよ。
YOSAKOIはキビキビでDANCEはキレッキレ。
「キビキビした動き」のキビキビは親や教師やPTA会長が理想とする優等生像に沿った形容であり、子供というのはそういう空気を嫌うものだ。
だからキビキビは急速に死語となりつつある。
溌溂が既に死語であり老人ホームでしか使われないように、キビキビも20年後30年後の老人ホームの施設名候補でしょう。
それに対し、親がコントロールできる範囲でのチョイ悪ポジションをDANCEは巧みに掴んだんだろうなぁ、とワタクシ感心していたのでした。

2017年4月21日 (金)

brotherとおじと虹

昨日の「brotherとおじ」というエントリー
http://kotodamaxxx.blog.bbiq.jp/gold/2017/04/brother-f2da.html
その続き。
本来は続きを書くようなネタじゃないんだけど、色々と思いついちゃったり気づいちゃったりする題材ですよね。言葉は文化の反映だってハナシ。
虹の色の数って国や地方によって違っていて、必ずしも日本のような赤橙黄緑青藍紫の7つに分かれてるわけではありませんよね。
実際に虹を見てもくっきり色の境目がないグラデーションだし、色をどう定義するかにすぎない。
そう思っていたし、色が多いから少ないから偉い偉くないということもないという考えだったけど、まあ、それでも色の種類が多いということは色彩感覚や感受性は豊かなんだろうな、くらいには思ってた。
でも、気づきました。
虹の色が少ない国ってのは、単に虹の重要性が低いんじゃないかって。
それこそ「おじ」や「brother」みたいにね。
頻繁に横殴りの豪雨が来てそれが止んだらピーカンに晴れてお日様サンサンって南の島だったら、虹なんか見飽きてて有り難みもないですよね。
それでわざわざ何色にも分けようという気になるかどうか。
どんないいものでも偶にあるからいいのかも知れません。

2017年4月20日 (木)

Brotherとおじ

或いはsisterとおば。
仕事である報告書を作成してて、A氏(B氏のおじにあたる)と打って、おじを漢字に変換しようとしてふと気付いた。
A氏がB氏の「おじ」に当たることは電話で聞き取っていたのだが、叔父なのか伯父なのかまでは聞かなかったのだ。
数秒ほど悩んだが、別に叔父であろうと伯父であろうとどっちでも構わない文脈なのでひらがなのままとした。
わざわざ叔父なのか伯父なのかだけでもう一度TELするのもくだらない。
結婚式の席次を決めるならともかく、それ以外に叔父か伯父かが重要な局面など殆どないのだから、ひらがなで「おじ」で構わない。
さらに言うと、叔父と書いてあっても実は伯父の場合、或いはその逆の場合もあるわけでみんな結構テキトー、そのうちこの使い分けは有名無実になってしまうのではあるまいか。
と、そこまで考えて「ああ、そういうことか」と合点が行った。
英語のbrotherは男の兄弟という意味で兄か弟かは分からない。sisterもその女版というだけで同じだ。
big brotherやlittle brotherという言い方もあるが殆ど見かけず、だから海外の小説の和訳などではbrotherを兄か弟かどちらかで訳しており、前後の文脈から兄なのか弟なのか判断している様子が伺える。
それについて中学1年生で初めて英語に触れた生徒の中には「なんで兄か弟か区別しないんだ」と腹を立てている奴がクラスに1人はいるもので、中学の英語授業の風物詩と化している。
俺は腹を立てこそしなかったが、なんでなんだろうなあ、とはずっと思っていた。
心の何処かに引っかかっていた。
で、今頃になって、
「ああ、そうか。アメリカ人にとってbrotherがbig brotherかlittle brotherかなんてのは、日本人にとっての「おじ」が叔父か伯父かと同じようにどうでもいいことなんだ!」
と気づいて、長年の霧が晴れたのでありました。
言語が思考や民族性を作り上げるという理論が今ひとつピンと来てないけど、ここ数年ピンと来つつある俺なんですが、その論理的支柱が一つ建った感じでなんか興奮というかワクワクしてます♪

2017年1月 1日 (日)

コケコッコー

2017年になりました。
今年もよろしくお願いします。
さて今年の干支は酉。
鶏ですコケコッコーです。
英語に限らず外国語を勉強するとその国におけるコケコッコーが初期に覚える単語として示され、「え?外国人にはそんな風に聞こえるの?へんだよ」とツッコむのが通例になっております。
まぁ、もし人間そっくりの声で「コケコッコー」とネイティブ日本人そのものに鳴く鶏がいたら、誰もが顎が外れるくらい驚くことでしょうから、実際にはコケコッコーと鳴いているわけではないことくらい我々にも分かっている。
コケコッコーが念頭にあった上で鳴き声を聞くことを繰り返しているうちに、そうとしか思えなくなる、といったところなのでしょう。
或いは誰かが決めてみんなに押し付けたのかもしれない。
村の力持ちが2人いて、片やコケコッコー、片やカケカッカーと主張。互いに譲らないので喧嘩になりコケコッコー酋長がカケカッカー酋長を殴って二度とカケカッカーなどと言わないことを泣きべそとともに誓わせた、みたいなことがあちこちであって、やがてコケコッコーに統一されたのかもしれない。
なんてことを想像するのも楽しい。
しかし日本語における擬音語と外国語におけるそれが異なる動物くらい山ほどいるというか、一致するほうが珍しいくらいなのに、その中からわざわざ鶏が選ばれるというのは、それだけ人間の生活に密着しているということなんでしょうね。

2016年12月26日 (月)

通知表のマイルドな表現

上京して妹の家に顔を出して、その流れで姪っ子の通知表を見せてもらったのですが…。
姪っ子の成績はとてもよい。
さすが俺の姪だ。エッヘン!
だが、なんだか釈然としない。
このとても長文な項目名の数々はなんだ。
読解力とか思考力とかじゃいかんのか。
これではどうとでも取れるではないか。
理由は想像がつく。
俺の姪のようには成績が良くない児童はもちろん3段階評価で低い方の欄に◯がついているのだろう。
その場合でも親御さんの逆鱗に触れないようにとの配慮であろう。
「理解力C」「集中力C」と書かれるより、「文章の意味を正しく理解しうんたらかんたら〜あまりできない」とあった方がショックは少ないし、怒鳴り込んで来られた時に説明しやすい。
つくづく「…教師ってのは本当に大変な職業なんだな」と嘆息した次第である。
でも、どんな書き方をしようと3段階評価であることに変わりはないんだよな。
そうごまかされる人ばかりじゃないと思うんだが。

2016年11月10日 (木)

ランベールの法則(800)

ネットサーフィンしてて「ランベールの法則」というのが目に入った。
そうだよな、やっぱり法則になるよな、と勝手に納得した。
ろくに調べもせずに。
どういうことかと言うと俺はこう思ったのだ。
「レ・ミゼラブルに出てくるジャヴェル警視は、事件関係者のランベールという名前だけで、ランベールというのは如何にも正直そうな名前だとか言って疑うのをやめてしまったけど、名前だけで判断するのはおかしいだろ。前から納得がいかなかったんだ。きっとみんな俺と同じ想いだったに違いない。そのランベールの法則というのは、真面目そうな名前の人がそれだけで得をするという法則のことだろう」
そしたらそんなことは全然なくて、光学系のちゃんとした法則みたい。
なんてこった。
なんだよ、みんなジャヴェルのひどい決めつけに納得していたのかよ。
…まぁ、あの長い原作はみんな読まないってだけだろうけど。
俺も途中で挫折したし。
それはそうとして、ランベールというのは本当にそんなに真面目そうな響きなのか?
フランス人と話す機会があったら聞いてみたいところだ。