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アニメ・漫画 Feed

2017年12月 5日 (火)

バンドリ!を観て思ったこと

ガールズバンドアニメ「バンドリ!」を観た感想。
https://bang-dream.com
いや、感想とは違うか。
内容はまあ、よくある高校生女子部活もので特筆することはないんだけど、一つ気になったことがあったので。
人間の欲望には限りがないというか。
けいおん!がほとんど練習らしい練習をしてないことが批判され(ていうか俺も(批判こそしなかったものの)欠点だと思ってて)、それ以降はちゃんと練習をしている音楽活動ものが出てきてこれもその範疇に入るんだけど、そしたら今度は別の点が気になってくる。
彼女たち、ちょっとした空き時間にもつい口ずさんだりスティックを叩く動作をしてしまうなどの「音楽好き仕草」がないんだね。
ただまあ、これが仕方ないことはわかってる。
実写と比較した一長一短の文脈で語られるべきポイントで、アニメは(声優のアドリブという例外はあるが)指示したとおりにしかキャラが動かないけど、実写では俳優が脚本やコンテに指示されていない行間を埋める。
息吹きになる。
一般的に実写のメリットとされている点だ。
でも、逆に言えば、指示さえすればアニメキャラはどんな表情や動きでもできる。
そこにマンパワーの制限が関わってくるわけで、前述の「音楽好き仕草」についてなら、俺のような少数派、気にする人しか気にしないんだから、描かれなくても仕方ないわけだ。
でももしかしたら、いつの日にか、行間をAIで埋めるようになるかもしれない。
そうなった時に見るアニメは、ゲームとの垣根が限りなく低いものになるんだろうなあ…。

2017年11月30日 (木)

一歩の試合に万雷の拍手

はじめの一歩の現在の盛り下がる展開について多くを語るまい。
これまで散々、引き伸ばしすぎたんで、ただ単純にリカルド・マルチネスと戦っても、そういえばこんな奴いたな、程度の関心しか呼ばないこと必至。
そこでパンチドランカー展開にして逆境を演出したのだろうが、あまり面白いと思えないのだった。
まぁとにかくパンチドランカーは確定的になった。
3ノックダウンによるKO負け。
一歩は人気ボクサーだけに、それでもファンから温かい拍手を浴び、リングを降りるのだった。
そこで思った。
なんであんなしょっぱい試合で拍手が?
ブーイングではなく?
でも、それはほんの一瞬。
われわれ読者はいわば神の視点を持っているから、一歩が負けなくてもいい試合を負けてしまったことを知っている。
しかし劇中人物である会場のファンたちは、今回の対戦相手であったフィリピン王者を強敵と捉え、一歩は頑張ったが力及ばなかったと感じたのではなかろうか、と。
凡ゆる客観的でかつ必要にして十分な量の情報を時系列順に得ながら試合を見られる事は、現実のスポーツ観戦を超えた超現実とも言うべきものだ。
スポーツ漫画を読む楽しさっていうのはまさにそこにある。
だがそれゆえに、劇中で感じられている事と乖離してしまうことがあるんだなぁ。
…こういう風にメタな考察をしてしまうあたりが、今の展開が盛り下がってることの証明でもあるってな皮肉なんだけどね。

2017年10月28日 (土)

電脳コイルを観直して拡張現実の便利さに想いを馳せること

「電脳コイル」全26話を一気に観直してあらためて思ったこと。
劇中の大黒市の電脳実験というのは、描かれているより遙かに多くの利点があるのではないか?
例えば盲目の人に実質的な視力を与えることができる。
生物無生物を問わず、凡ゆるオブジェクトが、現実と電脳の二重写しで存在するなら、現実の光を捉えられない人であっても送られたデータさえ脳で処理できれば、それは見えているのと同じだ。
また、必ずしも現実と電脳が同一でなくてもよいなら、現実に軽いアレンジを加えてもいい。
以前より粗暴なチンピラ客からの電話は翻訳ソフトで柔らかな口調に音声変換できればいいのに、という趣旨のエントリーを書いてきたが、電脳世界ならばそれに映像をプラスできる。
面と向かった相手の威嚇のチンピラフェイスを柔らかな一般市民のそれに変換できれば、社会からストレスは大幅に減ることだろう。
美人の鼻の穴から極太の鼻毛が出ていても、修正してくれれば笑いを堪えずに済むというものだ!
もっとも互いを美男美女だと思い込んでいた男女が薄々、真実の姿はかけ離れているのではと疑いつつも怖くてメガネを外すことができず、十年近く経って意を決して外してみたら…みたいな惨劇も起きかねないし、己を偽るレベルまでエスカレートしないよう、節度が求められるだろうが。
電脳コイルはただでさえこの世界観で別の物語も見たいなぁ、と思わせてくれる傑作だが、放送から10年が経過し現実世界に元ネタとなり得る事象が増えたことで、ますますその思いは強くなっていることを自覚する吉宗であった。…じゃなかった俺だった。

2017年10月27日 (金)

Chotto Phsigi(ちょっと不思議)

ここしばらく「電脳コイル」を観てました。
やっぱり面白いですね。
ここまでちゃんとした…ちゃんとしたってのは雰囲気で押し切らずに積み重ねた設定がドラマと結合しているという意味ですが、そういうサイバーパンクは滅多にない。
もちろん大人向けならたくさんあるんですが、ジュブナイルだとなかなかない。
俗に藤子F不二雄のSFをSF(少し不思議)と言いますが、さしずめこれはサイバーパンク(Cyber Pank)におけるCP(Chotto Phsigi(ちょっと不思議))と言えるんではないでしょうか。
さて、リアルタイム視聴時に続く2回目なんで色々と考えながら観ました。
大黒市における拡張現実は、現実に上乗せされるものなのか、それとも拡張現実も含めて現実なのか。
もちろん前者である事は分かっています。
電脳眼鏡をかけていない人もいるし、電脳メガネを取り上げられても何の問題もなく暮らしていけるのですから。
でも、その一方で電脳の身体と現実の身体は互いに影響を与えている。
この電脳の身体はメガネユーザー以外の全住人に強制的に割り振られるのか、ユーザーだけなのか。ユーザーだけなら、自由にオンオフできるものなのか。
せっかくよくできた世界なのにそこら辺があやふやで、リアルタイム視聴時にはよくわからなかったので、今回は気をつけて見ていたのですが、やはりわかりませんでした。
電脳の身体と現実の身体のズレや電脳の身体への攻撃を非常に恐れていたことと、親が眼鏡を取り上げただけで子供たちが電脳世界と完全に決別できることがどうにもうまくリンクしないのですよ。
まぁ素直に当時、出版されたムックでも買って読めばいいんでしょうけどね。
ところでこのエントリーのタイトルに軽くいらっとしてツッコミたい人もおられることと思いますが、ツッコミは禁止いたしますw

2017年10月18日 (水)

tollの覚え方

どうやら、今期の「まいにちドイツ語」は気持ちよく続けられそうだ。
朝の6時45分から7時15分まで、まずラジオ英会話を続いてまいにちドイツ語を聞く生活を始めて早2年ほど。
ラジオ英会話のほうはいつも完走できるのだが、まいにちドイツ語のほうは 2ヶ月なり3ヶ月が過ぎる頃になるとついていけなくなって、半年の期間を全うできる事は皆無。
今回も同じことになるんじゃないかという不安もあったが、今回は難易度が丁度良く楽しく進められるのだ。
難易度は高すぎても低すぎてもよくない。続かない。
(ちなみに前期は難しすぎて、前々期は簡単すぎた)
英語なら実力に応じたたくさんの番組があるのだが、それ以外の外国語となるとたいていは1番組しかないから、難易度が自分に合っていなくてもそれでやらざるを得ない。
今回はぴったり合っているので、半年の完走目指して頑張ろうと思う。
さて、10月17日のダイアログにはtollという単語が登場した。
素敵とか素晴らしいと言う意味だ。
ここで西尾維新の物語シリーズのファンの人はニヤリとする。
ヒロインの戦場ヶ原ひたぎは自分がいわゆる萌えキャラでないことを認じ、このようなことを言うのだ。
見蕩れるような美人に対しては、見蕩れるの蕩れをとって「蕩れ」というのはどうか(不正確)、と。
これが全く流行らなかったことを含め、なんかツボにはまるエピソードであった。
これが念頭にあると、tollの意味はすっと入ってくる。
単語が連想で覚えられると、何か得したような気分になって気持ちいいという話。

2017年10月16日 (月)

そんなリアル求めてないよ

やっと先週水曜日のマガジンを読めて、はじめの一歩をチェックしたんですが…。
これはまた…盛り下がる展開ですねぇ。
そりゃぁパンチドランカーにも納得がいくほど打たれまくってる幕之内くんではあります。
でも、あれは「リアルな」描写だったんですか?
私はずっと、漫画としてわかりやすくするために、派手なダメージ描写をしてるんだと思ってましたよ?
だって、あんなダメージやあんなダウンを本当に食っていたんだとしたら、もっと早く壊れてたはずじゃないですか。
作品を構築するバトルのルールがいきなりリアル準拠になったようで、何か冷水を浴びせられた感じがいたします。
MAJORで茂野吾郎がイップスになった時と同じがっかり感。
あれも、吾郎のようなタフな男であっても心がやられる事はある、というのはリアルではあるけれども、そんなリアル誰も求めてないよ!という気持ちでいっぱいでした。
ましてや、日本チャンピオンの防衛戦がやたらと多かった一歩くんです。
現実の試合回数だってあんなもんだよ、って言えばそれまでなんだけど、一読者としてかなり長く感じたものだから、このパンチドランカーの原因が、鴨川のマッチメイクがへたくそだからに見えてしまう。
なんだか一歩が気の毒になってきました。

2017年10月14日 (土)

ドッキンガー

昨日までコツコツ読んでたアオシマプラモムックで、もっとも衝撃的だったのが4つのメカに分かれるランボルギーニ・カウンタック。
これは欲しい。
きっとガキの頃に見ても欲しがったに違いない。
大多数の当時のガンプラ少年の例に漏れず、それまでの子供っぽいプラモには見向きもしなかった当時の俺だったが、これは面白がったに違いないという確信があるのだ。
今は無きアニメック誌にこんな記事があった。
おもちゃ会社の担当曰く、ザブングルのおもちゃは売れたがウォーカーギャリアのおもちゃはそうでもなかった。
ザブングルは飛行機に車という子供がよく知ってるものの合体だったが、ギャリアはよく分からないもの同士の合体だったからだ、と。
なるほど、この法則が当てはまる。
とすれば、アオシマの合体プラモを敬遠していたのは子供っぽいからばかりではなく、架空のロボットの合体前がよく分からないものだったからなのだろう。
合体前か後か、どちらかが理解の及ぶものであれば、感情移入度は飛躍的に高まるというわけだ。
それが合体ではなく変形ならばトランスフォーマーになる。
アオシマプラモも言わばドッキンガーとでも言うべき壮大な宇宙叙事詩に化ける余地があったのかもしれないなあ。

2017年10月13日 (金)

アウトサイダー・プラモデル・アート-アオシマ文化教材社の異常な想像力-

アオシマの合体プラモシリーズのムックを読了。
この時代を知らないわけではないので、懐かしく楽しく読めました。
駄菓子屋全盛時代と軌を一にするアオシマ合体プラモ。
でも俺はビックリマンチョコのシールやその他諸々にお小遣いをつぎ込んでいたから、合体プラモはほとんどノータッチ。
そして、ガンプラブームになると、それ以前の玩具玩具したロボットを馬鹿にするようになったから…まぁ縁がなかったんだろうね。
だから、このムックに載っているアトランジャーを初めとする合体ロボットたちに特に思いいれはないんだけど、プラモデルの年齢層が上がり趣味として成熟していくその転換期の前後は素敵な思い出の中にあるのだった。
この本を読んで興味深かったのは、青島の合体プラモが子供っぽく見えたのは、プラモの間口を広げるために意図的にやっていたということ。
俺も、そして周りの同級生たちも、ガンプラ以前のプラモデルを子供っぽいものとして遠ざけたけれども、それは青島の熱意が空回りしてたってことなんだな。
ムック中にはバンダイ側のインタビューもあるが、バンダイなりの子供への向き合い方である「大人向きにプラモのクオリティーを高めてこそ子供の心もつかめる。間口も広がる」の方が、俺も含めた当時の子供の心をつかんだ。
一人前として扱ってもらったことが嬉しかったんだな。
ゲームにたとえれば、初期のドラクエの難易度の高さだって決して間口を狭めたりしなかった。
だが、間口が狭まる危険性はあらゆる趣味に普遍的に存在する、し続ける。
イデオンでしかアオシマプラモを知らないようなものだけど、たとえ最終的には空回りで終わったとしても、危機意識とその根底にある愛の物語は俺の心を打つのだった。

双葉社公式サイトの該当ページ
http://www.futabasha.co.jp/booksdb/smp/book/bookview/978-4-575-30789-4/smp.html?c=39900&o=date&type=t&word=アウトサイダー

2017年9月30日 (土)

一人でも二人でもなんかやりゃあいいのに

「バンドリ」を観始めました。
いわゆるJK部活もので、題材はガールズバンドです。
まだ2話なので、これから面白くなるのかならないのか分かりません。
でも今のところどうにも好きになれないパターンです。
というのはまだ仲間集めの段階で一度も演奏も練習もしていないからです。
このアニメに限りませんが、部活なり趣味の活動を題材にしている筈なのに仲間が一通り揃うまでは何も始まらない嘘くささって、どうにかなりませんかね。
ガルパンもラブライブもJK部活ものですが、活動と仲間集めは同時進行なので展開が自然です。
ベルセルクでガッツがイシドロに言ってますよね。
剣の達人になってから戦場に出るつもりか、って。
仲間が集まってから活動を始めるってのは、まさに剣の達人になってから戦場に出るのと同じで悠長であり、その悠長さからは趣味の活動に対する愛着や渇望が感じられないわけです。
フルメンバーじゃない活動風景を作ってもコンテンツとして流用が効かないとか、そういうくだらない理由なんでしょうけど。

2017年9月21日 (木)

マクロスΔのウィンダミア人の蠢かない触手

なんてタイトルをつけたが実は触手のことは嫌いではない。
好きでもない。
どうでもいいのだ。
色々とマクロスΔの欠点を挙げてはきたが、今でも同作を特に欠点もない印象の薄い作品と評価する気持ちに変化はないのだ。
まあ気持ち悪い。
あのハートマークが光ってるとダイレクトに欲情しているようで、一般的な表情によるきめ細かな感情に比べてだいぶ押し付けがましい。
付け根がどうなっているのか想像するとますます気持ち悪くなる。
その一方でエマーン人の背中の触手に続く2度目だしリベンジしたいのかな、というスタッフのSFイズムも分かるので応援したい気持ちもある。
だが、この二律背反は本来なら大いに悩ましい筈なのだが、本編がつまらないからどうでもよくなるのだった。
こんなことなら触手らしくウネウネと蠢いてもっと気持ち悪くした方が「忘れられない」作品になったのではあるまいか。
というのは、あの触手、ピクリとも動かず、それは制作側でも気持ち悪がられたくないという意図があったからでは、と思うからだ。
恐らくエマーン人の触手が動いていたのをマイナス要素と捉えているのだろう。
しかし、不自然に動かないと余計に気になるのだ。
河森作品って庵野カントク言うところの「パンツを脱いでいない」思い切りの足りないところがあるよなあ…