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アニメ・漫画 Feed

2017年6月23日 (金)

根っからの悪人ではない、の難しさ

未来少年コナンを借りて観始めました。
つい最近タイガーマスクを観直して殆ど内容を忘れてて新発見があったり感動を新たにしたりしたもんですから、なんか昔のアニメが観たくてムラムラと。
この傾向は続くんじゃないかな。
さてコナンと言えばモンスリーです。
厳しいお姉さんだったモンスリーが味方になってガンツ船長の奥さんになったら別人のように優しく柔らかい表情になったことに、少年の頃のわたしはすごくドキッとしたのでした。
モンスターみたいで変な名前!クスクスwとか笑っててごめんなさいしたのでした。
第一話はそんなモンスリーの初登場。
ラナを探してファルコがのこされ島に飛んできた時には「やったー!」という感じです。
とは言え喜んでばかりもいられません。
モンスリーが来たということはおじいが死んでしまうのですから。
ドキドキしながらファーストコンタクトを見守ります。
悪役の頃とは言え、あまりひどいことをして自分の中のモンスリー像が崩れやしないか、と。
そしたら確かに高圧的な態度ではありますが、彼等の事情や背景が伺える描写で決して冷酷非道なモンスターではないことが分かる。
思うに最初から後で仲間になることを想定しての描写なんでしょう。
続くおじいの死だってモンスリーが全く関係ないとは言わないが、不幸な事故の範疇と言えるでしょうし。
(これがクシャナ殿下になると明確に彼女に責任があります。まさに血塗られた道であることの描写)
こういうのって意外と難しいんですよね。
他のアニメでもあからさまに後で味方になりそうな人が誘拐や人質作戦に抗議したりする描写がありますが、作為を感じて醒めることも多い。
それに初登場時の悪事くらいコロッと忘れる観劇の作法を我々は身につけている。
テリーマンや海原雄山やトキやラオウも最初はひどいやつだった。
初登場時の悪事は読者に憎い敵と思わせるための方便であり、後で人気が出て実はいい人だったことが分かれば作者と読者の阿吽の呼吸でなかったことにするのが、歌舞伎の黒子、ドラマの赤ちゃんのフサフサ髪同様の作法だ、というのは以前から何度か述べています。
だからモンスリーがもっと分かりやすい悪事を働いても「いつものこと」として受け入れた筈ではあります。
しかし、そういう王道を敢えて採らずに一歩でも間違えればわざとらしく取られる危険もある「根っからの悪人ではない」描写に賭けた。
モンスリーは制作側に愛されたキャラだったのでしょうね。

2017年6月21日 (水)

バンクを嫌う理由

中高生の頃の俺は「ロボットアニメは30分の広告」という言葉にわりと腹を立てていた。
まぁ、当時からひねくれていた俺のことだから、何処かで聞き齧ったその言葉を、自らも言っていたかも知れない。
しかし、アニメを制作したり放映したり玩具を販売したりする側がそれを言うのはたとえ自虐だとしても聞く方は面白くないと思っていたし、本気だったら随分と馬鹿にされたものだと憤慨していたのだ。
そのことを久しぶりに思い出したのだが、今になって気づいたことがある。
ああ、「だから」バンクの多用が嫌いだったんだ、と。
もちろん同じシーンを何度も繰り返すバンクが好きな人はあまりいないだろう。
アニメ「北斗の拳」で何度も何度もシンに7つの星をつけられるシーンが流れて、その度にいい加減にしろと思っていた人は多いのではないだろうか。
だがそれとは別に俺にはこういう気持ちがあったのではないか。
「こんなことやってるから広告に過ぎないと馬鹿にされるんじゃないか」と。
誰でもカネがほしい。
それは理解しよう。
でも札束で頬を叩かれたくはないのだ。

2017年6月19日 (月)

好きなキャラが死ななくて釈然としない話

なんとか時間を作っては観ていた旧タイガーマスクのアニメがやっと終わった。
半年くらいはかかったかな?
あんまり時間がかかりすぎて、タイガーマスクWの予習のために観返し始めた筈なのに、そっちの方はなんだか気力が失せてきちゃったw
何せレンタルビデオ1本につき6話もあるものだから、1週間で6話分を消化できる見通しがある時しか借りられない。
最後の方は1巻につき5話だったから少しは楽になってきたが、それでもなかなか進まない。
1月以上も間が空いた時は飽きそうになったが、やっと観終わった時には、さすが世紀の大傑作だけあって、大変な充実感があった。
虎の穴のボス、タイガー・ザ・グレートは確かに天才なんだろうが、たった1年でプロレスに見切りをつけるような腑抜け。
パワー、スピード、反則の3つのミラクルはあっても、どんなレスラーでも持っている不屈の闘志がない。
(ところでミラクルって「奇跡」って意味だよね?実力じゃないってことになるんだけどそれはいいのか?)
そんな奴に我等がタイガーが負けていい筈がない。
その地力の違いが出て、グレートの猛反則にタイガーは耐えられたが、逆にタイガーの猛反則にはグレートは耐えられなかった。
納得のいく実に痛快な決着であった。
ただ…ガキの頃に観ていた筈なのに具体的なエピソードは殆ど忘れていたことが、良くも悪くも働いた。
殆どはいい方向に働いた。
手に汗を握って新鮮な気持ちで楽しめたし、誰が生き残って誰が死ぬかすら覚えていなかったから、その生死に喜んだり悲しんだりできた。
だが肝心のことを忘れていたので最後の最後に肩透かしを食らった。
え?
アニメ版って伊達直人は死なないんだったっけ?
死ぬとばかり思っていたからこそ、最終回に向かう展開の中で、るり子さんはこの時の思い出を胸に生きていくのかとか、ちびっこハウスの面々にせめて伊達直人としての勇姿を見せられてよかったとか、ケン・タカオカが遺志を継いでくれて嬉しいとか思って迫りくる「伊達直人の死」に備えていたのに死ななかったとは!
生き残ってくれて嬉しい筈なのに、なんだか釈然としないのである。
105話が終わって「ここで終わるということは次回が後日談的最終回で、その中で交通事故が起きるんだな」と思ったら実はそれが最終回でポカンとしてしまったくらい。
俺は原作漫画は読んでいない。
だから交通事故で死ぬ場面も見ていない。
それなのに一般教養としての「伊達直人の交通事故死」を繰り返し刷り込まれ、記憶にある筈のアニメの結末をすっかり書き換えてしまっていたというわけだ。
人は過去を書き換える。
やはり好きな作品は定期的に観直さないと駄目なんだろうなぁ。

2017年6月 9日 (金)

ギャルゲーの3周目はやりたくない問題

サクラ大戦TVに続いて最初期のOVA「桜華絢爛」を観た。
敵が降魔なので「絵的には」帝撃が卑怯に見えることがないのはTV版よりいいけど、やっぱりアニメの自己評価が低くてすみれの言いなりになってるさくらはイライラする。
原作ゲームのすみれ相手に一歩も退かない毅然たるさくらが俺は好きなんだ、ということに改めて気付く。
帝劇ではまずすみれが次いでさくらが好きなんだが、アニメだとどっちも嫌いだ。
ちょっとだけゲームをやり直したくなってきた。
ただ…ついこないだまで逆転裁判マラソンをやったようにサクラ大戦マラソンをする気にはならない。
ソフトがどのダンボールに入っているか分からない(下手したら次の転勤まで見つからないw)という根本的な問題は別として、各ゲームの全キャラクリアなんて絶対に途中で飽きちゃう。
サクラ大戦に限らず、アドベンチャーパートに別のゲームを加えてゲーム性を高めたギャルゲーの共通した欠点がこれだ。
戦闘部分がシミュレーションゲームになっている「サクラ大戦」シリーズの他にも、
カードバトルによる戦闘シーンがある「ウィークネスヒーロートラウマン(DC)」
3Dダンジョンによる探索シーンがある「火焔聖母(DC)」
などはどれも同じプレイパターンを辿っている。
事前情報なしの1周目、とことん調べた上での2周目で全ヒロインのうち2人をクリアしたら、
次いで3人目を攻略する気は皆無だ。
シレーヌ、血塗れでもきみは美しい。
それはカイムだ。
それがそれなりに面白いゲーム部分であろうとも、またあれをやるのかという気になって激しく落ちるモチベーション。
これがアドベンチャーパートのみのギャルゲーであれば全キャラクリアもそれなりにしていることを思うと、単純なアドベンチャーにはしないと意気込んで作られた部分が明らかに繰り返しプレイの意欲を削いでいるのだ。
どれも1周目、2周目ではちゃんと楽しんでいるというのに!
「だから不要だ」で済むなら話は簡単なのだが…。
俺のような人間が飽きることなく3周目以降をプレイする気になる「プラスαギャルゲー」はどうあるべきなのか…結論は出ない。

2017年6月 3日 (土)

トキワも鉄血も強さのピラミッド作りに失敗した

高校野球を応援している時に「でもこいつらプロより弱いんだよね」という馬鹿はいない。
もしいたらそんなヤツはみんなから叩かれる。俺も叩く。
それは高校野球を描いた漫画やドラマでも同じで、みんな現実の高校野球を知っているからだ。
だが、現実には存在しない架空の対決、超格闘家同士とかエスパー同士とか巨大ロボット同士の戦いだとそれが起きる。
そして俺自身も「こいつらよりもっと強い奴がいるんでしょ?」に対して特に反感を覚えないことも多いし、まさに俺がそう感じることすらあるのだった。
それを踏まえて3月に放映が終わった「機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ」と来週発売の少年サンデーで最終回を迎える「トキワ来たれり」を見ると考えさせられる。
強敵というか(当面の)ラスボスを出すタイミングのことを。
バトルものは「世界最強」であることが欠かせない。
たとえテーマが暴力反対であろうとヒロインとの愛であろうと、最終回の段階で主人公が世界最強でなかったら不満が残る。
カタルシスの大きい傑作はそこらへんちゃんとしている。
そしてそれはラストに限らない。
主人公は常に世界最強の敵と戦っていなければならないのだ。
最も分かりやすい例がドラゴンボールだ。
悟空はその時点で判明している世界の中で最強の敵を倒すべく常に戦っている。
もし悟空とフリーザが雌雄を決している時にその様子を遠くからセルや界王神が眺めて「今はこの程度だがそのうちこいつらは強くなる」的な見下し台詞を嘯いてる場面がバトルの途中に何ページか挿入されてたとしたら折角の盛り上がりが台無しだ。
「本当の世界最強」が最初から登場する作劇はリアルではあるが、主人公とライバルが世界最強レベルの遙か下のレベルで争ってる分際で俺こそ世界最強と自惚れる薄ら寒い光景を見なければならないという致命的な欠点を抱えているわけだ。
オルフェンズにはギャラルホルンのラスタルが、トキワには世界に覇を唱えんとする三勢力が、かなり初期から登場する。
これは大変な冒険だ。
主人公が段階を追って強くなりその時点に相応しい強敵と出会い仲間を集め組織を大きくしていく、その要所要所で、実は世界最強ではないと読者や視聴者に既に示されているその時点でのライバルとの戦いがただ自分たちの勝敗ではなく世界全体の危機に繋がるかのように盛り上げなくてはならないし、どうせ世界最強の奴らより弱いんでしょwというシラけを起こさせないようにしなければならないからだ。
そして、当然のように両作ともその挑戦に敗れた。
オルフェンズの鉄華団たちがいきなりラスタルとことを構えることになった時の「なんで現時点で高校野球の優勝高レベルのオルガ達がメジャーリーグ選抜チームレベルに喧嘩、売ってるの?」という感情の前には他の多くの欠点も霞んでしまうし、トキワ団が力量不足なのに世界最終戦争レベルの三つ巴総決戦に対応「できてしまう」違和感も同じことだ。
強さのピラミッドはバトル漫画の楽しみの一つだから疎かにはできない。
最初から全て決めていれば矛盾も少なくなる。
しかしそれは安易な方法だ。
「え?こないだまでのが世界最強じゃなかったのか!もっと別の世界があったのか!いやあ!気づかなかったなぁ!」と主人公と読者の両方を鮮やかに騙してくれなければならないのだ。

2017年6月 2日 (金)

視聴挫折してたサクラ大戦TVを観た

レンタル屋の棚を眺めててそう言えば途中で挫折してたな、ということで、昔のTV番組「サクラ大戦TV」をレンタル屋で借りて観てました。
サクラ大戦(SS)の1をベースにした翻案…と言うか当初は前日譚と思わせておいて、どんどんゲーム本編と違った展開となってきたので、結果として翻案となった、という形。
で、まぁ…面白くはあったのですが、骨川スネ夫の言うところの「いつもの1/3くらいの味が薄いメロン」のようで、なんとも物足りない感じでした。
わたしがサクラ大戦シリーズが好きなのは「3」の超絶クオリティに心底から惚れ込んでいるから。
1や2も好きですが90点くらいのゲームでしかなく、98点はつけられる「3」には及びません。
そして「3」の魅力もビジュアルワークのよさという色白が七難を隠しているだけで、やはり戦闘の難易度の低さには不満があったのです。
これは1や2から続いたシリーズ全体の問題でもあります。
それもあってTVアニメではゲーム本編では物足りない戦闘要素を中心に展開することにしたんでしょうかね。
笑いありラブありシリアスありだったゲーム版から笑いとラブがオミットされ、わたしにとっては「なんだか味が薄い気がするなぁ。いつもの1/3くらい」的な感想を抱くシロモノとなったわけです。
つくづく思うに、深刻なものを有り難がる風潮はよくありません。
類例として(プレイしてませんが)センチメンタルグラフィティ2が「1のおちゃらけ要素をカット」してシリアス面を強調したと聞いて激しくやる気がなくなったのと同じ。
笑いがあってこそ涙があると思うのです。
…まぁ、人間関係がギスギスして陰鬱であるとか、こっちがロボットで敵が人間だとリンチというか虐殺しているように見えるとか、他にも欠点はあるんですけどね。

2017年5月31日 (水)

ジンギスカンは焼肉パーティーではない

今度の職場の飲み会の焼肉の予定がジンギスカンになってしまった。
実に残念だ。
もちろんジンギスカンは大好きだが、どちらがご馳走の度合いが大きいかと言われれば間違いなく焼肉だ。
ジンギスカンは道民にとってあまりに当たり前すぎるのだ。
そこでふと思い出した。
佐々木倫子「チャンネルはそのまま!」のジンギスカンエピソードのことを。
北海道のテレビ局(おそらくモデルはHTB)を舞台にしたこの漫画で、道民じゃない新人女子アナが局にも北海道にも馴染めないでいた。
そんな彼女が職場の飲み会で桜の下での焼肉パーティーに誘われて出席してみたら実際はジンギスカンパーティーで、彼女は「これは焼肉じゃない」と呟くというもの。
このエピソード、当時からなんか納得がいかなかったんだが、今になってその理由にやっと気づいた。
道民はジンギスカンと焼肉パーティーを混同したりしない。絶対に。
佐々木倫子先生自身が道産子なのに、なんでこんな間違いをしてしまったんだろうか。
きっと間違いじゃなく、わざとなんだろう。
この彼女を誘った側の道民の不自然さにさえ目を瞑れば、地域差エピソードとしてこれは極めて秀逸だからだ。
ちょうど北海道の学校を舞台にしたテレビドラマの卒業式で桜が咲いているという嘘が、全国の視聴者の卒業式イコール桜というイメージを優先するための必要悪として存続しているのと同様に、ジンギスカンを北海道的なものの代表として描くという大目的のためには、ジンギスカンと焼肉パーティーを一緒くたにする道産子という不自然さも必要悪という判断だったのであろう。
創作にはそういう割り切りも必要ということなんだろうなあ。

2017年5月29日 (月)

劇場版ソードアート・オンライン・オーディナル・スケール

やっとまともな敵が出てきて、これまでのSAOに対する不満が解消されました。
わたしはSAOはTV版を3期まで観ましたが、敵のラスボスにブラックエンジェルスに誅殺されそうな極悪人しかいなかった。
まぁ、原作は大人はみんな汚いと考えがちな中高生世代を対象とした小説であるから、そういう悪役造形は正しいといえば正しいんだけど、どうしても世界に深みが感じられなくなるし物足りなかった。
しかし今回の重村教授は心が歪んだだけで普通の人だ。
SAOサバイバー達はSAOでの3年間が無駄だったと思いたくないことから創造者・茅場を憎めないでいる。或いはストックホルム症候群も入っているんだろう。
それをいいことに大物ぶっている茅場晶彦のようなカスとは人間としての深みが全く違います。
…まぁ、クレヨンしんちゃんの映画にも似たようなボスがいたなwという気もしますがw
いずれにせよ、シリーズ一貫して仮想と現実、記憶と思い出が重要なテーマになっているSAOにおいては敵も掘り下げた方が盛り上がることが分かったのは収穫でした。
ツッコミどころはあります。
拡張現実オーグマーは説明を聞いた瞬間に「歩きスマホをさらに迷惑にしたような社会迷惑になるんじゃないか」と疑問が浮かびますし、今回の計画だって全員に説明して協力を求めることはできなかったのかと思わなくもない。
しかし小さなことでしょうね。
…ところでTV版において旧来の「大人イコール悪」の文法で描かれていたアスナの母親は今後どうするんでしょう。
やっぱり音無律子さんみたいに再登場の時は別人のように物分りのいい母親になっているのでしょうかw

エンドロール後エピソード あり

公式サイト
http://sao-movie.net/sp/

2017年5月28日 (日)

機動戦士ガンダムサンダーボルト外伝2

読了。
今巻収録分よりプラモデルを撮影しCG加工したモビルスーツ戦という新たな表現手法が登場する。
でありながら人物パートとの間に不自然さがないのだからたいしたもの。
サクラ大戦3(DC)でポリゴンCGとデジタル2Dアニメの自然な融合に感嘆した時以来の技術的興奮を俺は感じている。
収録作品は脇役から見た主役達というスタンスのものが多い。
これはもちろん作品世界に深みを与えているのだが、サンダーボルト自体のガンダムワールド全体に占める位置も明らかにしようという試みに思える。
例えばこれまでのファーストガンダムスピンオフでは、コウやシローが「アムロほど強くはない」描写がキチンとできているとは言い難かったが、イオはモビルスーツが機動兵器である利点を生かしきれていないが故に「盾」役が必要であるという描写にすることで、ガンダム世界におけるサンダーボルト関連をオーパーツっぽく見せないよう試みているのだろう。
もちろん本編のキャラもあちこちに登場。
部下や同僚に慕われるダリルと傲慢で友人の少ないイオの対比も健在だ。
ただ、イオの傲慢さが描かれたことでますますイオが嫌いになるかと思えば然に非ず。
逆に復讐に身を焦がす孤独が伝わってきたのは収穫。
本編ではダリルとイオの再対決が近いだろうけど、それがますます楽しみになってきたのでした。
まあ、相変わらずダリルがんばれって思ってますけどねw

公式サイト
https://www.shogakukan.co.jp/books/09189556

2017年5月11日 (木)

スコップがなんの役に

ホビージャパン誌2017-6月号のギャロップタイプの作例を惚れ惚れと眺めているうちに気づいてしまった。
このスコップ、何の役に立つんだろう、って。
要するに当時、吹き荒れた「リアルタイプ」の記号だ、というメタな回答は要らない。
ザブングルならコミカル演出も多いし、3秒くらいであちこち掘り返すだろうという回答も要らない。
車載スコップはスタックした時に多いに役立つ。
しかし、ウォーカーマシーンが埋もれて動けなくなった時に人力で掘るスコップにどんな意味が?
単純にギャロップタイプなら7.8m、他のウォーカーマシンでも大きなものならガンダムサイズという大きさも去ることながら、不整地に強い人型ロボットでさえ動けなくなってしまうようなひどいスタックにはなおさら役立つまい。
鶴橋もそうだが、あれら工具は気休めにしかならないのではあるまいか。
とは言え、ここで終わってしまっては面白くない。
列車が脱線しても客船が浅瀬に乗り上げても自力で脱出はできず救助を待つしかないのだから、ある程度以上に大きな乗り物はどうしてもイレギュラーな事故に対して弱くなるのは仕方ないとは言え、他を圧倒する利便性ゆえにロボット兵器が戦場の主役たり得ているという「ロボットリアル」の足元を掬わんとするこの弱点はなんとしても克服せねばならない。
そこで思う、と言うかこれは単なる妄想ないし願望なんだが、ロボット兵器のコックピットには必ず人間の腕力を数倍にアップさせるパワーアームのようなものを搭載してはどうだろうか。
なんなら腕の長さの2倍とか3倍の長さがあってもいい。
それで長さ5mくらいのスコップを自在に操れればロボット兵器のスタック問題は相当程度に解決する筈。
画面に映らないところで何が行われているか妄想するのもロボットものの楽しみ方の一つである。