Powered by Six Apart

学び・教育 Feed

2013年10月13日 (日)

ナナミと一緒に学ぼ! English上達のコツ(3DS)

ギャルゲー要素のある英語学習ソフトと聞いて買ってみた。
だが、何かストーリーが展開するわけでもなく、これではギャルゲー要素とまでは言えないだろう。
せいぜい講師を務める女の子の服装と髪型を選べ、それがどんどん増えていく程度だ。
まだ全て解いていないので、実はギャルゲーチックなエンディングがあるのかも知れないが…。
で、その声が人気声優の花澤香菜だというのが、このシリーズの人気の秘密なのだろう。
パッケージ版だけでDSで2作、この3DS版は3作目、その他にダウンロード専用版が何作かあるというのだから大したものだ。
だが、そんなにシリーズを重ねているにしては、こなれていない感じだ。
細かい不備を挙げていったらキリがないのだ。
iとlを書き分けなきゃならん無駄にストイックな手書き認識や、選択肢問題ではタッチパネルなのに選択肢そのものじゃなくそのアルファベット(「A:WAS」「B:did」…とタッチパネル中央にあるのに、わざわざ下の方に別に並んでる「A」「B」「C」)をタッチせなならん仕様、1画面に収まるように配置できそうなのにわざわざ縦に並べるからいちいちスクロールせなならんレイアウト。
単語を並べて作った英文の途中に入れ忘れた単語を挿入したい時、いちいちその後ろの単語をいったん全て消さないといけないのに至っては、作ってる時に誰も気づかなかったのか。
さらにはどのモードも問題数が多すぎてちょっと空いた時間にやるには向いていないこと、で、途中でやめたら残りの問題全て白紙回答と判定されて不成績を詰られる。
パーフェクトを目指すのも、正解した問題までもう一度やらされるのは面倒だし。
やはり、ストレスなく進行できるという点で「えいご漬け」は頂点にあり、フォロワーたちは及ぶところではないわけだ。
もう少しユーザーの視点に立って、と思うのだが、3作目でこれじゃもう期待できないんだろうな。
ところで、このゲーム「ネクレボ」という学習ソフトシリーズに含まれている。
ネクレボはPSVITAで何作品も出ているのだが、普通は3DSでギャルなし、VITAでギャルありの展開にするところ、何故か逆になっているのだ。
他の会社がやらないことをやるソフトメーカーなのかも知れないな。

2013年9月 5日 (木)

筆記体だけストイック

「えいご漬け」(DS)で筆記体の「r」を認識してもらうコツがやっと分かりました。
右側のアールを強調する感じでウンと曲げて書けばいいのですね。
もう休み休みとは言え1年以上もやっててやっと気付くとは。
まぁ、筆記体は認識しない、認識してくれているように見えるのは、認識が甘めであるこのゲームでは活字体と筆記体が(例えば「a」や「d」のように)そうは違わないアルファベットについては誤認識でOKを出してくれるからだ、と思い込んで、最初にちょっとだけ試して諦めていたってのがあるんですけどね。
以前、twitterで、筆記体を認識しないことへの不満を呟きましたが、わたしの間違いだったようです。
ただ、言い訳をさせてもらうと、活字体だと「T」や「B」みたいに急いで書くと上下や左右がバラバラになってしまうようなアルファベットでもちゃんと認識するのに、筆記体だと判定がストイックなんですよね。
コツが分かった今でも、特にマラソンやネズミ捕りなんかでは、つい急いで筆記体の「r」の右側のアールが直線に近いなだらかなカーブになってしまうと、もう認識してくれない。
どうやらこのゲーム、活字体については判定ゆるめ、筆記体については判定きつめであるようです。
まぁ、繋げて書いても認識してくれない以上(流石に無理なんでしょう)、ぶつ切りの筆記体では流れるように書けないわけで、わざわざ筆記体にする必要もないっちゃあないんですが、「b」「y」のように筆記体の方が一筆で書けて楽な場合も多いですから、筆記体もとりあえずイケることが分かっただけでも収穫です。
この活字体と筆記体で求められる正確性が違っているというのは、崩して書いた活字体で認識されないとイラッとするのに対して、ただでさえ崩し書きである筆記体をさらに崩すとなると理解して書いているのかそうでないか判断が難しいからなのでしょう。
こう言った細かい部分に制作側の考えが見えてくると、ああしっかり作ったゲームなんだな、ということが分かります。
それにしても3DSではこういうゲーム性の高い実用ソフトがあまり出ませんね。
ブームに関係なく細く長く店頭に置かれるソフト、というジャンルが途切れるのは、ゲーム人口の拡大ってことを考えると残念なことです。

2013年9月 1日 (日)

祝!「子ども」表記廃止

8月30日に報道された「子ども」表記をやめて「子供」表記へというニュース。
実に胸がすく思いだ。
鬼軍曹が新兵に向かって「おい、クズども!」
侠客が手下に向かって「野郎ども!」
奴隷商人が攫ってきた子供達に向かって「やい、クソガキども!」
平仮名の「ども」は、これら用例に見られるように、もっぱら対象に対し粗野かつ粗暴な怒声で萎縮させようという意図のもとで使われる複数形であり、この前提に立つと「子ども」なる表現は「子供」を「子」とぞんざいに縮めた挙句、さらには「ども」を付して脅しつけている光景が容易に目に浮かぶたいへんに胸糞の悪いシロモノ、こんなものを「子供の供は差別表現だ」などという失笑すべき理由で持ち上げてきた「自分達だけが子供の味方である」というファンタジーに酔い痴れた連中には呆れるばかりだったのだが、その連中が行政に押し付けてきた不自然な表記が今こうしてなくなってきていることに、快哉を叫ばずにはいられない。
これを機に熟語の一部だけを平仮名にする不自然な表記は可能な限り無くしていってほしい。
文章に自分の知らない漢字が使われている時、人は新しい勉強の機会だと思うべきだ。
人生は一生かけて死ぬまで勉強だ。
知らない漢字が使われていることに不快感を覚えたりするのは恥ずかしいことだ。

2013年8月 3日 (土)

対数は実用的だった…

とっくに9月号が出ているというのにやっとNewtonの8月号を読み終わった。
理由は明らかで、対数特集を理解するのに時間がかかったのだ。
しかし、編集部の対数に興味を持ってほしいという目論見はある程度、効果があった。
自分が高校時代になんで対数が嫌だったか納得がいったからだ。
もちろん、最大の原因は俺が怠け者だったからだが、それは横に置いておいて。
aのc乗がBなのをわざわざlog aB=cなどと書いてわざわざ計算を難しくする意味は何なのか、それが実生活で何の役に立つのかが全く分からない、まさに計算のための計算なのではないか、というのが高校生の頃の対数に対する実感だった。
その尤もらしい理屈は常に怠ける理由を探している俺のような人間に最大限に利用され、結果として俺は対数が嫌いだったのだ。
まぁ、好きな教科もなかったが。
しかし、このNewtonの特集で対数は計算を難しくするどころか、桁数の多い数同士の掛け算で楽をするために考案されたのだと知って衝撃を受けた。
掛け算を対数の計算に置き換えて対数表で結果を求め簡単な計算をした後で対数表を逆に使えば、その「簡単な計算」だけで元の掛け算の積の概数が求められる。
考えてみれば尤もな話で、足し算で楽をするために掛け算はあり、鶴亀算で楽をするために二次方程式はある。
算数や数学は高度になればなるほど楽ができる、という考えを学校の勉強に付いていけていた中学くらいまでは持っていたのに、付いていけなくなったら何時の間にか捨てていたというのは我ながら面白い心理だ。
つまるところ俺は学校の勉強に付いていけていた頃は、この考えを受け入れることで、自分はあくまで楽をしたいのであって決して良い子ちゃんなわけでもガリ勉くんなわけでもないと(厨らしく)ワルぶり、付いていけなくなると怠けるのに都合の悪いこの考えを捨ててそもそも実用的にどうなんだという詭弁に転向したのだろう。
話が逸れた。
対数は楽をするためのものであり、なおかつ実用的であった。
だが話はそれでは終わらず、特集を読み進めるうち、星の明るさやギターの音階やマグニチュードも対数であり、それは何故かという説明を得たことで対数への誤解は更に解消した。
俺は今までマグニチュードとは1増えるとエネルギーは約32倍、2増えると1000倍になるという定義を耳にする度に、何故そのような紛らわしいことをするのか、マグニチュードの数字はエネルギー量に正比例させればいいではないかと考えていた。
しかし、星の明るさを示す等星表記はもともと昔の人が全天の星を最も明るく見える一等星からやっと見える六等星までの六段階に分けたものであるが、実際に光の量を測ってみると光の量が2.5倍になると等星の段階が1つ上がるように区分されていたこと、このことから人は2.5倍くらい明るくならないと違いを体感できないことが分かったこと、よって正比例させたのでは却って実感とかけ離れること、「だから」正比例ではなく対数なのだと説かれると納得せざるを得ない。
対数は頭のいい人たちが難しい計算をパズルのように楽しむ娯楽なのではなく、実際に実用的だから使われているのだと思い知らされたことに、俺は実に盲を開かれた思いなのである。
マッタク、こんなこと高校の時に誰も教えてくれなかったぞ!
知っていれば俺も少しは…いや、その時は別の屁理屈を捏ねてやっぱり勉強しなかったでしょうね、すいませんw
それはそうと、「風立ちぬ」にも出てきた計算尺は対数表の参照を手動で行えるように目盛りが刻まれていることもこの特殊で言及されていたが、これは映画公開に併せてのことなのだろうか?
映画への言及が全くないし偶然なんだろうな。
実にタイムリーである。

2012年9月19日 (水)

書き順ごときに使われない

俺はアラビア数字の「7」は一筆書きで書く。
正しい書き順通りに書いたら1画目と2画目が離れてしまった時に「17」と受け取られる恐れがあるからだ。
同じような例で漢数字の「千」は1画目の斜めのハネを敢えて「干」のように左から右に向かって引く。
こうすることで1画目の左下と2画目の左がくっついて(或いはくっついて見えて)アラビア数字の「4」と見分けが付かなくなる危険が激減する。
何れも正しい書き順を知っていながら、敢えて自己流で書いているケースであり、「正しい書き順」が劣ったやり方だからこそ無視を決めているというわけだ。
前にも門(もんがまえ)や口(くにがまえ)を使った漢字について、正しい書き順で書くと具が溢れて字が汚くなってしまうから敢えて具を書いてから皮で包んでいるというエントリを書いたことがあるが、今回、紹介したのはそれと同じ例。
前回のは、ただ字が汚くなるというだけの理由だったが、今回のは正しい書き順が数字の誤謬を生む、すなわち機能的に劣っているというもっと切実な理由だ。
俺は正しい書き順というのはあっていいと思うし、共通認識としての正しい書き順があれば他人に漢字を説明するのに便利だから、義務教育のうちにちゃんと学んでおくべきだと思う。
しかし、何がなんでも正しい書き順でなくてはとまでは思わない。
先ほどの例で言うなら、7つ発注したつもりが17個の発注になってしまっても、何が何でも正しい書き順じゃなきゃと言った奴が責任を取ってくれるわけでも代わりにカネを払ってくれる訳でもないからだ。
正しい知識を身につけた上で、その正しい知識が間違っている状況では臨機応変に対応する。
それが知識に使われないということではないだろうか。

2012年9月 8日 (土)

キリッマークがほしい

大真面目な口調、岩清水弘のような表情。
とにかくすごく真剣な感じを出したい時に語尾につける「(キリッ)」。
真剣な感じを出したいだけで実は真剣でもなんでもなくむしろ茶化しているような場面の方が多い気もするが、気にしない気にしない。
これをたった1文字で表せる記号はないかなぁ、ないなら作るべきなんじゃないかなぁと思うわけです。
だって5文字も使うなんてスペース食い過ぎ存在感過剰。
!や?のような…敢えて言うなら真剣符とでも名付けられそうな1文字の記号があれば凄く便利だし、目立ち過ぎることもない。
エクスクラメーションマークやクエスチョンマークに並ぶ言い方としてはシリアスマーク。
ビックリマークやハテナマークに対応するのはキリッマーク。
できないものかなぁ。
まぁ、コンピューター上で新たな文字を作るのは至難だから実際には無理だと思うから既存文字の流用という方法しかないだろうけど、想像して見るのは楽しいもんです。
で、何かを熱弁する時、人差し指をビシッと立てたり、握り拳を前に突き出したりしますよね。
その象形ができればいいわけです。
既存の文字なら大文字のLを使うのもいいかもしれません。
縦棒が人差し指、横棒が親指という感じで。
用例:ミニスカートの下にジャージなどあってはならないと思いますL。
…ああ、やっぱり駄目ですね。
♭(フラット)でも同じだろうし。
そういう意味で(笑)を1文字で表現できる「w」は凄い。
最初は何を書いているか分からなかっただろうに、みんなでしつこく使ううちに定着したわけでしょ、あれ。
だから、最初は無理があってもコンセンサスさえ取れれば…。

2012年8月14日 (火)

heandshe

えいご漬け(DS)をやってたら、“his or her”という表現が出てきて溜息が出た。
You shouldn't judge a person by his or her appearance.
人を外見で判断してはいけない。
という例文なのだが、外見を表す英熟語が his or her appearance なわけだ。
なんだ、この回りくどい言い方は!
hisならhisだけ、herならherだけ、どちらか不明ならhisだけでいいではないか。
この最後の「どちらか不明ならhisだけ」が女性蔑視だとでも言うのか。
どうせアメリカのフェミニストが押し付けた言い回しなんだろうと一気にシラけた。
(本当のところは知らないが)
ル・グインが「闇の左手」で主人公の旅の仲間である両性具有異星人の代名詞をheにするかsheにするか悩んで一時はteという新語を作ろうとまで思ったが流石にそれは(モノカキとしての美意識がゆるさなかったのだろう)思い留まってheにした、といういかにもフェミニストらしいエピソードが後書きに載っていて、なるほどと思う反面、馬鹿馬鹿しいという気持ちも湧き上がってきたのを思い出す。
(まぁ、teをどう邦訳するのか見たかった気もするが、それはそれ)
どんな言葉であれ過去から使われてきたということは、そういう歴史があったということであって、自然消滅するなら別にいいが、意図的に消し去るなどどうも好きになれない。
たかだか数十年くらいの歴史しかない言葉ならまだしも、数百年だ。
それがどんな慣習であれ、かつてあったことをなかったことにする、きちんと向き合わない態度は情けない限りではないか。
とは言え、his or herと熟語だから回りくどく感じるのであって、hisorher(ヒゾーアー)と1つの単語であったなら気にならなかったであろうというのも事実。
「闇の左手」ならhe and sheを繋げてheandshe(ヘンシェ)。
うん、なかなかカッコいいぞ。
でもル・グインなら当然、teに至るまでの試行錯誤の過程で思いついていたはずで、採用しなかったにはそれなりの理由があるはず。
…まぁ、単純にスペースを入れ忘れたと取られやすいってことなんだろうけど。
それにしても、こうして書き連ねていると、なんだかんだで俺も自分の好き嫌いしか言っていないことに気づく。
言葉へのこだわりってそういうものだけど。

2011年10月12日 (水)

掛け算の順番

だいぶ前から小学校の算数における掛け算の順番の考え方について議論がある。
2個ずつの林檎を3人に配ったらトータルで林檎はいくつかという問題で、答案用紙に2×3=6と書けば正解だが3×2=6と書いたら不正解であることに対して、それはおかしいという人と、いや計算の根底にあるものの考え方も重要だからやはり不正解でいいのだという人で意見が別れているのだ。
俺は、そんなのどちらでもいいだろう馬鹿馬鹿しいというスタンスだ。
そもそも算数が社会に出て役に立つためには、概算でだいたいのことが分かる必要がある。
エクセルで作った表の数字の上をざっと視線を走らせただけで、あれ?この数字、おかしくないか?と分かるのが実用的な算数だ。
つまり、如何にして楽をして結果を出すか。
算数なんか社会に出ても役に立たないという人は、成績の良し悪しに関係なく、馬鹿正直になんでも計算で出していたのだろうと思う。
そのことを今日の飲み会で改めて感じた。
5人で飲んで9400円だった。
ワリカンでは1人あたりいくらになるのか。
そしたらあんた、わざわざ9400÷5を計算する人ばかり。
俺はイライラしながら黙っていた。
そんなの2倍して0を1つ減らせば一発だろうが!
こういう手抜きの発想がないというのは、掛け算の順番に代表されるような杓子定規な教育の成果ではあるまいか。
楽をして結果を出すことにストイックな反発を覚えるのは日本人特有の真面目さから来るものなのだろう。
確かに、その真面目さを伸ばした方がいい子供もいる。
しかし、そうじゃない子供もいる。
「ゆとり教育」と言いながら、両者を1つの枠にはめるのだけはやめられなかったのが日本なんだよな。
俺のように努力が嫌いで根性がなくてチャランポランな人間には生きづらいよなぁ。
あ、それとも俺のような人間を矯正するのが目的なのかな?