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アニメ・漫画 Feed

2017年7月26日 (水)

劇場版ポケットモンスター キミに決めた

テレビ版初期エピソードのリブート。
でも面白かったですよ。
テレビ版で「ひとかげ」を捨てた奴はただのひどい奴だったけど、今回その役割を担うライバルキャラのクロスはちゃんと改心する。
で、丁寧だな、と思うのは、力でねじ伏せられただけでは改心に繋がらず、問題が悪化すらするということ。
雨降って地固まる、の雨だけ降っている状態。
力でねじ伏せられたサトシがねじ伏せ返す、それだけでは解決にはならないけど、やり返さないというのも違う。
大人になってもケースバイケースで正解のない問題に安易な回答を出さない姿勢はとても誠実だと思います。
でも、どうしても気になる点もあって、…あの奇跡になんの説明もないよね?
ポケモン世界のリアルはポケモンバトルの余波で人間に被害が出ることは殆どない(ここらへんガルパンと同じ)のが根底にあると思うので、そもそもああいうピンチを描くのがおかしいというか露悪的に思えるよなぁ…。

エンドロール後エピソード なし

公式サイト
http://www.pokemon-movie.jp/

2017年7月24日 (月)

ダイス船長はかわいい

ここんとこ未来少年コナンを観返しててさっき観終わりました。
放映当時に観たっきりですから色々と忘れてましたが、やはり抜群に面白いですね。
他人を道具のように切り捨ててきたレプカが超兵器ギガントの力をまさに人手不足により生かしきれずに自滅してしまう。
多くの仲間達に恵まれてきたコナンとは正反対で、そこにはシンプルで力強いテーマが謳われています。
それにしてもダイス船長、いい男です。そしてかわいい男です。
ずっと名前を間違えて覚えててごめんね。
なんでガンツ船長なんて覚えてたんだろう?誰だよそいつw
ガキの頃に観た時でもモンスリーとくっついたことが驚きこそしたものの不自然には感じなかったものですが、大人になってから観ると…これはあきらかに惚れるでしょう、うん。
もともとモンスリーは己の才覚を頼みにして生きてきたから、行動力のあるダイスとは相性がいい。
その上、可愛げがあるとくれば、最高です。
二人は実力を認め合う最高の戦友ですから、そういう関係って恋愛関係には発展しない可能性もあったんだけど、そのダイスの可愛げがあればこそお互いの居心地がいいのでしょう。
包容力って張り詰めた糸には宿らないものなんでしょうね。

2017年7月20日 (木)

昔のアニメにおける「外患誘致」

ツイッターでも呟いたけど、どうしても気になったので。
今「ヤマトIII」観てるんですよ。
あまり面白くないんでなかなか進みませんが。
シャルバート信者というのが出てくる。
宇宙に愛と平和をもたらすマザーシャルバートを信仰する宗教だ。
ガルマン・ガミラスもボラー連邦もこれを弾圧しており、古代はそれをよく思っていないという構図だ。
ガキの頃の俺もその構図を受け入れていた。
しかし、ボラー連邦のミサイル群がガルマン帝国の帝都を襲った時に、迎撃システムが上手く働かず市街地への着弾をゆるしてしまった。
シャルバート信者が迎撃システムへの妨害工作をしていたからだ。
テロだー!
外患誘致だろこんなのw
これじゃあ弾圧されても仕方ないのではなかろうか。
だが、問題はこれではなく、暫らく経ってから後の古代とデスラーの会話だ。
なぜシャルバート信者を弾圧するのかと問う古代に対してデスラーは神は二人も要らないと答え、先日のシャルバート信者のせいで帝都にミサイル被害が及んだ件については全く認識すらされていなかったのである。
この牧歌的な「違う国や違う文化の人々と仲良くし弾圧などしないのは無条件にいいことだ。その崇高な理想のためならいくら犠牲が出ても構わない」という発想ってヤマトIIIに限ったことではなくて、ゴッドマーズでも存在も知らなかったマルメロ星の王女を追い返さずにかくまったために地球が攻撃されたのにタケル達は何の罪の意識もなかったって例があるから、当時の空気としては問題がなかったんだよなあ。
今ではそんなことはないけど。

2017年7月13日 (木)

ポケモンサンムーン語りその17~ヒロインの活発化

ポケットモンスタームーン(3DS)も着々とクリアに向けて進んでます。
8月頭の大逆転裁判2までには取り敢えずエンディングまでは行く、という目標はギリギリ達成できそうです。
…本当は余裕で達成できるスケジュールだったんですけどね。
ゲーム時間の確保は年々、厳しくなるなぁ。
誰もがそうだと思いますが。
さてリーリエが髪を切りました。
引っ込み思案な女の子が覚悟を決めて一歩を踏み出す、その王道の演出です。
アニポケXYのセレナで見たばかりだとは思いましたが、逆に「それだけに」予想していなかったので意表を突かれました。
ワンパターンは避けるだろうという無意識の裏をかくのは、むしろワンパターンではないのかもしれません。
で、髪は一気に伸びませんから、ヒロインが髪型を変える演出はロングヘア→ショートカットの一択です。
髪がすぐに伸びるのはラブプラスとファイヤーシスターズの妹の方と千年盗賊の首領だけで結構です。
まぁ、金髪のギャルが真面目になったり全国のみんなに坊主になって謝ったりという変わり種もありますが、それはそれ。
おとなしかったヒロインが活動的になるわけですから動きやすい髪型になるのは自然なことなのでしょうね。
とは言え、たまには別のパターンも見てみたい。
そこで思いついたのですが、ロングスカートからホットパンツへの変化というのはどうでしょう。
眼鏡→コンタクトレンズのバリエーション。
ミニスカートと言いたいところですが、ミニスカートのキャラはありふれすぎているのでさほどインパクトはありますまい。
あと麦わら帽子の鍔を一部を残して切り取って野球帽風にしてしまうというのも面白い。
何にせよヒロインが目覚めて活発になるストーリーは春の訪れにも似たカタルシスがあるだけに、廃れることはありますまい。
それを表現するビジュアル面の変化のパターンがもっともっと増えていくといいですね。

公式サイト
http://www.pokemon.co.jp/ex/sun_moon/

2017年7月11日 (火)

本当に入浴しなかったのか

ダンジョンで出会いがうんたら略称「ダンまち」の温泉編を借りてきて観た。
まぁ要するに本編には水着回がなかったので番外編で1本だけ出しましたという以上の感想はない。
終盤でいきなり大量に出てきて全く感情移入していない仲間キャラの日常場面を観ても困惑するしかないのでした。
さて、RPG風世界における水着なり水泳なり入浴なり。
まぁ、そもそも中世ヨーロッパ風社会には現代風の水着なんてないので物語世界にリアリティを与える意味でも全裸で泳ぐべきではある。
(※若干の着衣はあったんだろうが専用のものじゃないからデザイン映えしないだろうし)
決して劣情を滾らせての発言ではなく真実の描写を求めるが故の真摯な提言と取って頂きたいのだが、映像化するための必要悪なのも分かるので涙を飲んで水着で我慢するとしよう。セパレート水着いいなぁ…。
そして、もう一つの「そもそも」。中世ヨーロッパに入浴の習慣なんてあったの?という点。
これに関しては未だによく分からない。
中世の都市が水不足に悩んでいて煮炊きもビールで行っていたという事実はある。
清貧の思想において過度の入浴は贅沢とされていたのも分かる。
もっと清潔ならペストであんなに死ななかったというのも分かる。
しかしそこからほぼ全く入浴しなかったかのような結論が導かれるとは思えないのだ。
だって汗ばんで気持ち悪いじゃん!
だから中世ヨーロッパ人は水不足で入浴できずそれ故に香水が発達したのだという説には組みしたくないのだけど、説得力ある反論もできなくてなんともスッキリしないのであった。

2017年7月 7日 (金)

コブラの好きな台詞

コブラの好きな台詞を思い出す限り並べてみる。
「だが神は天にいて地上を見下ろすだけでいい…手は出すな!」
「だが運賃は高いぜ。何せダイヤモンドを燃やして走る黄金の汽車だからな!」
「最終兵器か…そのためにキャシーとジェーンが死んだ。俺はそいつを見つけ出して…この手で叩き壊してやる!」
「いよっ!大統領かっこいい!」
番外編でゴクウのも
「エンジンには内緒にしといてくれ」
「何ができると思う?お前の身体にでかい穴をあけてやることさ。身体に風が通ればてめぇも少しはじぶんのやったことを後悔するだろう」

こうして並べて見るとわたくし反骨系や軽口が好きなようです。
自分の意思や価値観を抑えつける者を嫌う。
しかし自分だってそんなお偉い奴でもない。
明らかにわたしの血肉になってますね。
あんな格好よくはなれませんがw

2017年7月 5日 (水)

ラストファイトはそこだけ切り取ると「つまらない」

「CRPGでラスボス寸前でやる気がなくなる」
定期的に出てくる話題でついこないだもツィッターを賑わせていた。
俺自身はそういうことは殆どないのだが気持ちは分かる。
仕事が忙しくなってゲームから暫く離れなきゃならんことは多いが、それがラスボスを前にしたあたりだとより億劫だからだ。
ラスボス戦を楽しむためにはそれまでの経緯が分かってなければならず、言わば思い出貯金を取り崩しているようなものだ。
B.Bという漫画があった。
少年サンデーに連載されていた石渡治作のボクシング漫画だ。
この人の漫画は続編のLOVEもそうなんだが、決勝戦自体はあまり面白くない。
準決勝までは様々な長所を持つ強敵との具体的な駆け引きが描かれるのだが、決勝戦の相手は凡ゆる点で最強なので駆け引きの通じる余地はあまりなく、そのためか試合は要所要所のみが描かれ、その間をかつて戦ったライバル達やその関係者の解説や思い出トークで埋められているからだ。
しかし、だからと言って盛り上がらないということはなく、逆にこれが異様に盛り上がる。
かつてのライバル達の「俺達の夢の行く末を見届けよう」という気持ちとシンクロしてしまうからだ。
CRPGにおけるラスボス戦というのはまさにこれだと思う。
それまでの中ボス達が属性があるとか能力が偏っているとかで攻略の楽しさがあるのに対して、ラスボスは弱点がないからそれまで育ててきた最強最良の手段をぶつけるだけということが多い。
しかしその最良最強の手段が最良最強たり得ているのはこれまで大切に育ててきたから。
その想いが蘇り主人公達の気持ちとシンクロするからこそ面白いのであって、その要素を省いてしまえば些か作業なのだ。
だからキャラの思い出をプレイヤーとして思い出さなければならないのはストレスだ。
ましてや主人公とシンクロするという熱中は体力と精神力を消耗するし。
ラスボス戦が面倒くさく思える理由の一つはこれなんだと思う。
ゲームは、特にCRPGは時間がある時に一気に遊ぶ時に最大限の快楽が得られるジャンルなのだ。

2017年7月 2日 (日)

サルまん2.0

連載中も気にはなってたけど結局はチェックしなかったサルまん2.0
10年を経て単行本化されたんで読んでみました。
で、凄く面白いし連載終了する必要はなかったんじゃないかと思うものの、「漫画を研究して笑い飛ばす漫画」としては、鬼の居ぬ間に洗濯と言うか本家たるサルまんの提示した漫画分析はネット上のフォロワーが根こそぎやっちゃってて、2008年当時には「今さら」だったのかなぁ、と。
凄く面白いというのも、鳳ヘボンというライバルキャラがとにかく立ってて続きが気になって仕方がないくらいなんだけど、そういうギャグ漫画としての面白さ。
それだけじゃ竹熊さんは満足できなかったということなんでしょう。
サルまんがスピリッツに連載されていた90年代末ってのは漫画が市民権を持ち始めていた頃で、高校生や大学生になったら漫画からは卒業する、というそれまでの空気が一掃されつつあった。
それに対し「サラリーマンが漫画なんて読んで嘆かわしい」という投書が新聞や雑誌に載っていた。
そんな抵抗勢力に対する理論武装を我々は必要としていて、脳内にはサルまん的な「分析」が体系化されない生命のスープのような澱として煮凝り、或いは燻っていた。
「俺達は現実と漫画の区別くらいちゃんとつけてる。その上で娯楽として楽しんでいるのだ。その証拠に漫画をメカニズムとしてキチンと分析し距離をとって俯瞰できるのだ!」
そういう「老害を鼻で笑うような態度」。
そのための武器として漫画分析は必要であり、その需要にサルまんは見事に応えたんだと、サルまんのヒットを少なくとも俺は捉えている。
だからサルまんの続きはサルまんのままでは「俺達のサルまん」ではないのだけど、この「2.0」もメタ漫画のタイムカプセルとしては依然として面白いわけです。
ところで、アンチの酷評をパロった後書きも楽しいが、アンチが何か言って来た時に「考察が浅い。せめてあの後書きレベルにはなってくれ」と門前払いするための予防線に思える。
ここらへん竹熊さんも相原さんもネットで揉まれたんだろうなぁ…。

小学館公式サイトの該当ページ
http://comics.shogakukan.co.jp/book-series?cd=46116

2017年6月23日 (金)

根っからの悪人ではない、の難しさ

未来少年コナンを借りて観始めました。
つい最近タイガーマスクを観直して殆ど内容を忘れてて新発見があったり感動を新たにしたりしたもんですから、なんか昔のアニメが観たくてムラムラと。
この傾向は続くんじゃないかな。
さてコナンと言えばモンスリーです。
厳しいお姉さんだったモンスリーが味方になってダイス船長の奥さんになったら別人のように優しく柔らかい表情になったことに、少年の頃のわたしはすごくドキッとしたのでした。
モンスターみたいで変な名前!クスクスwとか笑っててごめんなさいしたのでした。
第一話はそんなモンスリーの初登場。
ラナを探してファルコがのこされ島に飛んできた時には「やったー!」という感じです。
とは言え喜んでばかりもいられません。
モンスリーが来たということはおじいが死んでしまうのですから。
ドキドキしながらファーストコンタクトを見守ります。
悪役の頃とは言え、あまりひどいことをして自分の中のモンスリー像が崩れやしないか、と。
そしたら確かに高圧的な態度ではありますが、彼等の事情や背景が伺える描写で決して冷酷非道なモンスターではないことが分かる。
思うに最初から後で仲間になることを想定しての描写なんでしょう。
続くおじいの死だってモンスリーが全く関係ないとは言わないが、不幸な事故の範疇と言えるでしょうし。
(これがクシャナ殿下になると明確に彼女に責任があります。まさに血塗られた道であることの描写)
こういうのって意外と難しいんですよね。
他のアニメでもあからさまに後で味方になりそうな人が誘拐や人質作戦に抗議したりする描写がありますが、作為を感じて醒めることも多い。
それに初登場時の悪事くらいコロッと忘れる観劇の作法を我々は身につけている。
テリーマンや海原雄山やトキやラオウも最初はひどいやつだった。
初登場時の悪事は読者に憎い敵と思わせるための方便であり、後で人気が出て実はいい人だったことが分かれば作者と読者の阿吽の呼吸でなかったことにするのが、歌舞伎の黒子、ドラマの赤ちゃんのフサフサ髪同様の作法だ、というのは以前から何度か述べています。
だからモンスリーがもっと分かりやすい悪事を働いても「いつものこと」として受け入れた筈ではあります。
しかし、そういう王道を敢えて採らずに一歩でも間違えればわざとらしく取られる危険もある「根っからの悪人ではない」描写に賭けた。
モンスリーは制作側に愛されたキャラだったのでしょうね。

2017年6月21日 (水)

バンクを嫌う理由

中高生の頃の俺は「ロボットアニメは30分の広告」という言葉にわりと腹を立てていた。
まぁ、当時からひねくれていた俺のことだから、何処かで聞き齧ったその言葉を、自らも言っていたかも知れない。
しかし、アニメを制作したり放映したり玩具を販売したりする側がそれを言うのはたとえ自虐だとしても聞く方は面白くないと思っていたし、本気だったら随分と馬鹿にされたものだと憤慨していたのだ。
そのことを久しぶりに思い出したのだが、今になって気づいたことがある。
ああ、「だから」バンクの多用が嫌いだったんだ、と。
もちろん同じシーンを何度も繰り返すバンクが好きな人はあまりいないだろう。
アニメ「北斗の拳」で何度も何度もシンに7つの星をつけられるシーンが流れて、その度にいい加減にしろと思っていた人は多いのではないだろうか。
だがそれとは別に俺にはこういう気持ちがあったのではないか。
「こんなことやってるから広告に過ぎないと馬鹿にされるんじゃないか」と。
誰でもカネがほしい。
それは理解しよう。
でも札束で頬を叩かれたくはないのだ。