Powered by Six Apart

« 2018年2月 | メイン | 2018年4月 »

2018年3月

2018年3月21日 (水)

マルチクラスはシンプルイズベスト

D&D第5版の兼職ルールは素晴らしい。
プレイヤーズハンドブックを読みながらつくづくそう思った。
「第6章:カスタマイズ用オプション」の前半を占めるマルチクラスのルール。
要するにファイター兼ウィザードとか、パラディン兼ローグとか、 2つ以上の職業を兼ね備えたいーキャラクターを作れるルールで、昔からいろいろなTR PGにあり、特に目新しいものではないのだが、このゲームにおけるシンプルさとその背景にある丁寧なバランス取りには感服するしかないのだ。
そう、繰り返すがシンプルであることが素晴らしい。
現在の職業のレベルを1つ上げる代わりに、別の新たな職業をレベル1として始めてもいいし、既に複数の職業を持っているなら、その他の職業のレベルを上げてもいい。
そのことで特に経験値の調整もいらないし、能力値の変更もない。
このわかりやすさは、どの職業も各レベルごとの強さは大体同じで、必要な経験値も全く同じだからこそ実現できている。
多くのTR PGのマルチクラスは、組み合わせ前の各職業ごとに強さにばらつきがあり、次のレベルまでの経験値もバラバラ、だからそれを組み合わせる時に能力値にプラスやマイナスの修正があったり、経験値にも補正がかかったりして、ややこしい。
マルチクラスと言えば真っ先に思い出すWARPSファンタジーなんかは、3つ4つの職を組み合わせたりしたら、必要な経験値はシングルクラスの職業の数倍に跳ね上がったりしてとても煩雑だったことを思うと、このゲームにおいて、煩雑にさせないために何度も何度もトライアンドエラーした上でのバランス取りだった事は想像がつく。
シンプルなものほど作るのは難しい、これはよく言われることだが、まさにその一例を見る思いでした。

2018年3月20日 (火)

夕張国際ファンタスティック映画祭2018

規模を縮小して行われた2018年の夕張映画祭。
わたしが参加したのは3/16PMから3/17。
観たのは、長編だけでも、トウキョウ・リビングデッド・アイドル、スモーキング・エイリアンズ、キュクロプス、パズル、穴を掘る、ナナちゃんOh mein GOTTしよ、精霊カフェの7作品。
短編が、「HKT48×48人の映画監督たち」から9作品を含む17作品。
意外と疲れなかったのは、冒頭で述べたように会場がコンパクトにまとまっていたからでしょうね。
かつてのメイン会場、アディーレ会館がなくなってから、どういう形で行うべきなのか運営側は模索してたように思います。
去年はひまわりとシューパロの2カ所で、この2カ所は離れていることから20分間隔のシャトルバスを運行。
しかし移動は結構めんどくさいんですよね。
私も去年はシューパロから動きませんでしたから。
多分、私のような人が多かったのでしょう。
今年はひまわり1カ所となりました。
招待作品の上映と言うことを考えると、シューパロにはそれだけの広さの部屋はありませんからね。
でも、ひまわりのみと言うことになると、スクリーンの数はたったの3つにならざるを得ない。
スクリーンが5つあった時代を覚えているこちらからすると寂しいものがありますが仕方ないのでしょうね。
まぁ私は映画のジャンルにこだわらない雑食ですから、途切れることなく山ほど映画を見ることができますが、そうじゃない人は物足りなかったかもしれませんね。
さて私のお気に入りは、長編の中ならエネルギッシュな「穴を掘る」、短編ならHKT48ムービーの中の「黒猫は空中を見る」ですね。スマホのカメラの顔認証をテーマにしたホラーで、着信アリに通ずるものがあります。このアイディアは膨らませて長編にできそうです。

2018年3月19日 (月)

ファンデルヴァーの失われた鉱山パート4

月に1度、参加しているD&D第5版のキャンペーン。
早くも4回目です。
会場はいつもの札幌RPGセンターのプレイスペース。
↑ここまで前回のコピペ'です。
前回、守備よくドラゴンを屠ったことでレベルは4にアップ。
わたしのファイターを含め多くの職業で「任意の能力値がトータルで2アップ」されるレベルです。
しかし、キャラクターのカスタマイズルールを用いれば、能力値アップの代わりに特殊なスキルを得られるんですよね。
リストをざっと眺め、<警戒>に惹かれます。
不意打ちされないのもいいのですが、何よりイニシアチブに+5が大きい。
最初のターンのイニシアチブロールの数値が戦闘終了までの全てのラウンドに適用されるD&D第5版の戦闘ルールでは、最初の出目が悪いとずっと後手に回ってしまう。
それに、せっかくLV3の時にバトルマスターになってディザームやプッシュでテクニカルな戦闘の余地があるんだから、なるべく先手を取りたい。
まあ、今回のセッションの3回の戦闘では、うち2回の出目が悪かったんですが、それでも中間くらいの順位に食い込んで、<警戒>の効果を実感したのでした。
バトルマスターの各種戦技との相性はいいとおもうんですが、たぶんスペル関係でもっといい相性がある筈。
魔法関係も読み込まないとなあ。
次回は最終回。
レベル5で挑む敵は如何なるツワモノか。

2018年3月18日 (日)

ゲーム世界の私的貨幣価値はお口にチャック

D&D第5版プレイヤーズハンドブックの「隅々まで読破」も順調に進み、第5章「装備」を読み終わった。
マジックアイテムは一切ないが、それは後々、補足されるであろう。
ロングソードやチェーンメイル等の武器防具、ランプやロープみたいな個人道具から、乗り物も乗馬からガレー船まで眺めているだけでも楽しい。
とは言っても、たらたら流し読むわけにはいかない。
各アイテムは他のゲームにも出ているものであり、ゲームのアイテムとして落とし込む為の解釈は多種多様。
クラシックD&D第4版とすら違っているのだから、ちゃんと用途や効果を読んでおかないと、他のゲームのそれの知識に引っ張られてしまう危険性があるのだから。
中でもまるで違うのが物の値段。
一食と一泊と武器や防具と家畜の値段の比率なり倍数なりは明確な基準はなくてゲームによってバラバラだから、とりあえず日本円に換算すると言うことをよくやる。
ローズトゥロードだと金貨1枚で10,000円くらいだったが、アドバンストファイティングファンタジーやダンジョンズ&ドラゴンズクラシックでは5,000円くらいというのが俺の認識だった。
だからこの第5版でも5,000円くらいかな、と思って読み始めたんだが、最初の方の道具の価格表を眺めてむしろ1万円くらいではと仮判断し、各アイテムについて何日ぶんくらいの稼ぎで買えるのかと想像しながらページをめくっていく。
すると、この価格では高すぎるのでは?というアイテムが増えてくる。
そこで、レート1万円では高すぎるアイテムと、レート5,000円では安すぎるアイテムではどちらが多いのか考え、やはり5,000円だろうと決めたのだった。
もちろん、これは俺がそう思っているだけのこと。
これからコンベンション等に参加するに当たって、各マスターには一言もそんなことは言わない。
20数年前の経験から、その世界の金貨なり銅貨が日本円にして幾らくらいか聞かれて不機嫌にならないゲームマスターは殆どいないことを、俺はよく知っているからだ。

2018年3月15日 (木)

D&Dにおける「職業と背景」

D&D第5版プレイヤーズハンドブック。
予想どおり第3章「職業」に続く第4章「背景」は順調に読み終わった。
というか、職業と背景は一緒にまとめて読むのが本筋なんだろう。
職業を2つ3つ、背景を2つ3つ読んで、それらを組み合わせればどんなキャラクターになるんだろうと想像する。
職人を背景とするクレリックは、普段は機織りで生計を立て、必要とされた時に神に仕えるのかも知れない。
共和制ローマでは専業の神職はおらず、他に職業を持つ人々が交代で神殿の仕事をしていたし、そういう信仰の形もありだろう。
また侍祭を背景とするファイターは、地方の名士の三男坊で幼くして僧院に放り込まれたが、兄達の戦死で還俗させられたばかりなのかも知れない。
彼が聖職にあった時の癖で、つい聖典からの引用をしてしまっても不思議ではない。
こんな感じで妄想たくましくしていけば、そのほうが理解も早いし、ゲームを早く始められる。
残りのたくさんある職業や背景は、おいおい読んでいけばいいのだ。
そんな中で特に感心したのが吟遊詩人、バードだ。
職業のページだけ見た時は、複雑な感じだった。
吟遊詩人同士の集まりがあり、そこで魔法の効果のある歌を教わる吟遊詩人たち。
これはこれで面白いが、思い描く吟遊詩人像から離れてると感じる人も多いのではないだろうか。
しかし、背景に「芸人」があることで話が面白くなってくる。
普段は芸で稼いでいるファイターやソーサラーがいても構わない。
それもまた広義の吟遊詩人ではあるだろう。
D&Dの職業たる「バード」ではないとしてもだ。
吟遊詩人が別に魔法なぞ使えない設定のファンタジー小説はいくらでもある。
アルスラーン戦記の旅の楽士・ギーヴなんかは、芸人の背景を持ち弓とショートソードの習熟を持つファイターとすれば、十分にD&Dのルール内で再現できる。
職業が単独で存在する多くのTR PG や大半のCRPG では、それがこれまでの人生を意味するのか、現在の収入源を意味するのか、旅の中で集中的に学んでいる分野を意味するのか、果たしてそのどれなのかがわからず「ロールプレイ」する上で支障があった。
生活の手段と冒険者としての役割を明確に区分したこのシステム、結局のところバードは背景に芸人を、バーバリアンは背景に辺境育ちを、ファイターは背景に兵士を、というようにそれっぽい生計を選ぶことが多いわけで結局、分けた意味がないのではと言う気になってしまいがちだが、どうせならなぜその組み合わせになるのかそのキャラクターが過ごしてきた人生を妄想する楽しみを味わいたいものだ。

2018年3月12日 (月)

北の桜守

とりあえずソ連◯ね。
あ、すいません。とっくの昔に◯んでましたね。
樺太から引き上げた母子が塗炭の苦しみを。
貧しいだけでも苦しいのに、母・てつには強烈な罪の意識があり、1人の人間として幸せを追い求めることすら拒絶する。
我が子・修二郎も遠ざける。
罪の意識は多かれ少なかれ人を縛るが、彼女のそれはあまりにも大きすぎ、それを受け止め向き合うには人生の全てを投げ打たねばならなかった。
自分に全く非のない悲しい出来事であっても。
許されない罪。何より自分で自分が許せない。でも許されなければ生きていけない。
これはそんな罰する他者とてない、故に自分と言う最も巨大な存在から責められる苦しみを描く締め付けられるような作品である。
多くの人間はこんな苦しみには耐えられない。
子供時代に修二郎に酷い虐めをした悪ガキが、大人になってなれなれしく金を借りに来る場面があるが、これなど良い対比だ。
あんな男でも「ゆるされたい」と思っており、それがああいう無神経な態度になってあらわれる。
修二郎が自分を許していると決めつけ思い込み、罪と対峙することから逃げているのだ。
それに対しててつの生き方はストイックに過ぎるし、それが修二郎と母の長い断絶にもつながっていたのだろう。
だから、再会後の2人の旅は、罪と許しの実感を得るための旅だ。
一見、母の愛や親孝行を描いているように見えて、実に重苦しくしかし心を打つ。
構成も上手い。
観客は皆ずっと「あの人はどうなったんだろう」と思い歯に何かが挟まったような「いずさ」を感じながら現在の母子の姿を追うのだが、抜群のタイミングで事実がわかる。
そこから物語は大きく加速する。
舞台は1970年代だ。
道民として北海道を舞台にした映画だからと言って、それだけで高く評価したりはしない(※実際、前作「北のカナリアたち」は好きじゃない)が、一定のレベルさえ超えてくれれば、まあ、評価は下駄を履く。
修二郎がホットドッグ屋を開く1970年代の狸小路はなかなかいい雰囲気を出してると感じた。
地元を舞台にした映画は少しでもアラがあると目立つものだが、これなら十分だろう。
いわば狸小路3丁目の夕日である。
JR北海道が協力していると言うことで、列車での旅は当時の車両のようだが、流れる車窓はCGだ。
ここがちょっと不自然なのは気になった。
また、舞台の上で演技する場面が要所要所で挟まれるが、人生は演劇のようなものだ、なんて深い考えはなく、単に予算が足りないように感じてしまうのは、ちょっと冷めてしまって残念。
大物俳優だらけで、そこまで予算が回らなかったのかな。

エンドロール後エピソード なし

公式サイト
http://www.kitanosakuramori.jp/sp/index.html

2018年3月11日 (日)

復讐のパラディン

D&D第5版のプレイヤーズハンドブック。
「第3章 職業」を少しずつ読んでいて、やっと全職業把握。
1つ把握したらどっと疲れて、後ろの方の呪文リストあたりをパラパラ眺めるようにしてたんで、なかなか進みませんでした。
まあ、実際のプレイに際しては自分のキャラの職業だけを読めばいいんでしょうが、同じパーティの戦友がどんな特技を持ち、どんな成長をしていくのかを把握しておけば、ロールプレイにも役立つというもの。
多分これ以降の章は、こんなに大変じゃないと思う。
この章は各職業ごとに覚えるスキルや特に魔法を中心に、他の章を参照する頻度が非常に高いけど、これ以降はそんなことはない、いわば参照される側だから。
で、ひととおりの職業を把握したんだけど、ぴんとくるものとこないものが。
まあ、これは仕方のないことで、TRPGにおける職業ってのはマスタープレイヤー双方の利益の為に「類型」を作るのが目的だから、自分がその職業名を聞いて真っ先に思い浮かぶ小説や映画のキャラが、システムのカバーする範囲を外れてしまうのは十分にあり得ることなわけだ。
それに次の第4章は「背景」で、キャラのバックボーンに触れているから、職業と背景の組み合わせでカバー範囲は飛躍的に広がるんだろう。
という論法で自分を納得させてきたんだが、ただひとつパラディンだけは首を傾げてしまった。
正確には「復讐の誓い」のパラディンだ。
神に仕える聖なる戦士、パラディンには更に細かく3種類あって、「聖なる誓い」を立てたいわゆるイメージどおりのパラディン、「古き者の誓い」を立てた大自然の守護者的パラディン、そして「復讐の誓い」を立てた復讐鬼的なアンチヒーロー的パラディンで、それぞれレベルアップで得られるスキルや魔法が違う。
復讐のパラディンは復讐の対象にしか効果がない様々なスキルを得るのだが、ここでどうしても疑問が。
復讐が早々に成就してしまったら、その後のレベルアップはどうなるの?
ていうかパラディンを続けてていいの?
ロールプレイってことを考えたら、復讐が成就した時点でパラディンであることを終了し、その後はマルチクラスとして別の職業を選択しなきゃならないのではないか。
何せゲームだから、確率的にはすべての判定で20の目が出てクリティカル連発、主人公たちを軽くあしらって退場する予定のセッションで宿敵があっさり死亡と言うこともないとは言えない。
そういう時はプレイヤーがいくらパラディンを続けたくてもDMは冷徹におめでとうの拍手をしなきゃいけない…ロールプレイと言うことを考えると当然そうなる。
しかし、プレイヤーのパラディンへの思い入れがあまりにも強く、パラディンをやめなければならないことに明らかに意気消沈しているときはシナリオやキャンペーンの臨機応変な変更も必要になるだろう。
まぁそーゆー予想外のプレイヤーキャラの活躍がなくても、ちょうどキャンペーンが終わる頃、パラディンをプレイするプレイヤーがなかなか参加できなくなる頃に、復讐の完了をさせなければなくなる。
と言うわけで復讐のパラディンである事は「物語の法則」がより具体的な形でセッションに入り込んでくるのだろう。
だが多かれ少なかれTR PGのマスタリングというのはそういうもの。
復讐のパラディンに関わるルールは、TR PGのメタな側面が最もダイレクトな形でシステム化されているってことなんだろうなぁ。

2018年3月 8日 (木)

グレイテスト・ショーマン

「ヘアスプレー」でとても格好よかったザック・エフロンの姿が(脇役ですけど)また見られてしかもミュージカルだってんでハズレなしと思っていましたが、楽しい映画でしたね。
と、好きな俳優の脇役の話から入ってしまいましたが、主役はバーナム。
アメリカにショービジネスを誕生させた興行師。
天性の愛嬌を持った、人を笑わせ楽しませるために生まれたような男。
とは言え流石に、現実の彼は歌って踊りながら奥さんや団員やビジネスパートナーを魅了してきたわけではないでしょうが、そんな事は小さなこと。
アメリカンドリームかくあるべしというバーナムの行動力と魅力は、ミュージカルの形で表現するといっそうプリミティブに眼前に迫り来るのでした。
興味深かったのが、バーナムが無一文になるきっかけとなった歌姫・リンドとのトラブル。
貧しい境遇から世界のトップレベルにのし上がった彼女にとって、似たような境遇のバーナムはまさに運命の相手と思えたんだけど、愛妻家のバーナムに首を縦に振らせることはできない。
だから彼女がバーナムに向けた「あなたは人を大切にしない」的なセリフは身勝手この上ない上にとんちんかんなわけなんだけど、リンドが知る由もないバーナムとサーカス団員との一時的に冷え切った関係については当っている。
リンドは自分とバーナムのことを言ってるのに、バーナムはもっと広い範囲の事と捉えている。
つい口から出た言葉ってのは、意外と本質をついてることがあるんですよね。
でも直後の火事で真っ先に従業員のことを心配するバーナムですから、これも半分しか当っていない。
互いに感情的になって客観的に見ると会話が成立してないんだけど、本人同士の間では会話とは別のレイヤーで意思の交換ができているって、現実ではよくあるんだけど、わかりやすさを求められる娯楽作品でこういう深い描写が見られるとは、良いアクセントでした。

エンドロール後エピソード なし

公式サイト
http://www.foxmovies-jp.com/greatest-showman/sp/#/boards/showman

2018年3月 7日 (水)

ぷちGARAKU・2018年3月マンスリーカレー

Img_6468


今月のマンスリーカレーは「炭火炙り鳥せせりのスープカレー」。
2月のマンスリーが1月と同じだったんで2ヶ月ぶりですね。
料理名には入っていませんが梅肉がいい味、出してます。
試しに梅の実一個まんま舌に乗せてみても、梅のあの強烈な自己主張は微塵も感じられないほどスープが染み込んでいるというのに、要所要所で梅の味が顔を出す。
梅の実をいつ食べるか、何と一緒に食べるか、実に悩ましいところです。
メインディッシュのせせりも、一般的なスープカレーのでかいチキンとは真逆の食感が楽しい。

2018年3月 3日 (土)

ブラックパンサー

オーバーテクノロジーで外界より遮断されたアフリカの小国。
国を奪われた若き王が祖国奪還に立ち上がる。
なるほどこれは面白い。
その若き王の力がアメコミヒーロー的なのであって、アメコミヒーローと言うよりもっと一般的な娯楽活劇に感じた。
なんといっても新鮮なのが、アフリカに欧米と同等あるいはそれ以上の近代都市国家があったとしたら、というIFの世界を描いていると言う事。
スチームパンク、サイバーパンクと並んでブラックパンクとでも呼ぼうか。
日本のラノベやSF、はたまたハリウッド映画にも、サムライやニンジャが未来のハイテク装備を駆使するキャラクター造形のパターンがあるが、それのアフリカ版で、古来よりの由緒正しい部族の戦士がビーム兵器やバリアーで戦いあうのを見ていると純粋に痛快だ。
しかもその未来戦闘要素はあくまで本来の魅力を彩るに過ぎず、肉弾戦が大変な迫力だ。
そもそも王になるには超常の力に頼らずに己の力を示す必要があるのだが、そのシーンの迫力ときたら!
対戦相手のエムバクも堂々たる戦士で、こいつは好感の持てる奴だ、きっと良い仲間になるに違いない、と思わせてくれる。
一方、同じ挑戦者でも悪い奴は、どれだけ彼に彼なりの事情があろうと、また戦いぶりが立派であろうと、こいつには人を束ねる資格がないと思わせてくれる。
戦いを通じて主人公やライバルの人となりを見せてくれるので、展開はスムーズで納得のいくものだ。
ただその反面、スーツを着てブラックパンサーになった後の戦闘には物足りなさも残る。
ブラックパンサーの名に反して豹のような身のこなしを見せるわけでもない。
それは敵の攻撃を吸収して衝撃波に変換して弾き飛ばすというスーツの能力ゆえにどうしても敵の攻撃を食らう描写を多くしなければならない事の反映でもあるんだけど、その肝心の衝撃波の使い方がワンパターンすぎるから、だったら素直にスピード系の描写をすればよかったのにと思ってしまうのがなあ…。
そこら辺はアベンジャーズに合流した後でスピード系のキャラになるのかな?

エンドロール後エピソード あり

公式サイト
http://marvel.disney.co.jp/movie/blackpanther.html