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2016年9月26日 (月)

国会図書館デビューしました

初・国会図書館!
国内のあらゆる出版物を網羅する国会図書館には一度、行ってみたいと思っていました。
今回の目的は
1.あるプレミア付きのコミックスのうち特定の一話だけが読みたいので、それをコピーすること。
2.ある漫画の連載中はカラーページだったがコミックスでは(さらには電子書籍でも)白黒だった話のカラーが見たいので、それもコピーすること。
の2つ。
でも、慣れないこともあってけっこう大変でした。
そもそも最初は9/25(日)に行って休館日だったことからケチがつきはじめます。
東京メトロ半蔵門線永田町駅の2番出口。
そこを使う人が多いんでしょうね。
改札を出たところにわざわざ休館日です、と看板が立ってましたw
…休館日くらい調べてから行けってハナシですが、言い訳をさせてもらうと、だって殆ど全ての図書館は月曜日が休館日じゃないですか。
しかし考えてみれば、国会図書館は貸出を行わず国内出版物の保管を主目的とする特別な図書館。
一般の図書館が日曜日に空いてるのは利用者が借りやすいように便宜を図っているだけなのですから、そんな配慮を行わなくていい以上、他の官公庁と同様に日曜が休館日なのは仕方がないのでしょうね。
というわけで9/26(月)に再チャレンジ。
でも、旅行最終日なんですよね。
13:55羽田発に間に合うか?
そのためには9:30の開館と同時に入館し、遅くとも11:30には終わらせたいところです。
…危なかったw
ミッションコンプリートは11:20でしたよ。
みなさんもこれから利用することがあるでしょうから、わたしの失敗談や気づいたことを書いておこうと思います。

流れは次のとおり。
1.検索端末で目当ての本を見つけて決定する。それを受けて司書さんが巨大な書庫から本を探してくる。だいたい20〜30分はかかるので静かに待つ。探し終わると検索端末に資料が揃った旨が表示されるので、5分おきくらいにチェックを入れる。
2.カウンターに本を取りにいく。
3.中身をチェックしほしいページが何頁から何頁までか決めて、fromとtoに栞を挟む、さらに司書さんにコピーをお願いする(自分ではできません)ための書類をプリントアウトし、必要事項を記入。コピーをお願いするカウンターに持っていく。
4.きみはコピーが終わるまで待ってもいいし、後日の郵送をお願いしてもいい。

簡単そうでしょう?
でも、本と雑誌は別のコーナーなんで別々に処理しなきゃならないのと、雑誌の検索にはコツがあってそれがなかなか分からなかった上にミスして別の号が来てしまったことで時間がかかってしまいました。
まず端末の検索画面自体が雑誌以外の普通の本に向けてレイアウトされてるんで分かりにくい。
「少年マガジン」で検索しても殆どヒットしなくて「いや、そんな筈はないでしょ?」と。
マニュアルを熟読すること暫し。
そしたら一番右の目立たないタグにキーワード検索があったのでまずは「少年マガジン」で検索。
探している「週刊少年マガジン」を全件表示し、それを発行年で絞り込む。
そしてあらかじめ用意しておいたメモを元にほしい号を決定するわけです。
しかし、ここでミスが。
週刊漫画雑誌は背表紙に何号か書いてますよね?
その数字じゃダメなんです。
雑誌の号数って正式には増刊号も合わせた数字になってるようで、例えば40号がほしいと思って40号を決定したら別の号になっちゃう。
ではどうするか、表記の最後に(40)と書いてあるのが正解です。
週刊少年マガジン35(45)…(40)とある場合、創刊して35年目の年に出た(増刊やムックも含めた)45冊目で、背表紙に書いてあるのは40号、って意味なわけです。
ここを間違えるとみすみす40分ほどロスをするし、司書さんにも迷惑をかけることになります。
…でも、わかんないよね、こんなこと。すいませんw
他に気をつけるのは開館は9時30分だけど、利用者登録はその前からやっているということ。
利用者カードがないと利用できないんで、これは早めに行っておいてよかった。
さて、郵送をお願いしたんで届くのが楽しみだ♪

2016年9月25日 (日)

クラバート

水車小屋で働きながら魔法の勉強をする少年、クラバート。
しかし魔法使いの勉強よりも水車小屋での粉挽き職人としての仕事の描写の方が圧倒的に多く、それが殊の外に面白い。
少年が職人として一人前に、そして大人になっていく様子は頼もしい。
もっともそんな感じだから魔法使いとして強力になっていく感じはあまりしない。
キツい労働と勉学の日々の中で培われていくのは、専ら判断力や決断力や慎重さや勇気。
だがそれこそ少年が自分を縛る軛から脱出するのに必要な力であり、その後の人生でも大切になってくるものだ。
本当に大切な力は魔法じゃない。
シンプルなテーマがラストで結実し、実に快感だ。
クラバートが魔法を学ぶ水車小屋は近代的な学校ではない。寺子屋だ。しかも住み込みの。
生徒である職人にいわゆる人権はなく、教師でもある親方の所有物のようなものだ。
これはとても自然なことだ。
現代の学校でも教師は生徒にいうことをきかせるのに苦労する。
魔法で他人を意のままに操ることのできる人間が、その能力を使わないということがあり得るだろうか?
そしてできる以上は、生徒に課すルールもエスカレートして当然。
だから親方は最初から最後まで憎めなかった。
悪人ではあるが、環境で悪人になった人に思えたし、これはスピードワゴンでも否定できないだろう。
魔法は彼を不幸にしかしていない。
親方は若い頃の過ちから闇の道を進むしかなくなった人だ。
特にはっきり描かれているわけではない(※示唆されてはいる)が、悪魔に生贄を捧げる契約をしているのだろう。
その強大な魔力は、悪魔から見返りに与えられているものと思われる。
彼が不幸な人間であることを示すエピソードは多い。
例えばある場面で他人の手柄を素直に横取りしておけばいいものを拒絶してしまい、それが結果として傍目には潔い人物のように「見えてしまう」。
ここから彼は確かに悪人だが、悪人である以前に人間嫌いであることが分かり、その背景にあるのがあの事件だとすると、彼の辿ってきた道が朧げに見えてくる。
罪の意識から必死になって逃れるだけの人生であり、強力な魔法使いでありながら孤独で小さい。
行間からそんな人物像が浮かび上がってくるからこそ、終盤の嫌がらせの効果的ではあるが卑小な様子、異様さが引き立つ。
だからあのラストも必然だ。
呆気ないとの声があるが、延々と魔法の応酬などあっては、能力どおりの結果にしかならなくなる筈でそうならないと却って不自然になるし、これくらいがちょうどいいと思う。

偕成社公式サイトの該当ページ
http://www.kaiseisha.co.jp/books.html?page=shop.product_details&flypage=flypage.tpl&product_id=1845

2016年9月19日 (月)

ビブリア古書堂の事件手帖6〜栞子さんと巡るさだめ〜

つい最近、とっくに(1年半も前に)最新刊が出てたことを知り一気に読了。
好きなシリーズということもあるが、1冊丸ごと太宰の稀覯本の謎という大きな一つの事件を追う構成になっていて、飽きさせなかった。
その分、何時ものハートウォーミングな雰囲気は影を潜め、殺人こそないものの陰惨で重苦しい雰囲気に暴力の不条理までトッピングされ、登場人物が少ない…というか閉じた狭い業界の人間関係も手伝って、読後感はスッキリしない。
続きが気になる、というか続きでこのモヤモヤを晴らしてほしい気持ちが何時も以上に強いのだ。
人は暴力を振るわなくても相手の残りの人生を生きる屍のように食い荒らすことはできる。
前巻までは古書を巡るトラブルがあっても、それで深く憎み合うなんて大袈裟な、という気持ちが何処かにあったが、その半信半疑は一気に解消された。
さて、特筆すべきはワトソン役の五浦大輔の成長だ。
ホームズ役の栞子さんを十分に支えられる男となったのだが、知力でも体力でもなく、大胆な決断でそれを成し遂げたのが素晴らしい。
ただ、真犯人の決め手がなく、他の人はあり得ないから、というのは説得力としてどうか。
別にこのお話に限らず、「他の人はやらなかった」より「あなたがやった」の方がずっと相手を観念させる力が強い筈だから、相手がよほど物分りがいい場合を除いてはどうしても真犯人の潔さに違和感が残る。
今回の真犯人も描写自体が少なめなこともあって唐突な印象を受けた。

公式サイト
http://biblia.jp/works/

2016年9月 7日 (水)

ぼくは明日、昨日のきみとデートする

タイトルから分かるとおりタイムスリップもの。
それ以上のことを知っておくべきか。
ネタバレを排するという意味で言うならノーなんだろうが、彼女の秘密が分かるまではいささか退屈かも知れない。
かと言って俺のようにそれを知ってから読んだのでは、答え合わせになってしまう。
だがまぁ、どっちにしても同じことか。
これは全般的にトリッキーな設定がまず前提にあって、そこから矛盾が生じないことを最優先にしている、とても窮屈なお話だからだ。
もっと派手にできなかったんだろうか?
初めてできた恋人には秘密があり、不可解な出来事が起こる。
しかし、たいしたことのない不可解さだ。
矛盾をおそれてのことだろうが、この程度の不可解さだったら、彼女がタイムトラベラーであることの理由付けにはなっても、もう一つの理由付けとしては弱いんじゃないか?
テロとか天変地異とか凶悪犯罪とか印象深く多くの人間を巻き添えにするイベントが頻繁に起きていれば、読む方だって何故なのか真剣に考えるし、種明かしされたらそういうことかと手を打つことだろうが、恋人同士の間のことならタイムトラベラーじゃなくたって、彼女以上に不可解な女の子は何処にでもいるだろう。
人と人との出会いは運命に彩られていると考えると美しい陶酔へと昇華する。
このお話におけるタイムスリップもそんな運命の一形態なのだろう。
逃れられない運命に翻弄されて貪るように愛しあいたい、そんな欲望をこの物語は満たし…きれてないよなぁ。
惜しいw

宝島社公式サイトの該当ページ
http://tkj.jp/book/?cd=72261001

2016年8月22日 (月)

エルフとレーブンのふしぎな冒険3 帰らずの海と人魚のふえ

さすがに慣れてきましたw
2巻まではやすやすとピンチに陥る2人と1匹にイライラしていましたが、弥次喜多的というか太平楽なノリがこのシリーズの持ち味なんですね。
今回もあまりにあっさりと他人を信じてあまりに無計画に行動して海賊船に囚われて大ピンチです。
そう、今回の敵は海賊。
これまでの巨人や鬼や悪の魔法使いと違って、特に超常の力があるわけでもないのですが、悪事オンリーで任侠も反権力も全くない連中なんで危険度は少しも小さくありません。
そんな危険に立ち向かうためにこれまでよりずっと強力で使い勝手のいい魔法の助力を得るんですが、それでも状況に合っていないと効果は十分に得られないわけで、そこらへん工夫したり思わぬ障害があったりと、ディテールの細かさが面白さに繋がっている感じでした。
相変わらずウッカリだけど、すこーしずつ成長している2人。
面白かったですね。
読んでる最中、ずっと気になってた「まさか、御都合主義であれを取り返すんじゃないだろうな?」という不安も、軽めのオチで上手く回収してくれましたしね。
…あ、でも最初から笛をつかってればよかったのでは?という当然の疑問への回答がないのは、なんか釈然としないなぁ。

学研出版サイトの該当ページ
http://hon.gakken.jp/book/1020434900

2016年8月17日 (水)

ワンダー

奇形児として生を受けたオーガスト少年。
彼にはこの世が敵意で満ちているように思え、初めての学校も不安でたまらない。
われながらこの書き出しはよくない。
劇中でもオーガストのことを奇形児と表現した同級生が母親から注意されている。
だが、それ以外に彼の持つ障害を短く的確に表現することは難しい。
この悩みは、劇中で彼を取り巻く人間達のストレスと通じる。
オーガストはよき家族よき友人達に恵まれ彼自身も諦念からではあるが周囲にあまりわがままを言わない「よき障害者」だ。
しかし、よき家族よき友人達であっても、障害を持つ人と接することでストレスはたまるものだし、そのストレスは障害者に跳ね返っていく。
そこから脱するには乗り越えなければならない壁があるのだ。
最初のうちオーガストの顔はのっぺらぼうのマネキン人形のような「スタイリッシュ」に描かれているので、読者は劇中人物たちがオーガストから距離を置く様子を見て義憤を抱くことができる。
他人事のように正義感に燃えることができるのだ。
だが、序盤では敢えて具体的な描写が避けられていたオーガストの容姿が、やがて微に入り細を穿つ体で描かれ出すと、作者が読者の他人事のようなスタンスをゆるさないことが分かる。
R・J・パラシオが不動明の口を借りた永井豪のように「みなさんも参加するのです」と言ってきているのが伝わるのだ。
1冊で1学年が経過し最後に表彰式がある構成はどこかで見たような気もするが、王道であるがゆえと捉えたい。
頭でっかちな差別反対ではなく、他人と違っているのは事実としてそれと向き合い強く生きる力を手に入れることの大切さを謳った力強い一冊だ。
ところで、アメリカの子供向けアニメのタイトルやキャラ名が出る度に検索してたんで、思ったより読破に時間がかかってしまいましたw
「グレッグのダメ日記」はみんな読んでるんだね。

ほるぷ出版公式サイトの該当ページ
http://www.holp-pub.co.jp/books/53495/

2016年8月 5日 (金)

ゆめくい小人

とても有名な絵本ですね。
今回、手放すに当たって、これまでピンと来てなかった部分を考えてみました。
エンデの本である以上、子供向けであると同時に大人向けでもある筈ですからね。
子供に対するメッセージはシンプルです。
ゆめくい小人は悪夢を食べてくれますが、それはゆめくい小人だけの力ではない。
ゆめくい小人を一生懸命、探してきてくれたお父さんとそれを支えたお母さんの力も大きい。
どんなことがあってもお父さんお母さんは子供を守ってくれるという安心感を「すやすや姫」と読者の子供は共有できるわけです。
だからこそ子供はこの絵本を読み聞かせてもらって、すやすやと眠れる。
現実と作品内世界がいつしか渾然となるエンデ作品の真骨頂ですね。
で、ゆめくい小人が食べる悪夢はすやすや姫のベッドの周りにあった不気味な装飾そのものになっています。
そう、悪夢とは現実世界の反映に他ならない。
大人はそれに立ち向かわなければならないことを訴えているんじゃないでしょうか。
守られる立場、守る立場、それぞれに訴えかけるものがあるからこそ、この本は長く親しまれてきたのでしょう。

偕成社公式サイトの該当ページ
http://www.kaiseisha.co.jp/books.html?page=shop.product_details&flypage=flypage.tpl&product_id=898&category_id=7&keyword=ゆめくい小人

2016年7月29日 (金)

シンドラーに救われた少年

ホロコーストを生きのびたかつての少年が当事を語る迫真のルポ。
しかし、タイトルから得られる印象よりもずっと、少年自身の勇気と行動力の割合が大きい。
もちろんシンドラーの命がけの行いあっての生還ではあるのだが、それだけでは足りない。
どの要素が欠けても成し得なかった、まさに薄氷を踏むような綱渡りの状況だったことが分かる。
文章から恨みや憎しみを感じない。
レオン・レイソン氏はナチスドイツを憎んで当然の仕打ちを受けた。
にもかかわらず、この本からは激情を感じない。代わりに感じるのは靜やかなる威厳だ。
彼の故国・ポーランドがナチスに踏み躙られる前からポーランド国内でもユダヤ人迫害はあり、戦後、渡ったアメリカではユダヤ人ではなく黒人が差別されていることを知る。
その流れを彼はあるがままに受け止める。
ゆるすゆるさないではなく、自分を、家族を守るために受け止めるのだ。
彼が、そして彼が敬愛する彼の父やシンドラーがこれほどまでに強くなれたのは、ひとえに信頼の力だろう。
シンドラーはユダヤ人を守るためにナチスの高官とも友好関係を維持した。
敵意や軽蔑を漂わせていては、これは上手くいかなかったことだろう。
人は他者の悪意に敏感なものだ。
アーレントがナチス戦犯を普通の人間だと言ったように、
(こっちはフィクションだが)MASTERキートンで誘拐犯を信頼しなければ人質を返してもらうことはできないとの展開があったように、
相手が悪鬼の如き人間であっても、人間として接しなければ、信頼を勝ち得、目的を達成することはできないのだ。
それは悪人を憎むよりずっとずっと困難な戦いだ。
この本の作者が邦題のようにシンドラーの余禄のような存在だったら、俺も感動を覚えなかっただろう。
だが、レイソン氏はシンドラー同様に、その困難な戦いを成し遂げられる人だったのだ。
邦題に意義を申し立てたい!
そう思ってしまうのだ。

河出書房新社公式サイトの該当ページ
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309226354/

2016年7月24日 (日)

最初のRPGを作った男ゲイリー・ガイギャックス〜想像力の帝国〜

ダンジョンズ&ドラゴンズの作者・ガイギャックスの伝記。
ガイギャックスの名はその功績に比して広く知られているとは言い難いらしい。
アメリカでさえそうなのか、と思った。
日本でなら分かる。
本来のRPGであるテーブルトーク・ロールプレイングゲームは30年前に最初で最期のスマッシュヒットとなったっきりで、今でも細々と続いているに過ぎない。
だが、本国アメリカではそうではあるまいと「なんとなく」思っていた。
特に根拠もなく調べることもせず。
日本のTRPGがゲームブックに、次いでドラクエを初めとしたCRPGに駆逐されたように、
アメリカのTRPGもパソコンのRPGやトレーディングカードゲームに駆逐されたのだろう。
だが、それはガイギャックスの生み出したものがあまりにも当たり前のものになりすぎたからだ。
彼の生み出したものが概念であるとするなら、われわれは彼の作った空気を吸ってその中で生きているようなものだ。
このことを理解するには、ダンジョンズ&ドラゴンズ略してD&Dがウルティマやウィザードリーを生み、さらにドラクエに繋がった、という認識だけでは全く足りない。
作者はそれを分かっていて、ウォーゲームやミニチュアゲームからの系譜としたのだろうが、それでも足りない。
だって、それだけ聞いたら、コンピュータのなかった時代の今となっては遅れている不完全なゲームを作った人、みたいに勘違いする人が出てきかねないではないか。
ガイギャックスの仕事はゲーム以外にもサブカル全般に広範な影響を与えたと言い、著名人の名前やタイトルを列挙しながら、具体的にどう影響を与えたのか書かれていないのが、この本の物足りないところだ。
ゲーマーなら言わなくても分かることを言っていないので、ゲーマーには既知の、非ゲーマーには未知の情報で溢れた、よくある「ゲーマーが書いた文章」になってしまっているのだ。
とはいえ、作者も分かっているのか、ヒントが本文中にある。
ガイギャックスはミニチュアゲームの楽しさとウォーゲームの楽しさを融合した。
ミニチュアゲームは攻撃の成否がアバウト故に避けられ、その余波で兵士1人1人が1ユニットであるという今では当たり前の仕様も避けられていた。
複数の兵士で構成された部隊が1ユニットのゲームこそが広大な戦場を再現できることもあってウォーゲームの主流だった。
だが、後者はユニットへの感情移入という点ではミニチュアゲームに及ばない。
どっちも好きだどっちも楽しみたいという気持ちがRPGの原点であったという事実は、ゲーマーなら大いに感情移入できるであろう。
正反対の楽しみ方のジャンルを融合させるという方法は、ゲームに限らず映画でもドラマでも、果ては遊びとは関係ないビジネスの分野でも大いに試みられている。
D&D以前にヒットポイントというものは(なかった、と断言できるかは分からないが)広く採り入れられていなかった、という事実はさらに重要だ。
これは俺の想像だが、コナンや指輪物語などのヒロイックファンタジーの熱心な読者であったガイギャックスは、敵兵はバッタバッタと薙ぎ倒されるがヒーローは何度でも立ち上がることに論理的な理屈付けが欲しかったのだろう。
これはそれまでのゲームが攻撃されたら全滅か無傷、せいぜい後退や能力減少くらいしかなかったことからの偉大な発展であった。
ヒットポイントという数値を扱うことにした以上、それは紙に記録されていなければならない。
どうせならキャラごとの能力の違いが書かれているともっといい。
ユニットに直接、数値が描かれていたゲームに比べると、扱える能力の種類は圧倒的に多くできる。
ステータスという概念の誕生だ。
これなどゲーム以外に与えた影響は計り知れない。
キャラクターの能力を数値であらわした漫画はドラゴンボールを筆頭に数えきれないし、数値そのものが出てこないまでもゲームを楽しんで育ったクリエーターは以前に登場した強敵が新しい強敵とどのくらい違うかを理詰めで考えるようになっているし、読むこちらも能力値の比較でストーリーを捉えるようになっている。
当たり前のことのようだが、ガイギャックス以前には(これも「なかった」と断言できるか不安だが)広く行われていなかった。
そして、これは思わぬ副産物をもたらしたのではないか、と俺は睨んでいる。
能力値が設定され、それが記録されているということは、前回の続きが遊べるということだ。
なんてことをしてくれたんだ!
ガイギャックスはそれまでの生活の合間にゲームをする人の代わりにゲームの合間に生活する人々を生み出したのだ。
そう、俺はガイギャックスの被害者だったのだ!
もしかして貴方も!
ガイギャックスはD&Dを悪魔のゲームとこじつける宗教関係者やマスコミにかなりのバッシングを浴びたらしい。
全くもって言いがかりもいいところだと思うのだが、確かに俺はこんなゲーマーになってしまっているわけで…。
まさに彼は悪魔的に面白いゲームを生み出し、その影響は広く世界を覆っているのだ。

ボーンデジタル公式サイトの該当ページ
https://www.borndigital.co.jp/book/5873.html

2016年7月23日 (土)

エルフとレーブンのふしぎな冒険 (2) ばけもの山とひみつの城

今度の冒険の舞台は雪山。
表紙も華やかだった前回とは異なり、白を基調とした涼しげなものになっています。
それにしてもこの本、絵でだいぶ下駄を履かせてもらってますね。
前巻があまり好みじゃなかったのに2巻目も読んでしまったのって、明らかに表紙買いですから。
エルフの高坂桐乃っぷりに拍車がかかっているような気がしますが、却ってキャラが掴みやすくていいかも知れません。
さて、2巻の真ん中当たりからやっと面白くなってきました。
とは言え、相変わらずピンチに陥る「まで」がイライラする。
山菜採りで行方不明になる現代の老人でさえもっとマシだぞという準備不足の軽装で旅をしているし、いちいち考えが足りなくて、陥らなくてもいいピンチにわざわざ頭を突っ込んでいるように思える。
冒険というよりピクニックなんですよね…。
でもまぁ、それはエルフもレーブンもまだ10歳くらいだから、ということで。
…エルフの両親も、こんなんで冒険にOK出すなよw
その反面、いざ陥ったピンチを如何に切り抜けるかは、なかなか楽しめました。
洋の東西を問わず童話って、けっこう人間の醜い部分などの毒が入ってますよね。
1巻にはそれが足りなかったが、今回はちゃんとあります。
それは、世の中には他人への共感能力が全くない、話しても全く埒が空かない人間が存在するということ。
ましてや、魔法という使い方によっては他人を意のままにできる力がある世界とあっては尚更です。
思えば、前巻でもエルフとレーブンを襲った災難はとても理不尽なものでした。
作者セジウィックの言いたいことは、世の中は理不尽であるということなのかも知れませんね。
やっと作風が分かってきたんで、3巻も読んでみようと思います。
ところで、エルフが妖精と呼ばれているのが気になります。
エルフはあくまで妖精のような雰囲気の子だからそういう渾名なのであって、あくまで人間の女の子だった筈ですが…?
ここらへん伏線なのかミスなのかは3巻以降のお楽しみにしておきますかね。

学研出版サイトの該当ページ
http://hon.gakken.jp/book/1020434800