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2018年5月

2018年5月31日 (木)

非常に内容が濃いD&D5eの「君の世界」

D&D5eダンジョンマスターズガイド。
第1章「君の世界」を熟読した。
さらさら読み流すつもりが、熟読したのは、たった35ページの中に世界の作り方シナリオの作り方キャンペーンの発展のさせ方などがぎっしり詰まって、内容が非常に濃かったから。
このままのペースでDMガイド全部を熟読してしまうんだろうなぁ。
俺は昔からどんなRPGシステムでも、ランダム表はほとんど使ってこなかった。
ワンダリングモンスターや財宝表は使うこともあるけど、使うよりもその地域の食物連鎖や生態系のイメージをつかんだりモンスターや盗賊たちが掠奪によりどのような実入りを得ているかの参考とする方がはるかに多かったし、ランダムイベントに至っては物語の自然な流れを阻害するとしか思えなかったからだ。
だが、このDMガイドの記載を見て考えを改めた。
本来なら、政治形態や社会を震撼させる出来事や指導者のタイプのランダム一覧表など、そんなのマスターが自分で考えりゃいいだろ?で一蹴するところなのに、ダイスの出目によるそれぞれの結果に対して、かなり具体的な物語の中での活かし方が述べられていることで、やっとというかようやく世界の作り方として参考にできるようになった感じ。
例えば「もっとも面白いワールドガイド」たるFF(またはAFF)の「タイタン」は、よくできた世界設定を面白い架空の神話の体裁で語ることで、お手本として機能した。
だが、お手本として自分で1から作らなければならなかった事も事実だ。
俺や当時のTR PG仲間はみなそういうことこそが大好きだったから、これは全く問題にならなかったが、敷居が高く感じられる人も多かったろう。
それに応えるためのランダム表はかつては自動生成装置としての出力結果があまりにもアバウトだったし、今主流のシステムでも、ともすれば出力結果を如何に拡大解釈するかのロールプレイになりかねない危険性を孕む。
しかしこの「君の世界」は両者の長所を併せ持っているのだ。
これがルールブックのごく一部のチャプターに過ぎないというのは驚きだ。
…まあ、俺は自由にやるのに慣れてるから使わないと思うけど、それでもこんなところまで間口が広いとはなあ。

2018年5月30日 (水)

厭な小説

読了。
リアルタイムで第1話「厭な子供」だけ読んだことがあるこの作品集。
アンソロジーか何かに収録されてたんじゃなかったかな。
そしたら実は続きがあって、通して読んだらこんなに面白いとは。
やはり作風を勝手に決めつけてはいけないな。
京極夏彦の京極堂シリーズの大ファンだった俺は、同じ京極作品でありながら根底となる世界観の異なる「厭な子供」に反発した。
この世に妖怪などいない。しかし単に嘘や迷信では片付けられない。それらが信じられてきた歴史的背景が彼らを「実在」させてきたのだ、という京極堂シリーズの世界観は若き日の俺を魅了し、それとは逆に実際に妖怪が存在する「厭な子供」に裏切られた気がしたというわけ。
素直に読めるようになるためには俺自身が丸くなる必要があったわけだ。
体形のことじゃないよ。
悪趣味で不条理な短編の数々。
極めて論理的に現実世界の文法で奇怪な出来事に対峙しようとする語り手達を、嘲笑うかのように蹂躙していく様子は、過去作の世界観の破壊でもあり、京極ファンにとって快感ですらある。
だから、本当はファンであるほど読むべき小説なのだろう。
ところで一番の嫌われ役がなんの制裁も受けていない。
これこそ正に「厭な」部分、というトートロジーなのか、それとも彼以外はみな狂ってしまっているのか。
そう考えると、異口同音に理路整然たる常識人ぶりを露わにする各部の語り手たちのトークもまた不気味に思えてくる…。

2018年5月29日 (火)

ダンジョン&ドラゴン3 太陽の騎士団と暗黒の書

愛の奇跡、という扱い方を間違えれば(というか間違えてる映画の方が圧倒的に多い)どっちらけになってしまう仕掛けが、ここまでうまく、しかもファンタジー映画に溶け込んでいるってのはすごい。
クロウリー「ムーンチャイルド」みたいだ。
ダンジョンズ&ドラゴンズの名を冠した映画3作品の最後。
まぁまたD&Dの映画は作られると言う話もあるし、今のところ最後と言うのが正解か。
一作目と2作目はつながっていたが、この3作目は独立した話だ。
そしてこれが1番、面白い。
父を救うために悪党たちの掠奪集団に身分を偽って加わる若き騎士・グレイソン。
その旅の中で騎士の誇りや騎士の誓いを次々と破らなければならない。
800年もの平安の時を経て、もはや本物の騎士はいないとされる暗黒の世にあって、自分は本物の騎士になりたいと願う若者にとってそれは苦痛であり、しかしその苦悩あればこそ彼こそが本物の騎士になっていく。
骨太でしっかりしたストーリーだ。
序盤のドラゴン戦はストーリーには大きくかかわってこないものの、グレイソンが同じパーティーの悪党どもに一目置かれるようになる重要で迫力のあるシーンだ。
他のファンタジー映画ではあまりはっきりとは描かれない人食いの怪物としてのドラゴンに空恐ろしい存在感があるし、いかにも防御力が低そうな蝙蝠状の羽が本当に蝙蝠の羽のように柔らかく刃物でザクザク切り刻まれるのは長所と短所がはっきりしていて良いと言うもの。
その後もドラゴンを倒した後の街の人々が主人公たち悪漢集団に怯える様子、様々な裏切り、不気味なゾンビ娘、と見所が続き、やっとたどり着いた父との対話はこの映画の白眉だ。
ここで父を超える気高さを見せたことで、最後の奇跡に納得がいくのは大したものだ。
あまり技や魔法がD&Dっぽくないように思えるが、口からファイアボールを吐く女傭兵隊長はもしかするとドラゴンボーンとのハーフかもしれないし、そもそも第5版だと手や杖から魔法が出るとはどこにも書いてないから口から出てもおかしくは無い。視神経をグログロに伸ばして偵察する魔術師も、動物を使ってその目からものを見る魔法と対応してるとも言える。
やはり映画が面白いと、好意的にいろいろなことを解釈したくなるね。

2018年5月28日 (月)

カルドセプト3DS語り その3〜やっと回転重視ということがわかってきた

カルドセプト3DS。
やっとCPU戦の4周目、星3つキャラをクリアしました。
3周クリアのエントリーを4月17日にアップしてますので、1ヶ月ちょっとかかってますね。
いやはやきつかった。
罵声を上げる頻度がこれまで以上に高かった。
わたしこれまで、ダイスの目のせいにする人に対してそれは違うんじゃないか?と思ってた。
もちろん瞬間湯沸かし的に、なんだこのダイスの目は!と激昂することは多々あれど、直ぐにそんな自分を恥じる気持ちが込み上げて来ていた。
しかし今や立派な(?)ダイスの目のせいにする人に。
これは進化なのか退化なのか。
余裕ぶっこいているうちは本気で悔しがっていないってことで、進化と思いたいですね。
さて、ここ1ヶ月のプレイで当たり前のことが当たり前にできるようになってきた気がします。
まるで自覚なかったんですけど、わたし手持ちカードの枚数が上限を超えてただ捨てるのがとにかく嫌で、そこの領地を得ることがコスト的に見合うかどうかの判断もそこそこにここで使わなければ次のターンにただ捨てるだけになるという理由で配置することが多かったし、カードが使えないマスに止まって次のターンではカードを捨てなければならないことにすら腹を立てていたし、だから占いキャラバンでカードを引かなかったり、ホープでブックを早く回すことにあまり意味を感じてなかったりもした。
そこらへんの意識が完全に変わって、常にコストと残しておくカードを気にするようになった。
いや、以前からだってちゃんとそれぐらい考えている「つもり」だったんですが、今から振り返るとかなり雑な判断でゲームを進めていたことがよくわかります。
こういうのって何度も失敗しないとわからんのですよね。
失敗しないうちからちゃんとわかっている人もいて、そういう人はあらゆるゲームに強いんだろうなぁ。

2018年5月27日 (日)

ススルフさん参加日記

前から一度、顔を出してみたかった札幌のTR PGサークル「すすきのTR PG会ススルフの呼び声」さんの例会に参加しました。
プレイヤーとして参加したのは、
艦これRPG

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と片道勇者TR PG。

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それぞれ3時間くらいかかりましたね。
TR PGの経験のない人はピンとこないかもしれませんが、3時間で終わると言うのはかなり早い。
皆さん相当に遊び込んでいるのか、私の参加した卓以外でもかなり手慣れた感じを受けました。
まあ、ここんところいろいろな場所に顔を出していろいろなシステムを遊んだ感想では、現在主流のシステムはなるべく時間がかからずシステマティックに進むようなものではあるんですけどね。
TR PGの敷居を低くするために、わたしがTR PGから離れていた20数年ほどの間、界隈に残って支えていた人たちがたどりついた結論がこれなのでしょう。
で、改めて思ったのですが、ストーリーの生成まである程度、ランダムで決まってしまう場合、プレイヤーが積極的に「ロールプレイ」しないとボードのないボードゲームのまま終わってしまうんですね。
これはこれで別の意味で敷居が高いかもと思いましたが…なかなか正解は無いですよね。
艦これの方はマスター以外、俺も含めてプレイヤー全員が艦これの知識ほぼ皆無というマスターさんにとても負担のかかる状況でしたが、駆け足で何とか練習と実戦を1つずつ終わらせることができました。
いちいち説明が必要なんだもんな我々w
片道業者は、1回のセッションでキャンペーンに相当する駆け出しからベテランまでの急速な成長をするまさに短編小説とでも言うべき手軽さ。
これはこれで後々の成長を考えて行動を選択できるので最初の印象とは裏腹に「ロールプレイ」との相性が良い。
しかし…現在のTR PGシーンでこのテンポが求められるとしたら、D&Dをやる時はシナリオを外にシェイプアップしておかないといかんなあ。

2018年5月22日 (火)

「ファンデルヴァーの失われた鉱山」精読

D&D5eスターターセット付属シナリオ「ファンデルヴァーの失われた鉱山」。
プレイヤーとしてプレイしたこのキャンペーンシナリオを、今度はそのうちダンジョンマスターとしてマスタリングすべくせっせと読んでいたのですが、何とか読み終わりました。
ちなみに誤植が1カ所だけありました。
マスターやってる最中に初めて発見したりしたら混乱すると思うんで、あらかじめ読んでおくことに意味はあるわけです。
マスターズガイドをつまみ食いして、ソロプレイで予行練習をして、仕事が1段落つく夏ごろにはどこかのコンベンションでマスターやってみようかなと思ってます。
それにしても…いやはや盛りだくさんのシナリオですね。
先月まで月1回5ヶ月にわたって参加したキャンペーンではトータルで20時間弱くらいかかりましたが、あれでも細かいところはだいぶ端折っていたことがわかります。
ちゃんとやったら倍くらいはかかるんじゃないかな。
D&Dをやったことがあるか、噂には聞いたことがあって、今度D&Dをやるならこいつと戦ってみたい、という敵はちゃんと押さえてあるし、各サンプルキャラクターの能力や魔法も一通り使いどころがあるのはもちろん、魔法学の知識など普通にシナリオを作っていたら生かしどころが難しい知識系のスキルまで役立つようになっていて、自分でシナリオを作るときに大いに参考になりそう。
最初に触れるシナリオとして十分な合格点です。
それにしても隔世の感があります。
私のやっていた20数年前のクラシック第4版の頃は、2から3つのシナリオで1つレベルアップする位が良いとされており、また力ずくのプレイを廃する意味でモンスターを倒した経験値は微々たるものだった。
それがパワープレイでも十分にキャラを強くしていけるし、それを差し引いてもキャラの成長速度が速い。
システムで強制して「ロールプレイ」をさせるのではなく、そちらの方が楽しいと思ってくれればだんだんとそちらの方向にシフト行していけばいい、て考えなんでしょうね。

2018年5月21日 (月)

明日ちゃんのセーラー服 第3巻

躍動感ですよ躍動感。
もともとヒロインの小路の魅力はその全身の動きにありました。
しかしこの3巻では、クラスの友達も全身で思い思いの自己主張を始めます。
で、当たり前だけど一人一人で動きが違うんですよね。
表情とは顔だけであらわすものにあらず!
小学校時代は全校生徒が妹と2人しかいなかった、言わば野生児だった小路は、ナチュラルボーンで同じお嬢様学校の生徒たちとは1線を画しているわけですが、その小路と対比することで、他の女の子たちの若干、抑え気味の動きからみんなの個性が見えてくる。
小路がみんなの良いところを引き出している。
お嬢様学校だけあって、みんな素直なんでしょうね。
意地悪な言い方をすれば、共学の学校に行ったら小路の良いところは逆に疎まれる結果になっていたかもしれない。
小路が小路でいられる環境でのびのびと育っていく。
ある意味ファンタジーではあるんですが、漫画の中でくらいこういうまっすぐな、子供の長所を失わないまま大人の階段を上って行くそんな世界を見ていきたい気がいたします。

ジャンプブックストアの該当ページ
http://jumpbookstore.com/item/SHSA_ST01C89101600301_57.html

2018年5月13日 (日)

「ラ・タヴァロッツァ」のピッツァ

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個人的に札幌で最もピッツァのおいしい店。 もっちりとして、それでいて少しもフニャとしてないんですよね。 当たり前? いやいや有名店でも外れピザ焼くとこありますよ。 タヴァロッツァさんはそんなこと1度もないです。 この日のピザは、エスターテという辛いピッツァ。 辛いサラミ、ししとう、ミニトマト、モッツァレラ。 辛いですよ、と注意されていたんですが、わたしが辛いもの好きなのを差し引いてもなんもなんも。 生地がしっかりしてるんで、辛さをガッチリ受け止め包み込んで、旨さしか感じませんとも。 狸小路7丁目界隈はわたしのメインフィールドの一つですが、ここは1軒目にまず腹ごしらえで入ることが多いですね。

2018年5月12日 (土)

「萌」のアミ辛正油ラーメン

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留萌から深川に向かうちょうど留萌の出口に当たることから前から気になっていたラーメン屋。 ちょうどいいタイミングで通りかかったので食べてみたら、とても新鮮な味わいでおいしかったです。 アミとはオキアミのこと。 オキアミ自体が独特の塩味を出していることから、醤油と塩が混じり合ったような複雑な味わい。 辛さも唇が素敵にしびれすぎない程度にしびれて後味が非常に良いですね。

2018年5月10日 (木)

ダンジョン&ドラゴン2

前作がチープなB級映画なりに楽しめたので続編も観てみました。
今回の主人公・ベレクは騎士。
近衛隊長から宰相に抜擢されるほどの傑物で近衛隊員からも絶大な人気を誇る、ヴェスパシアヌスのような人。皇帝ではないけどね。
奥さんはメイジのメローラ。
奥さんを口説き落としたことを高貴なメイジを堕落させたと言って、メイジが貴族だった前作と同じ舞台であることを印象づけている。
メローラが初登場の時、この世界の魔法について興味深いことを言っている。
知識を学んで使うメイジの魔法と異なり、聖職者の魔法は神の恩寵によるもの。
自分はそれを使えるようになりたいと。
マジックユーザーの魔法とクレリックの魔法は違うと言うD&Dの基本を説明してくれているわけだが、シングルクラス一辺倒ではなくマルチクラスも十分に可能なことがわかる。
ちなみにメローラが使いたいと言っているのは修復の魔法。
5eなら回数無制限でいくらでも使える初級変成術呪文くのメンディングだ。
世界が違うと有利な点も不利な点もある。
ストーリーは前作と同じアーティファクト争奪戦。
黒幕は前作ではラスボス以上に目立ちまくりだったダモダー隊長さんがメイジにクラスチェンジして務める。
ここら辺あまり深く考えてはいけないだろう。
生前のダモダーがいた頃はメイジが支配階級の貴族だった時代だし、あのダモダー配下の騎士達はメイジの家系に生まれながら魔法の才能が開花しなかった者達と考えるのが妥当だ。
死から甦る際にそれが開花したとしても不思議ではない。
さて、街の近くの洞窟にドラゴンが!
低いところにたまった毒ガスを魔法で風を起こして吹き飛ばすのが頭いい感じ。
この方法は実際のロールプレイでも使えそうだ。
この魔法はクラシックにはなかった。
風を起こすなんて簡単な魔法がなかったと言うのは今にしてみると驚きだ。
まあ俺のクラシックD&Dの知識は青箱止まりなので、実はあったのかもしれないが。
5eなら2レベルの力術に「ガスト・オブ・ウィンド」があり、しかも呪文の説明文の中に使用例としてまさにこの使い方が書いてある。
幻視の呪文に高価な物質要素が必要でメローラがそれを自分の旦那におねだりするのもいい。
ここまできて5eの要素が結構入っていることに気づく。
もちろん時系列的には5eの方がずっと後だけど。
このドラゴンがかつて放浪時代に聞いた言い伝えのそれだと気づいたベレク、その言い伝えについて調べるメローラ。
その過程で使い方によっては世界を滅ぼしかねない宝珠と、それを悪用しようとしている者たちの存在を知る。
争奪戦の始まりだ。
議会は最初メローラの話を信じないが、証拠があると即座に事態の深刻さに気づいて対策に当たるあたりはさすがメイジだ。
この国は大丈夫だな。
国王の命令でベレクを隊長とした探索隊が編成される。
バーバリアンにクレリックにエルフの魔術師にローグ。
ローグの同行を強く進言したのは、ベレクが冒険者あがりだからだろう。
バーバリアンが最初は男だと思わせておいて、その男を叩きのめす女の方が目指すバーバリアンだったと言うのはなかなか好きな演出。
この姐ちゃんは要チェックだ。
奥さんが同行しなかったのはちょっと意外だが、ベレクの優しさがよくでていた。
ダモダーの潜む納骨堂に向かう途中でドラゴンに遭遇する。
クレリックのドリアンがひとりでドラゴンの前に立ちはだかったのは、炎を防ぐ魔法があったからなんだけど、このドラゴン、炎が防がれたとわかったらすぐに冷気のプレスを吐いてくる芸達者。
お前はフレイザードか!
1名脱落だ。
TR PGのセッションだったら回復役がいなくなったどうしようってところなんだろうが、RPGと映画は違う。
頻繁に手傷を追ってちょくちょく回復するってのはゲームならいいが、映像でやると手傷を負うこと自体に緊張感を感じられなくなるから、如何にゲームを原作にしようとも「そもそもダメージを喰らわないようにする、という通常の作劇の作法にならざるを得ない。
ドラゴンを何とか撃退して次は納骨堂周辺の戦い。
ベレクとローグのニムが納骨堂入り口の暗号に四苦八苦している間に、バーバリアンとエルフの魔術師の紅二点が雇われた山賊達を食い止める。
この映画の主役夫婦と並ぶもう一つの名コンビは、最初は反目しあってたが互いを認め合うようになる女バーバリアンとローグで、特に女バーバリアンはシーザー・ツェペリの「友人を作るのは下手だが惚れ込んだら(不正確)」を地で行く熱意でまずニムを、次いで仲間達を大切にするように。
そんな中でエルフはいまいち存在感がないんだが、この戦闘では迫り来る山賊達に次々と電撃を見舞うという活躍を。
この映画をリアルタイムで知らないし、公開時点でのD&Dや他のTRPGのルールもよく知らないけど、魔法を連発するという考えはなかった筈。
でも、回復魔法と逆で、どんな弱い魔法でも回数制限を減らしていくから滅多に使えない描写にすると、こっちは逆に盛り下がるのが一般的な殺陣の法則。
5eには無制限に使える初級呪文がたくさんあるけど、この映画を含む無数の魔法を徹底的に撃ちまくる映像が影響してのことなんだろうなぁ。
物語の後半はあまり魔法を使わないので省略。
まあ、留守番の奥さんが古代人がドラゴンを封じた方法の研究を多くのメイジ達と一緒に進めているんで、魔法に絡むストーリーではあるんだけど。
楽しめるところは多々あったものの、展開が優等生すぎる上にだんだんと低空飛行に。
ドラゴンともダモダーともデーモンとも戦いらしい戦いもなく終わってしまった。
個人的に知恵と勇気とチームワークを駆使して戦いを回避して勝利を得るのは嫌いじゃないから、この3体のボスのうち1体くらいならそれでもよかったんだけど、3体全部がそうだとどうしても竜頭蛇尾な印象を受けてしまう。
伏線も未回収が気になるものがあり、特に近衛隊長時代の部下である現近衛隊長がいかにも何か話に絡んできそうだったのにそれっきりなのはどうなんだろう。