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2017年3月29日 (水)

小説 君の名は。

読了。
映画を既に観ていることが前提なのはノベライズの特性だけど、この物語の場合、一人称×2だけでも結構なボリュームになるから、それ以外の部分がどうしても駆け足に。
映像なら一目で済むところが長々と描写されることも手伝って、かなりデコボコとタイミングの合っていない緩急だ。
ゲームで言えばザッピングに当たる視点の切り替えもわかりづらくて、そこで止まるからテンポも思ったほどよくない。
だから、これは2人の内面を知る副読本のようなものだ。
瀧くんの周辺人物の比重が大きくて、逆に三葉の周辺が軽めなものだから、テッシーやサヤちんに感情移入する前にあの日がやってきてあれよあれよという感じ。
しかし、そこからは展開が加速。
臨場感という点で「あの日」周辺が最も面白い。
具体的な解決方法が省略されてるのは気になるけど、どう思ってどう決断するかが大切という考えで書かれてるんだろうな。
もう1冊、姉妹編があるようだから続けて読むけど、やっぱりこの1冊じゃ書き足りなかったんだと思う。

角川文庫公式サイト該当ページ
http://shoten.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=321603000121

2017年3月 3日 (金)

逆転裁判 逆転空港

つばさ文庫シリーズ第2巻。
逆転裁判恒例の「仲間が容疑者」。
裁判長はオドロキくんが容疑者として登場したことに異例だと驚愕してましたが、それはあくまで文庫シリーズオンリーの読者向け。
まぁ、いつものことだけど頑張れよwってな気持ちで読み始めました。
エンジンがかかってきたのか、前巻より遥かにエキサイティングな展開になっています。
第一巻が成歩堂弁護士を主人公として立たせることに集中してたんで、この巻では他のキャラクターを掘り下げている。
しかしあくまで主人公はナルホドくんなんで、弁護士としての姿勢を対比できるシチュエーションとして容疑者になったのでしょう。
実際、自分が疑われている事件なのに納得のいかない推理には口を挟まずにはいられない王泥喜弁護士には生真面目な奴だなぁ…と苦笑してしまいます。
今回は凶器の謎がよかった。
空港という現場の特殊性がオドロキくんの立場を悪くし、しかし最後には…という展開は、真犯人が策士策に溺れるという感じでしたし、その動機も情状に酌量すべき点もあれど利己的な感情もあって人間的でした。
御剣と真宵ちゃんを上手くストーリーに絡めてきたのもよし。
次はやっぱりあの人かな?

角川つばさ文庫公式サイト該当ページ
http://www.tsubasabunko.jp/bookdetails/index.php?pcd=321609000142

2017年3月 1日 (水)

逆転裁判 逆転アイドル

ノベライズ第一巻。
角川つばさ文庫ということで、ファンの裾野を広げるべく(であろう)対象年齢は小学校高学年以上となっている。
対象年齢が低いからと言って子供騙しな部分はないが、読みやすさを重視してナルホドくんは極めて敏腕。
うっかりミスをする回数はゲーム>アニメ>漫画と言ったところだが、この小説版では漫画版よりさらに少なくなっている。
時系列的に夕神検事が無罪放免になってる頃なんで、成歩堂もかなりのベテランだろうし、ここらへんは納得がいく。
オドロキくんやココネのサポートも最低限で、所長としての威厳を保っている。
次巻以降は部下達にももっと活躍してほしいところだけれども。
巻頭に事件現場のマップがあり、新たなマップの追加はないので、事件の全貌や推移が分かりやすいのはいいね。
犯人、被害者、被疑者のキャラがわりと普通の推理小説っぽくて、逆転裁判らしさはサブキャラでフォローしてるのは気になるところ。
それも次巻以降の課題かな。

角川つばさ文庫公式サイト該当ページ
http://www.tsubasabunko.jp/bookdetails/index.php?pcd=321601000084

2017年2月16日 (木)

エルフとレーブンのふしぎな冒険5 くらやみの町と歌う剣

前巻に続いて頼りがいのある強い味方がパーティーに。
…どうせならもっと早い段階で仲間になってればよかったのに。
ゴブリン・キングとの最終決戦を次の最終巻に控えてやっと戦力が整ってきて、エンジンがかかってきた感じです。
前巻の砂漠の冒険で歌う剣を第三者に掻っ攫われて、これはトリックスター的第三勢力の登場かと期待してたらあんなオチ…。
がっかりというか拍子抜けしてたら、別方向から戦力が増強されて戦う準備も整って、予定調和が微妙にサプライズになってて、緊張感の中にもゆるさを失わない本シリーズ特有の空気が漂います。
運命や予言に御膳立てされても、どこかおかしみがあるんですよね。
さて毎回、表紙が素晴らしいわけですが、くらやみの町の名に違わないハロウィンっぽいおしゃれホラーな感じがたまりませんね。
パープルの夜会服がとてもよく似合ってます。
…でも、本文を読むとエルフもレーブンも着たきり雀っぽいのはご愛嬌かなw

学研出版サイトの該当ページ
http://hon.gakken.jp/book/1020451300

2017年2月11日 (土)

女の一生

モーパッサンの名作「女の一生」を読了。
この邦題は括弧書き付きで「女の一生(などこの程度のものだ)」と言わんとしているようで、モーパッサンが女手一つで自分を育ててくれた母を尊敬していただろうことを考慮すると、実に複雑な陰影を感じさせてくれる。
流されるままに転落人生を送るジャンヌ。
彼女はなぜ不幸になってしまったのか。
全て夫のジュリヤンが悪いのか?
確かに生真面目なジャンヌと女癖の悪いジュリヤンはそもそも相性が悪いのだが、思うにそれは二次的な問題だ。
ジャンヌから見ればジュリヤンは貧乏貴族出身故のケチな金遣い、目下の者への尊大な態度、前述の女癖の悪さ、困っている者への冷酷さと言った「失望」の宝庫だろう。
だが、この物語はジャンヌのほぼ一人称で語られているから想像ではあるが、ジュリヤンから見たジャンヌとその両親も、ぼんやりしたお人よしで自分がキッチリ面倒を見ないと次々と財産を手離す羽目に陥りかねない木偶の坊のように見えていたのではないか。
この印象は後に二人の間の息子・ポールが長じて浪費家になり、そのせいで先祖代々の屋敷から出ていく件でさらに強まる。
ジュリヤンが存命であれば、ポールをもう少しまともな人間に育てられていただろうに…。
その差異を二人は埋めようとしない。
言いたいことも少ししか言わず、お互いに相手を軽蔑し無視する。
その方が楽だから安易な方、安易な方へと流れていった。
不幸になるべくしてなった夫婦だ。
誰も最初から完全なわけではない。
相手に完璧を求めてそうじゃなかったから失望するというのは間違っている。
それは例えるならベルセルクのガッツが批判的に云うところの「剣の達人になってから戦場に出るような気の長い話」であり、それが嫌ならお互いに成長していけばよかったのだ。
とは言え、二人はぬるま湯に浸かっていてモチベーションがなかったのも事実だ。
ジャンヌは生活の苦労などしたことがなく、料理洗濯はもちろんのこと終盤で初老になるまで一切の家事をしたこともあるまい。
ジュリヤンはジュリヤンで入り婿なのに妻と仲よくやっていく必然性がない。
妻に夜の生活を拒否られても機嫌を取る必要は全くなくこっそり女中を抱けばいいという環境で妻と対話しようという気持ちが生まれるだろうか?
人生の選択肢がない平民がいる一方で、人生の選択肢が無数にありながら自分で自分を縛っている彼等。
全く以って幸せってのは何をどうすれば得られるのか分からないものだ。
しかし、このようにストーリーラインは陰鬱なのに、読み進めるのは軽快で楽しい。
ノルマンディーの半農村半漁村の美しい四季折々に、性モラルの低い田舎で奮闘するピコ神父、おじろくおばさ(※俺はその実在に否定的だが)を地で行くリゾン叔母、他人によくするとたまにいいことがあると思わせてくれる乳姉妹のロザリなど周囲のキャラクターも魅力的だ。
そして物語は「終わらない」。
既に老境に達したジャンヌは破産した息子とその孫娘を引き取る。
それによりジャンヌが小さな幸せを得るか得ないかは分からない。
ジャンヌからすれば息子を誑かした卑しい女であった孫娘の亡き母親だが、実際の故人がどの様な人間であったかは想像の域を出ない。
もしジャンヌが孫娘に亡き母親の悪口を吹き込んで育てたりしたら、また同じ不幸を背負うことになりかねない。
ジャンヌが亡きジュリヤンのことをどう言ってポールを育てたのかは描かれていないが、よくは言わなかっただろうし、それがポールの成長に悪影響を与えたことは想像に難くないから、同じ失敗を繰り返すかも知れない。
だが、そうはならないかもしれない。
だからこそ人生は面白いのだろう。

2017年1月 9日 (月)

エルフとレーブンのふしぎな冒険4 さまよう砂ばくと魔法のじゅうたん

ゴブリン・キングを倒すための武具を探すエルフとレーブン。
やっと最終目標への目鼻がついてきた感じです。
例によって砂漠の旅でありながら飢えや渇きや日射病の心配という要素はばっさりカットしておりまして、以前はそういうところが気になって仕方がなかったのですが、今や素直に楽しめるようになりました。
魔法の弓の扱いに習熟していくエルフと頭がよくなっていくレイブン。
ある程度の危機は実力で乗り切れるようになって安心して読めるようになってきましたが、それでも楽天的な本性は変わらないのでピンチにあいます。
これまで悪い大人に騙され通しだったのに少しは警戒を覚えてほしいものですが、このお気楽なところが本シリーズの魅力なのでしょう。
ゴブリン・キングは必ずしも悪党というわけではない、的な伏線が。
もしや大地を荒廃させているのではなく実は救おうとしている側とか、そういうどっかで聞いたような話なのでは?
だったらやだなぁ。

学研出版サイトの該当ページ
http://hon.gakken.jp/book/1020435000

2017年1月 6日 (金)

谷間の百合

物凄く語彙が増えたような気がします。
でもきっと気がするだけです。
多分すぐに忘れてしまいます。
とは言えいつかあああの時に使われてたな、と思い出すことでしょう。
バルザック「谷間の百合」読了。
正直、フェリックス青年とモルソーフ伯爵夫人アンリエットが道ならぬプラトニック不倫ラブを展開しているところは些か退屈で、下巻の真ん中くらいになってフェリックスがアラベルとの肉欲に溺れて三角関係?になってやっと面白くなってきたのですが、それでも全体として王政復古期のフランスの風物や優雅で古めかしい訳は楽しめましたわけで、じっくり読むべき小説です。
小説が娯楽の王様だった時代にはとかく描写が微に入り細を穿つ感じでも問題なかったわけで、古典を読むときはそういう時代背景も踏まえて楽しむことにしています。
それに本作はリアルな小説というより、舞台で一人一人が中央に出て長台詞を交互に喋る感じ…戯曲っぽいですしね。
プラトニックラブを貫く2人がそれ故に苦しむのは気高い物語に見えます。
でもそれは違う視点から見たら…。
達観したり絶望したり自分はもうそういうのにはウンザリだと思っても気落ちは動いてしまったり…と思ったらそれをひっくるめて足元をすくわれたり。
人間って面白いよね、と思わせてくれるのが、人間喜劇と呼ばれてる理由なんだろう。
で、全体がフェリックスの都合のいい一人称で書かれてるのはたぶん計算のうちで、描写の比重が偏ってるのもそう。
歳を取ったフェリックス自身が若い頃にあれだけ嫌だったモルソーフ伯爵のようになっちゃってるって表現でもあるだろうし、登場人物は誰も彼も、聖女のようなアンリエットでさえ自分勝手で、だからこそ人間なんですよね。
それにしてもフェリックスくんはアンリエットの剥き出しの肩に2度も欲情しておりますが、現代の我々からすると奇妙に思えます。
しかし、例えば我々がアフリカの裸族の女性の乳を見ても何も欲情しないように、エロスというのは何処まで隠されているかによって決まるのでしょう。

2016年10月28日 (金)

平たい胴の女性

バルザックの「谷間の百合」を読んでるんですが、主人公の青年が想いを寄せる夫人の美しさを褒め称える表現がいちいち面白くて、昔の小説ならではの長ったらしい形容表現が少しも苦にならないという。
とは言え、え?と思うような場面もけっこうあるわけで、ここんとこ考え込んでしまってるのが、平たい胴の女性、という表現。
主人公曰く丸い胴の女性は我儘だが平たい胴の女性は献身的で、だからこそ平たい胴のあの夫人は素晴らしいのだとか。
???
脳裏に乱舞するはてなマーク。
丸い胴って何?平たい胴って何?
太ってる痩せてるとは違うようです。
その平たい胴のご婦人は小太りで肉付きがいいそうですから。
それに太っているなら丸い胴ではなく丸いおなかと表現する筈です。
ということは断面の形としか考えられません。
きっと彼女は前から見たウエストの幅より横から見たウエストの幅の方がずっと短いのでしょう。
(逆だったらバケモノですw)
しかし…そうと分かるほど「丸い胴」との違いがあるものなのでしょうか?
例えば巨乳は馬鹿だとかおっぱい星人のわたしからすると実に腹立たしいことを言う人がいます。
その説の正誤についてはここでは言いません。
でも、全ての女性がAカップの世界や逆に全ての女性がFカップの世界があるとしたら、そこではおっぱいの大きさと性格を結びつけるという発想自体がないでしょう。
おっぱいの大きさに幅があるからこそインチキオカルトの入る余地があるわけです。
つまり、現代の女性より遥かに胴の断面形の個人差が大きいか、或いは個人差が大きいと勘違いさせる何かがあるのではないか。
そこで「コルセットじゃないか?」と思いつく。
コルセットの締め付けが平たい胴を生むとすれば、それに耐える女性が我慢強いのも当然でしょう。
うーん、なんてことはない謎でした。
こういうこと考えながら読むと楽しいですよね。

2016年9月26日 (月)

国会図書館デビューしました

初・国会図書館!
国内のあらゆる出版物を網羅する国会図書館には一度、行ってみたいと思っていました。
今回の目的は
1.あるプレミア付きのコミックスのうち特定の一話だけが読みたいので、それをコピーすること。
2.ある漫画の連載中はカラーページだったがコミックスでは(さらには電子書籍でも)白黒だった話のカラーが見たいので、それもコピーすること。
の2つ。
でも、慣れないこともあってけっこう大変でした。
そもそも最初は9/25(日)に行って休館日だったことからケチがつきはじめます。
東京メトロ半蔵門線永田町駅の2番出口。
そこを使う人が多いんでしょうね。
改札を出たところにわざわざ休館日です、と看板が立ってましたw
…休館日くらい調べてから行けってハナシですが、言い訳をさせてもらうと、だって殆ど全ての図書館は月曜日が休館日じゃないですか。
しかし考えてみれば、国会図書館は貸出を行わず国内出版物の保管を主目的とする特別な図書館。
一般の図書館が日曜日に空いてるのは利用者が借りやすいように便宜を図っているだけなのですから、そんな配慮を行わなくていい以上、他の官公庁と同様に日曜が休館日なのは仕方がないのでしょうね。
というわけで9/26(月)に再チャレンジ。
でも、旅行最終日なんですよね。
13:55羽田発に間に合うか?
そのためには9:30の開館と同時に入館し、遅くとも11:30には終わらせたいところです。
…危なかったw
ミッションコンプリートは11:20でしたよ。
みなさんもこれから利用することがあるでしょうから、わたしの失敗談や気づいたことを書いておこうと思います。

流れは次のとおり。
1.検索端末で目当ての本を見つけて決定する。それを受けて司書さんが巨大な書庫から本を探してくる。だいたい20〜30分はかかるので静かに待つ。探し終わると検索端末に資料が揃った旨が表示されるので、5分おきくらいにチェックを入れる。
2.カウンターに本を取りにいく。
3.中身をチェックしほしいページが何頁から何頁までか決めて、fromとtoに栞を挟む、さらに司書さんにコピーをお願いする(自分ではできません)ための書類をプリントアウトし、必要事項を記入。コピーをお願いするカウンターに持っていく。
4.きみはコピーが終わるまで待ってもいいし、後日の郵送をお願いしてもいい。

簡単そうでしょう?
でも、本と雑誌は別のコーナーなんで別々に処理しなきゃならないのと、雑誌の検索にはコツがあってそれがなかなか分からなかった上にミスして別の号が来てしまったことで時間がかかってしまいました。
まず端末の検索画面自体が雑誌以外の普通の本に向けてレイアウトされてるんで分かりにくい。
「少年マガジン」で検索しても殆どヒットしなくて「いや、そんな筈はないでしょ?」と。
マニュアルを熟読すること暫し。
そしたら一番右の目立たないタグにキーワード検索があったのでまずは「少年マガジン」で検索。
探している「週刊少年マガジン」を全件表示し、それを発行年で絞り込む。
そしてあらかじめ用意しておいたメモを元にほしい号を決定するわけです。
しかし、ここでミスが。
週刊漫画雑誌は背表紙に何号か書いてますよね?
その数字じゃダメなんです。
雑誌の号数って正式には増刊号も合わせた数字になってるようで、例えば40号がほしいと思って40号を決定したら別の号になっちゃう。
ではどうするか、表記の最後に(40)と書いてあるのが正解です。
週刊少年マガジン35(45)…(40)とある場合、創刊して35年目の年に出た(増刊やムックも含めた)45冊目で、背表紙に書いてあるのは40号、って意味なわけです。
ここを間違えるとみすみす40分ほどロスをするし、司書さんにも迷惑をかけることになります。
…でも、わかんないよね、こんなこと。すいませんw
他に気をつけるのは開館は9時30分だけど、利用者登録はその前からやっているということ。
利用者カードがないと利用できないんで、これは早めに行っておいてよかった。
さて、郵送をお願いしたんで届くのが楽しみだ♪

2016年9月25日 (日)

クラバート

水車小屋で働きながら魔法の勉強をする少年、クラバート。
しかし魔法使いの勉強よりも水車小屋での粉挽き職人としての仕事の描写の方が圧倒的に多く、それが殊の外に面白い。
少年が職人として一人前に、そして大人になっていく様子は頼もしい。
もっともそんな感じだから魔法使いとして強力になっていく感じはあまりしない。
キツい労働と勉学の日々の中で培われていくのは、専ら判断力や決断力や慎重さや勇気。
だがそれこそ少年が自分を縛る軛から脱出するのに必要な力であり、その後の人生でも大切になってくるものだ。
本当に大切な力は魔法じゃない。
シンプルなテーマがラストで結実し、実に快感だ。
クラバートが魔法を学ぶ水車小屋は近代的な学校ではない。寺子屋だ。しかも住み込みの。
生徒である職人にいわゆる人権はなく、教師でもある親方の所有物のようなものだ。
これはとても自然なことだ。
現代の学校でも教師は生徒にいうことをきかせるのに苦労する。
魔法で他人を意のままに操ることのできる人間が、その能力を使わないということがあり得るだろうか?
そしてできる以上は、生徒に課すルールもエスカレートして当然。
だから親方は最初から最後まで憎めなかった。
悪人ではあるが、環境で悪人になった人に思えたし、これはスピードワゴンでも否定できないだろう。
魔法は彼を不幸にしかしていない。
親方は若い頃の過ちから闇の道を進むしかなくなった人だ。
特にはっきり描かれているわけではない(※示唆されてはいる)が、悪魔に生贄を捧げる契約をしているのだろう。
その強大な魔力は、悪魔から見返りに与えられているものと思われる。
彼が不幸な人間であることを示すエピソードは多い。
例えばある場面で他人の手柄を素直に横取りしておけばいいものを拒絶してしまい、それが結果として傍目には潔い人物のように「見えてしまう」。
ここから彼は確かに悪人だが、悪人である以前に人間嫌いであることが分かり、その背景にあるのがあの事件だとすると、彼の辿ってきた道が朧げに見えてくる。
罪の意識から必死になって逃れるだけの人生であり、強力な魔法使いでありながら孤独で小さい。
行間からそんな人物像が浮かび上がってくるからこそ、終盤の嫌がらせの効果的ではあるが卑小な様子、異様さが引き立つ。
だからあのラストも必然だ。
呆気ないとの声があるが、延々と魔法の応酬などあっては、能力どおりの結果にしかならなくなる筈でそうならないと却って不自然になるし、これくらいがちょうどいいと思う。

偕成社公式サイトの該当ページ
http://www.kaiseisha.co.jp/books.html?page=shop.product_details&flypage=flypage.tpl&product_id=1845