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2018年3月12日 (月)

北の桜守

とりあえずソ連◯ね。
あ、すいません。とっくの昔に◯んでましたね。
樺太から引き上げた母子が塗炭の苦しみを。
貧しいだけでも苦しいのに、母・てつには強烈な罪の意識があり、1人の人間として幸せを追い求めることすら拒絶する。
我が子・修二郎も遠ざける。
罪の意識は多かれ少なかれ人を縛るが、彼女のそれはあまりにも大きすぎ、それを受け止め向き合うには人生の全てを投げ打たねばならなかった。
自分に全く非のない悲しい出来事であっても。
許されない罪。何より自分で自分が許せない。でも許されなければ生きていけない。
これはそんな罰する他者とてない、故に自分と言う最も巨大な存在から責められる苦しみを描く締め付けられるような作品である。
多くの人間はこんな苦しみには耐えられない。
子供時代に修二郎に酷い虐めをした悪ガキが、大人になってなれなれしく金を借りに来る場面があるが、これなど良い対比だ。
あんな男でも「ゆるされたい」と思っており、それがああいう無神経な態度になってあらわれる。
修二郎が自分を許していると決めつけ思い込み、罪と対峙することから逃げているのだ。
それに対しててつの生き方はストイックに過ぎるし、それが修二郎と母の長い断絶にもつながっていたのだろう。
だから、再会後の2人の旅は、罪と許しの実感を得るための旅だ。
一見、母の愛や親孝行を描いているように見えて、実に重苦しくしかし心を打つ。
構成も上手い。
観客は皆ずっと「あの人はどうなったんだろう」と思い歯に何かが挟まったような「いずさ」を感じながら現在の母子の姿を追うのだが、抜群のタイミングで事実がわかる。
そこから物語は大きく加速する。
舞台は1970年代だ。
道民として北海道を舞台にした映画だからと言って、それだけで高く評価したりはしない(※実際、前作「北のカナリアたち」は好きじゃない)が、一定のレベルさえ超えてくれれば、まあ、評価は下駄を履く。
修二郎がホットドッグ屋を開く1970年代の狸小路はなかなかいい雰囲気を出してると感じた。
地元を舞台にした映画は少しでもアラがあると目立つものだが、これなら十分だろう。
いわば狸小路3丁目の夕日である。
JR北海道が協力していると言うことで、列車での旅は当時の車両のようだが、流れる車窓はCGだ。
ここがちょっと不自然なのは気になった。
また、舞台の上で演技する場面が要所要所で挟まれるが、人生は演劇のようなものだ、なんて深い考えはなく、単に予算が足りないように感じてしまうのは、ちょっと冷めてしまって残念。
大物俳優だらけで、そこまで予算が回らなかったのかな。

エンドロール後エピソード なし

公式サイト
http://www.kitanosakuramori.jp/sp/index.html

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コメント

雑食食いなものでw
まあ、稚内という地方都市では、来る映画は何でも観なきゃ、って事情もあるんですけどね。
パシリム楽しみですね。
前回が薄氷の勝利だったんで、今度は大物量同士の大戦争が見たいです。

こう言った映画も見るのですね。
ジャンルの幅が広い!!。

自分は、SF・アクション・ホラー以外は、ほとんど見ませんから(^-^;
次に観に行くのは、パシフィックリムかな?

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