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2018年12月 9日 (日)

稚内学特別講座「北海道を守った戦いの島『占守島』」

去る12月8日、稚内赤れんが通信所で行われた特別講座に参加してきました。

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会場となった赤れんが通信所は、正式名称を旧海軍大湊通信隊幕別送信所と言い、3つ残っている棟のうち2つが雪で屋根が崩れ落ちて危険なため、普段は立入禁止となっているんですが、「平和記念の祈り」点灯式に合わせ、改修済みの残り一棟で行われました。

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改修はボランティアの手によるものということですが、改修したからには除雪もするんでしょうし、いやはや頭が下がりますね。
正直、会場は寒かったんですが、弱音を吐いてはいけない気になりました。

それに話の内容が膝を正して聞くべき類のものですから、だんだんと寒さどうでもよくなってきました。
講師は写真家の斉藤マサヨシさん。
同氏が2017年夏に占守島で行われた日露合同慰霊祭に参加された際に撮ってきた島内の写真や占守島関連書籍からのスライドを見ながら、島の入植の歴史から始まって上陸してきたソ連軍との戦いまでを語っていただきました。
本当に激戦地でしかもその後の立ち入りはほとんどないことから、様々な高度の植物の宝庫とも言えるのどかな風景の中に95式や97式の残骸や古い手榴弾が転がっています。
斉藤さんは戦車が好きなのかな?
砲塔の上に乗って撮った車長視点の写真や高台からカノン砲陣地を臨み砲身が道路ににらみをきかせているアングルなんかはかなり燃えるものがありました。
お話の内容ですが、戦争を構成する個々の作戦は何らかの意図あってのもの、という観点が感じられわかりやすく納得のいくものでした。
物資を積んだ船がアリューシャン列島を渡って米ソ間を行ったり来たりするのを最前線たる占守島から忸怩たる思いで見つめる守備隊。
それをなんとか阻止しようといくつかの作戦が行われる。
逆にスターリンの津波が北海道の半分を得る為にカムチャッカ及び樺太の2ルートから侵攻してきた時にはここが防波堤となる。
占守島守備隊が持ちこたえてくれたためにスターリンは北海道に侵攻するはずだった樺太の戦力を千島に回さざるを得なくなり北海道は守られたわけですが、こういう話を聞くと、言われているほど日本の戦車は弱かったのかなという気になりますし、樺太で引き上げる民間人にさえソ連軍が襲いかかった事実の背景がなんとなく伺い知れ、「ソ連兵が悪鬼だから」というわかりやすい理由よりよほどうすら寒い気になってきます。
冒頭に戻りますがこのお話を聞いた施設も老朽化が著しい。
決して忘れてはならない、語り継がれなくてはならない話について、我々の社会はやや消極的なのではないか、と感じました。

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