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2017年8月 9日 (水)

海のトリトンを観て

ここんとこ未見だった「海のトリトン」を観てて大変に面白かったんだけど、最終回はちょっと荒かった。
尺が足りなかったのかキングゲイナーの最終回を思わせる駆け足だった。
ゲルペス連隊のゲルペスがいきなり自分こそトリトンの両親の仇である旨を自慢げに語ったり、マイペスという黄色いリザードマン幹部なんかひどいやられ方で、残った幹部をまとめて葬っているかのよう。
とは言え、それによってどうしても描きたかったポセイドン族の真実を描く尺を稼いだんだと思えば、まあ仕方ないのかな。
ただ…俺はポセイドン族に全く同情できなかった。
海の悪党と何度も連呼されてたポセイドン族はトリトン族の奴隷でついには人身御供にされてしまった気の毒な連中ではある。
トリトン族に対して蜂起するのも自然な感情だ。
しかし、それはあくまで大昔の話。
現在のポセイドン族とトリトン族を見ているとやはりポセイドン族は悪党としか言いようがない。
そもそも劇中の「ポセイドン族」は2つの意味で使われている。
トリトンに襲いかかってきた魚人や怪物どもとポセイドン像の奥に隠れ住んでいた人間そっくりの連中は全く別の存在だろう。
自分をポセイドン族と信じている怪物どもは真のポセイドン族の奴隷のようなもの。
しかもそのことを怪物どもは知らない。
(恐らくは攫ってきた)人間を海洋生物とのキメラにしてこき使い、用がなくなったら捨てる。
トリトン族がどんな主人だったか知らないけど、自分達がトリトン族にやられたことを人間に対してやっているとしたら、何とも陰湿な民族性ではないか。
ミノータスやポリペイモスが気の毒になってくる。
少なくとも彼等は海の覇権を信じて戦ってきたというのに…。
だから富野監督の描きたかったのは単純な善悪の逆転というより、虐げられた者がこうならざるを得ない、そのやり切れなさに思えるのだ。

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コメント

打ち切りっぽいですよね。
最終回の駆け足も含めて惜しい部分があるんでリメイクを望みたいところです。
一平おじいちゃんになんの言及もないのが悲しい…。
まあ「リンかけにおける下町要素」くらい浮いてしまっているから仕方ないんですが。
富野作品っぽさはあちこちにありますよね。
ガンダムの殺陣は監督の剣道体験あってのものらしいですが、トリトンの殺陣も小が大を打ち負かす説得力に満ちていて面白い!

打ち切り感が漂いますね。
もう少し丁寧に描いていたら、違う印象になったかもしれませんね。

トリトン族も、ヒューマノイドと人魚ですから・・・
この辺りの描き方も、惜しいですよね。

個人的には大好きな作品で、LD-BOX、DVD-BOXを購入しました。
富野伝説?な始まり的な作品でしょうか?

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