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映画 Feed

2018年8月21日 (火)

ポケットモンスターみんなの物語

今回の映画は「ポケモンのいる世界」が主人公。
サトシ以外にポケモンの扱いやポケモンでの戦闘に慣れている者はおらず、弱いところを持っている当たり前の人間たちが脇を固める。
まさに世界を描いた映画。
これが俺のツボにはまった。
もともと自分はゲームのポケモンも、一般的なプレイヤーのように対戦で強くなろうと言うモチベーションはあんまりなくて、1対1の戦闘に特化したバランス故の敵キャラとのドラマの無理のなさやポケモンと共存する世界そのものを楽しんでいる。
ポケモントレーナーたち以外にスポットを当てたことで、シリーズとして今後の作品世界に広がりが出たのではないだろうか。
サブキャラ達の過去を深く掘り下げずにさらっと流して観客の想像に委ねているのもテンポの良さにつながっていて、監督が変わったらしいけどかなり手慣れた感じを受ける。
これなら次回作以降も安心かな。
ところで野沢雅子がおばあさんの役を演じて当然の如くうまいのが何とも言えない気分に。
ここんところドラゴンボールで悟空の声がかなり苦しくなってるから、自然に聞こえるこっちが年相応の役なんだろうなぁ。

エンドロール後エピソード あり
公式サイト http://www.pokemon-movie.jp

2018年8月19日 (日)

銀魂2 掟は破るためにこそある

うーん…1本の長編映画として成立させるためにはずっとギャグでは厳しいから、背骨はシリアスにせざるをえない。
まあ、そのことは他のギャグマンガの劇場アニメなんかでも当たり前のことではあるんだけど、そこら辺のさじ加減、前作ではもっとうまくやっていたと思うんだよね。
序盤のギャグpartがかなり笑えただけに、シリアス一本槍になってからが観るのキツかったです。
単純にシリアスものとしてみると格好いいんだけど。
今回の主人公は土方。
というか新選組。
人格の変わるマイクロチップを埋め込まれ弱々しい性格に矯正される土方が新選組との絆を取り戻すまでを描くってわけで、そうなってくると各キャラクターの語りが多い。
それがなんか退屈につながるんだと思う。
熱いセリフは好きなんだけど、ばっかりだとね。
それに、やっぱりテンプレなオタ描写は不愉快だなあ。
ストイックな土方がアニメフィギュアに夢中になってるのは最初のうちは面白いけどちょっとくどい。
あれで引っ張りすぎて、もういいからそれはという気分になるのだ。
橋本環奈の発育が著しくて、もはやお子様な神楽の役は厳しくなってる。
キャバ嬢が足りなくて困ってる場面で神楽が立候補するもお子様なので無視される、という場面であんなナイスバディーだからちょっと無理がある。

エンドロール後エピソード なし

公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/gintama-film/sp/

2018年7月15日 (日)

ジュラシック・ワールド 炎の王国

こんがきゃあなにしくさんねん!
とりあえずラストは大いに気に入りません。
ヒグマのいる北海道の住人からすると、何か事故が起きたり目撃例があると地元の役場にヒグマ殺すなとか脳の沸騰した電話かけてくるボケバカが想起され実に気分が悪い。
ハリウッドというか現代アメリカの頭のおかしさってのはこういうラストで自己陶酔に浸るんですね。
まー気持ち悪い。
とは言えダメなのはそこだけ。
恐竜頭蛇尾。
それ以外は全てたいへん面白い映画でした。
胸くそ悪い恐竜オークションに群がる死の商人たち!
こいつらのうち何人か喰われてくんねぇかな。
北斗の拳大好きな私としては悪党どもの無残な死に方でゲラゲラ笑いたいという期待がむくむくと湧き上がります。
裏切りませんw
建築物の地形を生かした駆け引きもたまりません。
恐竜は怪獣のように大きくないから館の中で等身大の人間とやりとりができる、その利点をたっぷりと生かしています。
時々あるできの悪い怪獣映画のような「怪獣パートと人間パートの乖離」が最小限でした。
ヴェロキラプトルの「ブルー」との友情にはそれほど心を動かされなかった。
なまじ国内上映がランページと近かったものだから、もうこのパターンはいいよと思ってしまった。

エンドロール後エピソード あり

公式サイト
http://www.jurassicworld.jp

2018年6月27日 (水)

パシフィック・リム アップライジング

重量感あふれるロボットバトルは健在。
パンチが、キックが、肉弾戦が重いからこそ、武器の威力の説得力が出る。
やっぱりパシリムのバトルは楽しいですね。
やっと時間を見つけて観てきました。
今回は人間対人間。
…と思わせて!?
改めて思ったのが、お約束とパターン破りのバランスが良いこと。
どんな作品でも「あーやっぱりこうなったか!」を、やれやれニヤニヤ楽しめる賞味期間は短い。
なんでもかんでもお約束になったらニヤニヤがイライラになってしまう。
そこらへんを本作はちゃんとわかっていて、適度に裏切ってくれるわけです。
「結局、1番怖いのは人間」てのは手垢がつきすぎてて、説教臭くすら思いますからね。
そうならなかったのが、なんだかすごくいい感じです。
主人公・ジェイクの父親との違いもすごく丁寧に人物造形がなされています。
2世キャラの中ではかなり好きな部類。
続編が作られるくらいの作品は前作主人公たる父親のファンも当然ながら多い。
その反感を買わないようにするもっとも安易な方法は、父の言うことやること全てに賛成し少しの批判もしないこと。
だがそれでは何のために主人公を変えるんだ?
多くの2世作品がそれで苦しんでいますが、本作の場合、お姉さんとの関係でうまく彼の良さを引き出しています。
お姉さんに対する優しく思いやりのある態度は、その後、彼をヒーローにする土台となっています。
惜しむらくは、怪獣を操るプリカーサーどものスポークスマン的役割のキャラが登場するようになったのは、わかりやすさを重視してのことなんだろうけど、ちょっと安易な気がしたかな。
プリカーサーから神秘さや異質さが失われて、軽くなったというか俗っぽくなったというか。
因みに好きなイエーガーは、トゲ付き鉄球が素敵なタイタン・リディーマー。
もっと活躍して欲しかったなぁ。

エンドロール後エピソード なし
公式サイト http://pacificrim.jp

2018年6月25日 (月)

デッドプール2

不殺どころかミュータントの力を積極的に悪党征伐に使う異色のヒーロー・デッドプールを主役に据えた第2作目。
悪ノリの利いたトークも冴え渡り、楽しくもブラッディな殺戮ムービーとなっている。
で、家族の物語となっているそのホロリと泣けるストーリーについてはすでにあちこちで語られているから、俺はこの映画で最も気に入ったコロッサスとの友情について語りたい。
コロッサスは表情がわかりづらいから、これまでのシリーズでいまいち好きになれずにいたんだけど、今回のコロッサスは良かった。
デッドプールの愛する人が被害にあったのは、彼自身の「仕事」のせいでもある。
そのことをコロッサスは責めない。
こんなことを続けていたらいつか手痛いしっぺ返しを食らう。
コロッサスはずっとデッドプールにそういいたかったはずだ。
そしてまさにそのようになってしまった。
コロッサスがもし自分の「正義」をデッドプールにわかってほしいと思っていたのなら、ひとこと言わずにいられなかったかもしれない。
しかし、確かにそういう気持ちはあったかもしれないが、何より友のことが心配だった。
それがあの沈黙になった。
その友の雄弁な沈黙が嬉しかったからこそ、デッドプールはXMEN入りしたのだろう。
人間離れした造形のキャラに感情を読み取れる時、SF映画を観て良かったなぁと思うのだ。
ラストも笑えて泣ける、まさにデッドプールに相応しいもの。
「なんだそのご都合主義は!」
というツッコミを、ニヤニヤ笑いながらうれしそうにしてしまう。
それだけキャラクターを好きになっていたってことなんだろうな。
惜しむらくは、前作デッドプールだけを見ていてもわかる内容であって欲しかった。
他のX-メンの映画と結構つながりがあってニヤリとさせられるんだけど、なまじそこそこわかるとわからないネタがあった時、ちょっと悔しいのだ。

エンドロール後エピソード なし
公式サイト http://www.foxmovies-jp.com/deadpool/sp/

2018年6月24日 (日)

ピーターラビット

いやこれは意外な面白さ。
だって駄作の条件が揃っている。
原作の童話ゆえの現実とはちょっと違った世界観をひねくれて現実的に解釈し原作とは似ても似つかぬものにする、と言えば、「かいじゅうたちのいるところ」で大失敗した手法だから、同じ轍を踏む可能性は十分にあった。
しかし…にもかかわらず…この映画は面白い!
ピーターラビットはこういう話ではないと思うけど、映画のピーターラビットはこういう話なんだ。
そう思わせてくれる痛快なドタバタアクション映画だ。
ピーター率いるウサギ達とマクレガーさんのガチバトル!
トムとジェリーのようなコミカルさに溢れているものの、どっちも相手を殺すつもりでいるから死者が出なくてもそれはあくまで結果だ。
おいおいいいのか?このシチュエーションからしたら本気度ありすぎだろ迫力ありすぎだろ。そう思いながらも手に汗を握っている。
しかしとぼけた感じもあり、「うる星やつら」の悪たれウサギがキャンプ地からあたる達の食料を根こそぎ奪っていくエピソードを思い出したりもする。
ギャグ漫画によくある、本気で命(タマ)の取り合いをしながらも、読んでるこっちはそれが作り話だとわかっている…けど予定調和をひっくり返してどっちか死ぬかもしれない、それくらいやりかねない。
そういうノリを実写+CGでゴージャスにやってみました!
そんなドタバタギャグ漫画が好きな人間にとってのマストウォッチになっているわけです。
うさぎの表情もとても雄弁。
ヒロインがピーターたちに知性があることを理解する場面を、ピーターにしゃべらせずにピーターの表情で描いたところはこの映画の白眉だ。

エンドロール後エピソード あり
公式サイト
http://www.peterrabbit-movie.jp/sp/

2018年6月11日 (月)

ランペイジ 巨獣大乱闘

スピード感あふれる怪獣映画。
あえて全長を小さくすることで対比物がよく見えて、でかい動物が俊敏に動く恐ろしさをこれでもかと感じさせてくれる。
特に全長9メートルの狼の恐ろしいこと言ったら!
怪獣同士の強さくらべではそう強い方でもないのだろうが、人間に与える被害の大きさ、襲われたときの絶望と言う点では他を圧倒するのではないか。
この狼だけでも十分に元が取れる位、これまでの怪獣映画になかった新鮮なビジュアルショックだ。
怪獣が俊敏に動く怪獣映画といえば、世紀の失敗作・エメリッヒ版ゴジラを思い出すが、あれと比べてこの映画を見ると、重々しいから成功だ俊敏だから失敗だと言う事は無い、作り方次第だということがわかる。
もちろん主人公たるアルビノゴリラのジョージが摩天楼を立体的に移動しながら破壊を繰り返すのもカタルシスだ。
キングコングのリメイクの日本公開が去年、2017年で、舞台が島だったからビル街での勇姿が見られなかったことを思うと、本家が次回作のために取っておいたネタをなあ…と複雑な気分ではあるのだが。
マッチョなむつごろうさんとでも言うべきジョージの友達・デイビスも、気が優しくて力持ちな上に動物学者だから頭が良く元特殊部隊というこれでもかと言う何でもありっぷりも、いっそ清々しい。
デービスを演じたジョンソンはついこないだジュマンジで見たばかりだが、多分このデービス役が素なのだろう。
実に生き生きと楽しそうである。
でも1つ気になった点があって、それは同じこと3回もやられれてもなぁ、と言う事。
そういう意味ではあまり驚きのない映画かも。

エンドロール後エピソード なし

公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/rampagemovie/

2018年5月29日 (火)

ダンジョン&ドラゴン3 太陽の騎士団と暗黒の書

愛の奇跡、という扱い方を間違えれば(というか間違えてる映画の方が圧倒的に多い)どっちらけになってしまう仕掛けが、ここまでうまく、しかもファンタジー映画に溶け込んでいるってのはすごい。
クロウリー「ムーンチャイルド」みたいだ。
ダンジョンズ&ドラゴンズの名を冠した映画3作品の最後。
まぁまたD&Dの映画は作られると言う話もあるし、今のところ最後と言うのが正解か。
一作目と2作目はつながっていたが、この3作目は独立した話だ。
そしてこれが1番、面白い。
父を救うために悪党たちの掠奪集団に身分を偽って加わる若き騎士・グレイソン。
その旅の中で騎士の誇りや騎士の誓いを次々と破らなければならない。
800年もの平安の時を経て、もはや本物の騎士はいないとされる暗黒の世にあって、自分は本物の騎士になりたいと願う若者にとってそれは苦痛であり、しかしその苦悩あればこそ彼こそが本物の騎士になっていく。
骨太でしっかりしたストーリーだ。
序盤のドラゴン戦はストーリーには大きくかかわってこないものの、グレイソンが同じパーティーの悪党どもに一目置かれるようになる重要で迫力のあるシーンだ。
他のファンタジー映画ではあまりはっきりとは描かれない人食いの怪物としてのドラゴンに空恐ろしい存在感があるし、いかにも防御力が低そうな蝙蝠状の羽が本当に蝙蝠の羽のように柔らかく刃物でザクザク切り刻まれるのは長所と短所がはっきりしていて良いと言うもの。
その後もドラゴンを倒した後の街の人々が主人公たち悪漢集団に怯える様子、様々な裏切り、不気味なゾンビ娘、と見所が続き、やっとたどり着いた父との対話はこの映画の白眉だ。
ここで父を超える気高さを見せたことで、最後の奇跡に納得がいくのは大したものだ。
あまり技や魔法がD&Dっぽくないように思えるが、口からファイアボールを吐く女傭兵隊長はもしかするとドラゴンボーンとのハーフかもしれないし、そもそも第5版だと手や杖から魔法が出るとはどこにも書いてないから口から出てもおかしくは無い。視神経をグログロに伸ばして偵察する魔術師も、動物を使ってその目からものを見る魔法と対応してるとも言える。
やはり映画が面白いと、好意的にいろいろなことを解釈したくなるね。

2018年5月10日 (木)

ダンジョン&ドラゴン2

前作がチープなB級映画なりに楽しめたので続編も観てみました。
今回の主人公・ベレクは騎士。
近衛隊長から宰相に抜擢されるほどの傑物で近衛隊員からも絶大な人気を誇る、ヴェスパシアヌスのような人。皇帝ではないけどね。
奥さんはメイジのメローラ。
奥さんを口説き落としたことを高貴なメイジを堕落させたと言って、メイジが貴族だった前作と同じ舞台であることを印象づけている。
メローラが初登場の時、この世界の魔法について興味深いことを言っている。
知識を学んで使うメイジの魔法と異なり、聖職者の魔法は神の恩寵によるもの。
自分はそれを使えるようになりたいと。
マジックユーザーの魔法とクレリックの魔法は違うと言うD&Dの基本を説明してくれているわけだが、シングルクラス一辺倒ではなくマルチクラスも十分に可能なことがわかる。
ちなみにメローラが使いたいと言っているのは修復の魔法。
5eなら回数無制限でいくらでも使える初級変成術呪文くのメンディングだ。
世界が違うと有利な点も不利な点もある。
ストーリーは前作と同じアーティファクト争奪戦。
黒幕は前作ではラスボス以上に目立ちまくりだったダモダー隊長さんがメイジにクラスチェンジして務める。
ここら辺あまり深く考えてはいけないだろう。
生前のダモダーがいた頃はメイジが支配階級の貴族だった時代だし、あのダモダー配下の騎士達はメイジの家系に生まれながら魔法の才能が開花しなかった者達と考えるのが妥当だ。
死から甦る際にそれが開花したとしても不思議ではない。
さて、街の近くの洞窟にドラゴンが!
低いところにたまった毒ガスを魔法で風を起こして吹き飛ばすのが頭いい感じ。
この方法は実際のロールプレイでも使えそうだ。
この魔法はクラシックにはなかった。
風を起こすなんて簡単な魔法がなかったと言うのは今にしてみると驚きだ。
まあ俺のクラシックD&Dの知識は青箱止まりなので、実はあったのかもしれないが。
5eなら2レベルの力術に「ガスト・オブ・ウィンド」があり、しかも呪文の説明文の中に使用例としてまさにこの使い方が書いてある。
幻視の呪文に高価な物質要素が必要でメローラがそれを自分の旦那におねだりするのもいい。
ここまできて5eの要素が結構入っていることに気づく。
もちろん時系列的には5eの方がずっと後だけど。
このドラゴンがかつて放浪時代に聞いた言い伝えのそれだと気づいたベレク、その言い伝えについて調べるメローラ。
その過程で使い方によっては世界を滅ぼしかねない宝珠と、それを悪用しようとしている者たちの存在を知る。
争奪戦の始まりだ。
議会は最初メローラの話を信じないが、証拠があると即座に事態の深刻さに気づいて対策に当たるあたりはさすがメイジだ。
この国は大丈夫だな。
国王の命令でベレクを隊長とした探索隊が編成される。
バーバリアンにクレリックにエルフの魔術師にローグ。
ローグの同行を強く進言したのは、ベレクが冒険者あがりだからだろう。
バーバリアンが最初は男だと思わせておいて、その男を叩きのめす女の方が目指すバーバリアンだったと言うのはなかなか好きな演出。
この姐ちゃんは要チェックだ。
奥さんが同行しなかったのはちょっと意外だが、ベレクの優しさがよくでていた。
ダモダーの潜む納骨堂に向かう途中でドラゴンに遭遇する。
クレリックのドリアンがひとりでドラゴンの前に立ちはだかったのは、炎を防ぐ魔法があったからなんだけど、このドラゴン、炎が防がれたとわかったらすぐに冷気のプレスを吐いてくる芸達者。
お前はフレイザードか!
1名脱落だ。
TR PGのセッションだったら回復役がいなくなったどうしようってところなんだろうが、RPGと映画は違う。
頻繁に手傷を追ってちょくちょく回復するってのはゲームならいいが、映像でやると手傷を負うこと自体に緊張感を感じられなくなるから、如何にゲームを原作にしようとも「そもそもダメージを喰らわないようにする、という通常の作劇の作法にならざるを得ない。
ドラゴンを何とか撃退して次は納骨堂周辺の戦い。
ベレクとローグのニムが納骨堂入り口の暗号に四苦八苦している間に、バーバリアンとエルフの魔術師の紅二点が雇われた山賊達を食い止める。
この映画の主役夫婦と並ぶもう一つの名コンビは、最初は反目しあってたが互いを認め合うようになる女バーバリアンとローグで、特に女バーバリアンはシーザー・ツェペリの「友人を作るのは下手だが惚れ込んだら(不正確)」を地で行く熱意でまずニムを、次いで仲間達を大切にするように。
そんな中でエルフはいまいち存在感がないんだが、この戦闘では迫り来る山賊達に次々と電撃を見舞うという活躍を。
この映画をリアルタイムで知らないし、公開時点でのD&Dや他のTRPGのルールもよく知らないけど、魔法を連発するという考えはなかった筈。
でも、回復魔法と逆で、どんな弱い魔法でも回数制限を減らしていくから滅多に使えない描写にすると、こっちは逆に盛り下がるのが一般的な殺陣の法則。
5eには無制限に使える初級呪文がたくさんあるけど、この映画を含む無数の魔法を徹底的に撃ちまくる映像が影響してのことなんだろうなぁ。
物語の後半はあまり魔法を使わないので省略。
まあ、留守番の奥さんが古代人がドラゴンを封じた方法の研究を多くのメイジ達と一緒に進めているんで、魔法に絡むストーリーではあるんだけど。
楽しめるところは多々あったものの、展開が優等生すぎる上にだんだんと低空飛行に。
ドラゴンともダモダーともデーモンとも戦いらしい戦いもなく終わってしまった。
個人的に知恵と勇気とチームワークを駆使して戦いを回避して勝利を得るのは嫌いじゃないから、この3体のボスのうち1体くらいならそれでもよかったんだけど、3体全部がそうだとどうしても竜頭蛇尾な印象を受けてしまう。
伏線も未回収が気になるものがあり、特に近衛隊長時代の部下である現近衛隊長がいかにも何か話に絡んできそうだったのにそれっきりなのはどうなんだろう。

2018年5月 7日 (月)

ダンジョン&ドラゴン

あちこちでネタ映画的扱いをされていてちょっと食指が伸びなかったんだが、昨年からのD&D復帰を期に見てみました。
そしたら、単にあまり面白くないB級映画ってだけで、そんなに叩くような物とも思えない。
いや、D&Dファンからするとカチンとくる部分があちこちにあるのは分かりますよ。
でも、「馬鹿にしてもいい映画」カテゴリに入れられて、いかにスタイリッシュかつスノッビーに小馬鹿にできるかを競っているようで、みっともないっていうかいい気分じゃない。
D&Dの設定といろいろ違っていて、D&Dを名乗る意味がないのも確かなんだけど、見るべき点もいろいろあるじゃないか。
てなわけでポジティブにいろいろ突っ込んで行こうと思います。
まず冒頭のナレーションで「イズメール王国」と言うのが出てくる。
D&Dの背景世界にはあまり詳しくないんでさっそく検索。
どうやらフォーゴットン・レルムでもドラゴンランスでもなく、映画オリジナルの世界の模様。
ならば設定がどうとかあまり深く考えなくていい気分になる。
メイジがメイジ以外を支配している世界。
字幕だと貴族にメイジとルビがふってある。
住民は奴隷同然、とナレーションでは言っていて、若き女王はそれに心を痛め平等な社会を志向、評議会はそれに反対している。
ここらへんの設定の粗さが批判の原因なのは分かる。
奴隷同然とか言うから魔法が使える貴族が魔法が使えないそれ以外を魔法で意のままに操っているのかと思いきやそんなことは全然ない。
少なくとも画面からは豊かで栄えて楽しそうに見える。
逆らっても魔法で無理矢理にでも言うこと聞かされてしまうような理不尽が描写されていれば少しは世界観に説得力が出たかもしれない。
説得力がないと現体制に疑問を抱く女王に感情移入できないのだ。
ただこれはこの映画だけの欠点ではない。
「グラディエーター」で権力を市民に戻すみたいな現在の価値観バリバリの発言があって激しく落胆したのももうだいぶ昔のことになるが、古代中世近世が舞台なのに現代民主主義万歳な主人公周辺の映画に今更いちいち腹を立てるのは虚しい事だ。
「単に劇中で描いている時代ではこういう人権意識だったと言うだけで、別に我々がこういう人権意識を賞賛しているわけではない」という当たり前のことを理解できずに批判する人権家がいる以上、映画で現代以外の価値観を劇中世界のスタンダードとする事は無理なのだ。
とは言え人々の暮らしは貧しいようだ。
2人の若者リドリーとスネイルも魔法大学にこそ泥に入る。
敢えてD&Dに当てはめるなら、この2人はレベル1くらいのファイターだろう。
盛んに泥棒、こそ泥という言葉が出てくるし、盗賊ギルドまで登場するからシーフに思えるが、そうではあるまい。
そもそも泥棒は誰でもできる仕事だ。
騎士や僧侶が(たとえ相手が悪人でも)他人の家に潜入して盗みを働けばそれは泥棒だ。
TR PGにおいて泥棒と言う言葉を出す場合、それが他人のものを盗む人全般を指す広義の泥棒かクラスとしての狭義の泥棒かは常に意識する必要がある。
そこらへん5eなら背景とクラスは別だから、泥棒を生業とするクレリックやウィザードがいて何の不思議もない…。
それはともかくリドリー達は最悪の場面に居合わせることになる。
悪の宰相プロフィオンの手の者が女王派の賢者を殺害し、レッドドラゴンを操る伝説の杖の在り処を聞き出そうとしている場面だ。
ここで旅の仲間となる見習い魔法使いマリーナと出会うのだが、眼鏡をかけていかにも勉強一筋と言う感じでなかなか可愛らしい。
師匠が最高レベルの魔法使いだから、見習いのマリーナも既にかなりの使い手だ。
ファイファンIVでラスボスのゼロムスを倒したパーティーに所属しているほどのパロムとポロムがエンディングでまだ修行が足りないと言われているわけで、戦闘での強さと魔法の学識は必ずしも比例しないものなのだろう。
(作劇上の都合と言ってはいけない)
ここで彼女が使った魔法がまずリドリー達を拘束した魔法のロープ。
これはマジックアイテムなのだろうか。
マリーナが移動すると自動的に引きずられるように移動を強いられるのがかなり便利そうだ。
一方で師匠を襲っていた賊どもを動けなくしたのは、その蜘蛛の糸のようなエフェクトから見て明らかにウェブの呪文だ。
これを使うときに袋から何かを取り出して撒くのがなかなかいい。
俺の乏しい知識では、クラシックD&Dでは特に魔法を使うのにアイテムがいるわけではないが、5eではクモの巣ひと欠片が必要だ。
この映画は独自の世界観を持ってるから別にどの版に準じる必要もないが、アイテムを奪われると魔法が使えなくした方がドラマとの相性は良い。
この後でも囚われの身から解放された直後で魔法を使えなかったマリーナが小袋を取り戻して魔法を使う場面があるが、何でもありより制約があったほうが話に起伏が出ていいというもんだ。
この映画の公開当時には5eはなかったけど、もしかしたらこの映画を含む様々な小説やリプレイなどのストーリー展開を参考に5eのルールが作られているのかもしれない。
魔法大学から路上に転移するのに使ったゲートもクラシックよりむしろ5eに近い呪文がある例だ。
クラッシックのディメンジョンドアもテレポートも目標は単体だ。
5eなら複数同時に運べる上に一定期間、空けておけるアーケインゲートがある。
もっとも6レベル召喚術となるとかなりの高レベル注文で、キャラクターレベルは11も必要だが。
さてこのゲートは自分の意思では閉められないようで、ここでドワーフのエルウッドが仲間になる。
追いかけてきたプロフィオンの手先、ダモダー隊長がその場にいたエルウッドに高圧的な態度をとり、作らなくても良い敵をわざわざ作ったのだ。
悪役たるものこうでなくてはならない。
エルウッドの機転で難を逃れた一行は酒場で今後の計画を練る。
ここがかなり唐突に見える。
冷静に考えると、すでに指名手配されている以上、ダモダーより先に杖を見つけ女王の危機を救わないと身の潔白を晴らせないわけだが、そういう葛藤とか話し合いがないものだから、一介の盗人がいきなり大義に目覚めたように見えてしまうのだ。
杖の在り処を教わるべく地図の中に入り込むのにその地図の中の冒険を全てカットしたのも手を抜きすぎだろうと言う気がする。
だが、この酒場のシーンのドワーフは見るべきものがある。
ドワーフにエルフ批判をさせるのは指輪物語系異世界の描写では鉄板だが、ここで下ネタを持ってきたのはなかなか応用が効きそうだ。
エルフの女に一目惚れしたスネイルに、エルフの女なんかガリガリでどこがいいんだと悪態をつき、小柄で肉付きの良いドワーフ女の良さを語るエルウッド。
髭にしがみついてこう!な?と腰を振るのだが、実際の酒場でもこういう下ネタはガンガン言われてると思うので、TR PGのセッションでも使っていきたいところだ。
杖を手に入れるための宝石、ドラゴンの瞳を手に入るため盗賊ギルドを訪れる一行。
盗賊ギルドの本部の中にあるダンジョンの奥にある、といういかにもゲームゲームしたシチュエーション。
だが、盗賊たちがそれを部外者にやらせて賭けとして楽しんでいるという如何にもなチンピラっぷりが、意外とリアリティを与えている。
もちろん手に入れても渡してくれる気は最初からない。
ここらへんはリドリーが勇気と抜け目なさを持っていることのアピールポイントで、これから後どんどん活躍していくことに無理がないようにしているのだろう。
ドラゴンの瞳は乱入してきたダモダー隊長に奪われてしまう。
それを奪還すべく砦に潜入するのだが、ちょい役で砦を巡回するビホルダーの造形がチープで悲しい。
凶悪なモンスターがコミカルに見えるのが悲しいのだ。
カプコンの格闘ゲームで、原作では物静かで知的な賢者の一族だったマグパがコミカルな媚びキャラになっていた時と同じ悲しさだ。
ただ監督がD&Dの熱烈なファンだったことを思うと、なんとしてもビホルダーを出したい気持ちもわからなくはない。
砦の戦いを経て手傷を負ったリドリーはエルフのクリックから、クラシックならキュアシリアスウーンズ、5eならキュアウーンズ2LV相当と思われる回復呪文をかけられる。
レベルに特に根拠はなく勝手な想像だ。
まあ、回復魔法に関しては、ゲームと小説や映画の乖離が大きくならざるを得ないので、ここはこだわってもしょうがない。
頻繁に怪我を負って頻繁に回復するなんて、実際の映像にするとグロテスクこの上ないから。
エルフは呪文を唱えずに魔法を使える、という設定は5eではなくなっている。
バランス取りにくいもんね。
でも物語との相性が抜群にいいんだよね。
いつか復活すると良いと思う。
だが、ここまで苦労して結局、杖は奪われてしまう。
取り戻すべく王都に突入だ。
王都では女王に操られたドラゴン軍団が評議会を襲う。
評議会全員に有言無言の不信任を突きつけられたのに平気な態度だったのはこれが理由か。
これほどの強力な力を持っていたから平等とか革命とか言えたのかと思うと、もともとない女王への感情移入がますますしぼんでゆく。
自分の気に入らない平民にもドラゴンけしかけるんじゃないだろうな。
評議員たちは一斉にファイアボールを撃つがドラゴンには全く当たらない。
このファイアボールがクラシックの矢のように飛んでいって爆発するタイプでないのにはちょっとがっかり。
これまでのレビューでわかるとおり、オリジナル世界なんだから設定や描写が多少違っていてもあまりうるさいこと言いたくないんだけど、D&Dを象徴する魔法であるファイアボールくらいはゲーム準拠であって欲しかった。
ドラゴンブレスの反撃。
これもファイアボールタイプ。
…まぁ当時のCGでは仕方なかったんだろうなぁ。
評議員たちは逃げ惑うばかりで、宰相がバリアらしきものを張っても焼け石に水。
しかし杖が届けられ形成は逆転、レッドドラゴンの群れが現れドラゴン対ドラゴン。
この膠着状態の打破には直接プロフィオン宰相を倒して杖を奪う必要があるのでした。
ここでリドリー自身はともかく他の仲間が塔に潜入できた理由が全くわからないんだけど、この際、気にしないでおく。
あくまで1対1で決着をつけ、他の仲間はあまり介入しないから、気にしなくてもいいわけだ。
プロフィオン宰相が巧みな杖捌きでリドリーの斬劇をさばいていくのはいかにも昔のD&Dと言う感じで好感が持てた。
5eにはないからね。
その反面、魔法をもっと使って欲しかったと言うのはある。
いきなり接近戦に持ち込まれたから魔法どころではないって言う理由はわかるけど、ラスボスが魔法使いである理由がないじゃん。
庶民に魔法を使う描写は全くなかったから、もしかして貴族たちは庶民に魔法を使わないと決めてるのかもしれないね。
というわけで突っ込みどころはあれど、そんなに酷評するほどとは思えない本作。
D&D経験者が個々のシーンやシチュエーションで楽しめるところはあるんじゃないかと思う。