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2016年9月25日 (日)

クラバート

水車小屋で働きながら魔法の勉強をする少年、クラバート。
しかし魔法使いの勉強よりも水車小屋での粉挽き職人としての仕事の描写の方が圧倒的に多く、それが殊の外に面白い。
少年が職人として一人前に、そして大人になっていく様子は頼もしい。
もっともそんな感じだから魔法使いとして強力になっていく感じはあまりしない。
キツい労働と勉学の日々の中で培われていくのは、専ら判断力や決断力や慎重さや勇気。
だがそれこそ少年が自分を縛る軛から脱出するのに必要な力であり、その後の人生でも大切になってくるものだ。
本当に大切な力は魔法じゃない。
シンプルなテーマがラストで結実し、実に快感だ。
クラバートが魔法を学ぶ水車小屋は近代的な学校ではない。寺子屋だ。しかも住み込みの。
生徒である職人にいわゆる人権はなく、教師でもある親方の所有物のようなものだ。
これはとても自然なことだ。
現代の学校でも教師は生徒にいうことをきかせるのに苦労する。
魔法で他人を意のままに操ることのできる人間が、その能力を使わないということがあり得るだろうか?
そしてできる以上は、生徒に課すルールもエスカレートして当然。
だから親方は最初から最後まで憎めなかった。
悪人ではあるが、環境で悪人になった人に思えたし、これはスピードワゴンでも否定できないだろう。
魔法は彼を不幸にしかしていない。
親方は若い頃の過ちから闇の道を進むしかなくなった人だ。
特にはっきり描かれているわけではない(※示唆されてはいる)が、悪魔に生贄を捧げる契約をしているのだろう。
その強大な魔力は、悪魔から見返りに与えられているものと思われる。
彼が不幸な人間であることを示すエピソードは多い。
例えばある場面で他人の手柄を素直に横取りしておけばいいものを拒絶してしまい、それが結果として傍目には潔い人物のように「見えてしまう」。
ここから彼は確かに悪人だが、悪人である以前に人間嫌いであることが分かり、その背景にあるのがあの事件だとすると、彼の辿ってきた道が朧げに見えてくる。
罪の意識から必死になって逃れるだけの人生であり、強力な魔法使いでありながら孤独で小さい。
行間からそんな人物像が浮かび上がってくるからこそ、終盤の嫌がらせの効果的ではあるが卑小な様子、異様さが引き立つ。
だからあのラストも必然だ。
呆気ないとの声があるが、延々と魔法の応酬などあっては、能力どおりの結果にしかならなくなる筈でそうならないと却って不自然になるし、これくらいがちょうどいいと思う。

偕成社公式サイトの該当ページ
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