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2017年2月11日 (土)

女の一生

モーパッサンの名作「女の一生」を読了。
この邦題は括弧書き付きで「女の一生(などこの程度のものだ)」と言わんとしているようで、モーパッサンが女手一つで自分を育ててくれた母を尊敬していただろうことを考慮すると、実に複雑な陰影を感じさせてくれる。
流されるままに転落人生を送るジャンヌ。
彼女はなぜ不幸になってしまったのか。
全て夫のジュリヤンが悪いのか?
確かに生真面目なジャンヌと女癖の悪いジュリヤンはそもそも相性が悪いのだが、思うにそれは二次的な問題だ。
ジャンヌから見ればジュリヤンは貧乏貴族出身故のケチな金遣い、目下の者への尊大な態度、前述の女癖の悪さ、困っている者への冷酷さと言った「失望」の宝庫だろう。
だが、この物語はジャンヌのほぼ一人称で語られているから想像ではあるが、ジュリヤンから見たジャンヌとその両親も、ぼんやりしたお人よしで自分がキッチリ面倒を見ないと次々と財産を手離す羽目に陥りかねない木偶の坊のように見えていたのではないか。
この印象は後に二人の間の息子・ポールが長じて浪費家になり、そのせいで先祖代々の屋敷から出ていく件でさらに強まる。
ジュリヤンが存命であれば、ポールをもう少しまともな人間に育てられていただろうに…。
その差異を二人は埋めようとしない。
言いたいことも少ししか言わず、お互いに相手を軽蔑し無視する。
その方が楽だから安易な方、安易な方へと流れていった。
不幸になるべくしてなった夫婦だ。
誰も最初から完全なわけではない。
相手に完璧を求めてそうじゃなかったから失望するというのは間違っている。
それは例えるならベルセルクのガッツが批判的に云うところの「剣の達人になってから戦場に出るような気の長い話」であり、それが嫌ならお互いに成長していけばよかったのだ。
とは言え、二人はぬるま湯に浸かっていてモチベーションがなかったのも事実だ。
ジャンヌは生活の苦労などしたことがなく、料理洗濯はもちろんのこと終盤で初老になるまで一切の家事をしたこともあるまい。
ジュリヤンはジュリヤンで入り婿なのに妻と仲よくやっていく必然性がない。
妻に夜の生活を拒否られても機嫌を取る必要は全くなくこっそり女中を抱けばいいという環境で妻と対話しようという気持ちが生まれるだろうか?
人生の選択肢がない平民がいる一方で、人生の選択肢が無数にありながら自分で自分を縛っている彼等。
全く以って幸せってのは何をどうすれば得られるのか分からないものだ。
しかし、このようにストーリーラインは陰鬱なのに、読み進めるのは軽快で楽しい。
ノルマンディーの半農村半漁村の美しい四季折々に、性モラルの低い田舎で奮闘するピコ神父、おじろくおばさ(※俺はその実在に否定的だが)を地で行くリゾン叔母、他人によくするとたまにいいことがあると思わせてくれる乳姉妹のロザリなど周囲のキャラクターも魅力的だ。
そして物語は「終わらない」。
既に老境に達したジャンヌは破産した息子とその孫娘を引き取る。
それによりジャンヌが小さな幸せを得るか得ないかは分からない。
ジャンヌからすれば息子を誑かした卑しい女であった孫娘の亡き母親だが、実際の故人がどの様な人間であったかは想像の域を出ない。
もしジャンヌが孫娘に亡き母親の悪口を吹き込んで育てたりしたら、また同じ不幸を背負うことになりかねない。
ジャンヌが亡きジュリヤンのことをどう言ってポールを育てたのかは描かれていないが、よくは言わなかっただろうし、それがポールの成長に悪影響を与えたことは想像に難くないから、同じ失敗を繰り返すかも知れない。
だが、そうはならないかもしれない。
だからこそ人生は面白いのだろう。

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