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2012年7月 7日 (土)

車道は寝るところではない

愛知県豊橋市の路上で中学校の先生が車に2度、轢かれて亡くなられた事件。
1度目に轢いたドライバーは見つかっていないことから、もしそれが轢き逃げであるなら、2度目に轢いてしまったドライバーは深夜3時に路上に横たわっている人を轢いてしまったわけで、何だか気の毒だという意見が多いようだ。
俺も他人事とは思えなくてゾッとした。
もう15年くらい前の話だけど、国道37号線を伊達から室蘭に向かってクルマで走ってたら、伊達市の緑丘高校前のバス停の前の車線に男子高校生数人が大の字に寝っ転がってて肝を冷やしたことを思い出したからだ(※これも旧テキストサイトに書いた話だから、知ってる人もいると思うけど)。
そいつらは対向車線に寝ていたんだが、俺が横を徐行気味に恐る恐る通り過ぎても、立ち上がりもしなかった。
実にふてぶてしいやつらだった。
まぁ、あそこは一直線で見晴らしのいい道路であり天候もピーカンの日本晴れ、かつほとんどクルマの走っていない時間帯ではあった。
実際、俺もはるか前の地点でそいつらが寝ていることに気づいた。
見張り役に歩道で立っていた高校生もいたから、例え同じ車線であっても、俺が接近する前に歩道に避難していたことだろう。
とは言え、運転手は視線の方向についハンドルを切ってしまうことがあり、それで轢いてしまっていたら俺の人生は終わってたわけで、思い出しただけで腹立たしい。
スタンドバイミーの鉄道のシーンみたいな度胸試しだったのかも知れないが、巻き込まれる方にしてみればたまったものじゃない。
今だったらクルマを止めて怒鳴りつけてやるんだけど。
今回の事故と俺の体験は全く同じではないし、もし俺が轢いてしまっていたらやはり俺に責任があったのだとは思うけれども、クルマが人を轢いたら原則、クルマが悪いというスタンスにはやはり疑問が残る。
今回の運転手の方の罪が少しでも軽くなるといいのだが。

2012年1月 1日 (日)

イヤーオブドラゴン

あけましておめでとうございます。
昨年後半は旧ブログを消されたこともあって、かなり無気力モードで、巡回していたブログにも行かなくなってしまって閉じたブログだったと反省しきり。
今年はなるべく早いうちに調子を取り戻したいと思います。
気の向いた時に覗いてくだされば幸いです。
さて、今年は辰年ですね。
イヤーオブドラゴンです。
とは言え、日本の竜(たつ)を西洋のドラゴンと結びつけるのって、本来はかなり強引ですよね。
フェニックスと鳳凰も強引ですが、あれはどっちも神聖なイメージがあるから、それほど抵抗感がない。
比べて、自然災害モチーフの竜と大型爬虫類の記憶が元となっている人類の敵たるドラゴンとでは、あまりに違い過ぎます。
竜に象徴される自然災害と言えば、暴れ川を代表とする水害です。
昨年、もうこれ以上はやめてというくらいの水害を体験したわれわれとしては、竜さん、確かに今年はあなたの年だけど、一年早く暴れまわったんだから、今年は大人しくしていてくださいという気持ちで一杯。
未開社会とは異なり、文明の力で暴れ狂う竜の被害に会うことは少なくなった訳ですが、時として昨年のようなことが起こる。
このような時、人間など大自然の力の前ではちっぽけだとか、人間はおごってはいけないなどと物分りのいい言説が蔓延るもので、昨年は実際にそんな文明否定人間否定の声もあった年でした。
しかし、自然に帰れば弱い者は死ねということになってしまう。
それは人としてどうなのか。
竜を神として崇め、十二支の1つにさえなったのには、古人の治水への思いがあったはずです。
ネガティブな文明否定に陥ることなく、科学の力、文明の力で自然の猛威からなるべく多くの人を救う社会となることこそ、震災の翌年の辰年に願うべきことのように思います。

2011年8月11日 (木)

サービスの対価

東京都の消費生活センターに、スマートホンへの苦情が殺到しているという記事があった。
それをサカナにしたヤフコメや各種コミュニティへのコメント群が実に興味深い。
まず、スマートホンを擁護し、あれは電話にも使えるというだけでミニPCなのだから、それを理解せずに流行っているからとファッション感覚で買う方がおかしいという意見が、かなりの数ある。
それに対して、そんなことは店頭で説明されなかった、分かるように説明しない方が悪いという反論もある。
そして、そもそも今はスマートホン押せ押せで、普通のケータイを買おうにも機種数は少なく割高であるとの指摘もあるといった具合。
なるほど、どれも一理ある話だ。
確かに消費生活センターに寄せられた例として記事で挙げられている、
電池が保たないとか、使ってなくても通信料が高いとか、メールが打ちにくいとかは、
機能が多いんだから当たり前だし、定額なんだから当たり前だし、タッチパネルなんだから当たり前だ。
それを承知の上で買ったんだろうと言うこともできるだろう。
しかし、デメリットが十分に周知されていないこともまた事実だ。
フリーズします、基本的な機能も全て自分で選ばなければなりません、ウィルス感染もあえります。
ここらへんのことは特に謳われていない。
俺はもちろん、そんなことは全てわかった上で、昨年の機種交換の際にケータイは普通の携帯電話にしたし、でもスマートホン的なことがやりたいから、それとは別に今年に入ってからアイパッド2を買った。
でも、わかっていない人はかなり多いだろうと思われる。
それは十分にそこらへんを説明しない方が悪いのだろうか?
なかなか難しい問題だ。
日本の普通の携帯電話は海外で苦戦し、ガラパゴスだ、割高だと叩かれた。
国際競争力を身につけろとどやされた。
企業努力でコストを削れとも言われた。
なるほど、輸出産業は貿易立国の日本の死活問題だ。
では、企業努力で削ることになるコストとは何か。
部品の調達価格など、どこがやっても大して変わらない。
だから人件費だ。
それはイコールサービスの値段で、さらに言い換えると「日本的な」気配りだ。
能動的に選ばなくても最初から多く使う機能は用意されていて、そのための操作性に特化されていて、悪意あるプログラムへの対処などしなくてもすむようなクローズドな環境。
それは多くのコストを使って整えられたものだ。
それを削れば、値段の割に性能の高い端末が出来、国際競争のスタートラインに立てる。
それがスマートホンだろう。
だから、普通の携帯電話の値段は高いわけではなかった。
もっと正確に言えば、日本的な気配りを求める日本人にとっては高いわけではなかった。
世界に通用しなかったとは言っても、単に日本的な気配りを必ずしも必要としない人たちが世界市場では大半だというに過ぎない。
カネってのは、ものそれ自体ではなく、それによってなにができるかに対して払うものだ。
よって、安くてものすごく性能がいい「機械」だという時点で疑ってかかるのが本来。
必ず、何処かに皺寄せが行っているはずなのだ。
こういったことを一から十まで「説明」した上でないと、フリーズしますとか、自分である程度は設定してください、だって安いんですからとは言えない。
それじゃ商売は成り立たないだろう。
そして、店頭ではそんな時間はない。
だから、どんな商品でもそうだけど、何ができ何ができないのか、他のジャンルの製品と比べてどうなのかくらいは自分から店員に質問しないといけないし、その質問には専門知識は要らないのだ。
落としどころとしては、もう「良きに計らえ」は通用しない時代であるということだろうか。
とは言え、携帯電話業界の側に全く問題がないわけではない。
普通のケータイの全盛期、日本的な気配りに満ちたサービス、それにかかるコストは「(マシンスペックと言う意味での)性能だけをみれば」割高な本体価格だけでは回収できず、定期的に買い替えてもらうことで回収していた。
そして昨今、「もう、これ以上はいいや」という人が多くなって、買い替えが「スムーズ」に行かなくなった。
そのある種の自転車操業を続けるためには、たとえそれがスマホという異種のものであっても、ドンドン買い替えてもらわないといけない。
だが、それはあくまで業界側の都合だ。
日本的な緻密なサービスは、こんな安い値段では本当はできませんというなら、ちゃんとそう言えばよかったのだ。
それじゃ売れませんというなら、それは価格分の魅力がないというだけのことだ。
これらの仕組みを踏まえると、これからの「普通の携帯電話」は、本来かかるコストを踏まえた効果なものとなる可能性が高い。
高くなるのではなく、バーゲン期間は終わりました、もう鼻血も出ませんという話だ。
ただ、これは積み重ねの結果だ。
俺も含めて量販店をドンドン利用するなど、サービスにカネを払わない方向にみんなで社会をシフトさせてきた。
マンガ「エンゼルバンク」で農業再生のために丹精を込めるな、というセリフがあった。
腹の立つセリフではあるが、われわれは有言無言でそういうメッセージを発していることもまた事実なのだ。

2011年8月 1日 (月)

CG新生児

こないだ、ジーン・ワルツについてのエントリーを書いたけど、書き忘れたことがあった。
俺は、複数の新生児の誕生シーンを見ながらこう思っていた。
これからの映画では新生児はCGでやってほしい、と。
普段は、そんなことは思わない。
ドラマや映画の出産シーンでは、生後すぐの赤ん坊を俳優として使うわけにはいかないから、ある程度、育った赤ん坊が代わりに使われるわけだが、われわれ視聴者にはそこに敢えてつっこまないだけの良識が求められるし、そもそも慣れてしまってそういうものだと割り切っているから不自然さも感じない。
しかし、ジーン・ワルツのような医療ドラマでは手術シーンではリアリティが求められるものだから、いつもなら感じない違和感を感じてしまった。
ましてやあの映画では短期間に何人も生まれるから、尚更。
で、今やCGは飛躍的な進歩を遂げ、現実と見紛うような映像を提供しているのだから、妊婦さん役は人間の女優だが赤ちゃんはCGということも十分に可能なのではないか、できないなら言わないができるのだからやるべきではないか、と思ったわけなのである。
やり方としては、役者さんが新生児サイズの人形を相手に芝居をし、後でCGを挿入する形で十分だろう。
どこかがやれば他にどんどん波及するし、医療系ならどんなドラマでも映画でもいいから、なるべく早いうちに実現し、嚆矢となってほしいものだ。
ただ、自分から率先してやろうというところはなかなかないはず。
大型医療ドラマでの採用を期待したいところだ。
今だ、CGはSFなどの幻想世界・架空世界を描き出すものとされている。
しかし、完全に現実的な設定で舞台も現代な映画でも、CGの出番はあるはずだ。
そこまでCGが見事な表現力を誇るようになるのは怖い気もするが、どうせいつかはそうなるのだから。

2011年7月11日 (月)

言質

7月10日の読売新聞朝刊の科学記事に「撮影されない赤外線を発するディスプレイ」の記事が載って、おやと思った。
兼ねてから自作のSF小説で、未来の技術としてそのようなものを想像していたから。
どうやら俺のような素人の考えるようなことは、プロの学者はとうの昔にいろいろと研究しているのだな、とあらためて感心したのだった。
人間の目では捉えられないが、カメラは拾ってしまう波長の赤外線を発することで、産業スパイによるPC画面の撮影から情報を守るのだという。
ビックリ!君の教科書も真っ赤っか!
ではなくて、
チクショー!撮影してみたら画面は真っ赤っか!
というわけだ。
で、思った。
こういう赤外線を発する装置を衣服に装着できるようにしたら、盗撮防止になる。
無論、ディスプレイから発するのとは違って、一定の光量を一定の密度で発するのは難しいから、そう簡単にはできないだろうが、女性を中心に需要は多いだろうから開発に踏み切るメーカーも出てくると思う。
まぁ、まずはディスプレイの方の製品化が先だが、製品化されることで「このような、あるいはあのような製品ができるかも!」と多くの人に思わせることこそが重要なわけで、ぜひともそういうディスプレイを早く出してほしいものだ。
そして、録音の方も同じ発想でなんとかできないだろうか。
人の耳では捉えられないが、マイクは拾ってしまう波長の超音波を発する装置を作れば、盗聴や録音を台無しにすることができる。
もちろん、実際に導入されるに当たっては、知る権利とプライバシーの間で駆け引きがあることだろうが、いちいち発言を録音され言質を取られる社会は息苦しい。
今は公人や芸能人だけだが、それが一般家庭や友人同士、隣人同士におりてこないとも限らないのだから。