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2013年9月

2013年9月30日 (月)

宇宙戦艦ヤマト2199第26話「青い星の記憶」

宇宙戦艦ヤマト2199が最終話を迎えました。
古代守も沖田艦長も次の世代に託したいものがあった。
その想いこそが森雪と地球を蘇らせたコスモリバースシステムの力だった。
ヤマトのテーマである「愛の奇跡」を現代の視聴者の鑑賞に耐えるように、科学とオカルトの中に上手く落とし込んだ感じです。
実際、これならそう小っ恥ずかしくないですしね。
宇宙戦艦ヤマト2199第26話「青い星の記憶」。
開始から一貫して旧ヤマトのモチーフやテーマをレストアしてきた2199ですが、最後を締めくくったテーマは「大いなる愛」でした。
コスモリバースシステムとはいったい何だったのか。
科学的な説明だけでは、どう構築しようとも生まれ変わる新たな地球に想いを馳せるヤマトクルーたちの気持ちとシンクロするドラマとはなりません。
もともとああなってしまった地球を1台の機械だけで元に戻すのは無理がありますし。
われわれは「余計な知識」を身につけてしまっています。
旧作で地球は放射能汚染されました。
しかし、これは隕石と核爆弾を混同していて、そもそも遊星爆弾で放射能汚染が引き起こされる筈がない。
隕石は特筆すべきほどの放射線を帯びていないし、では地球のバリアを引き裂く程の大質量となると、例えば「逆襲のシャア」の小惑星アクシズでさえ不十分でしょう。
でも前作放映当時では問題なかったし、何より放射能はよく知られていない恐怖の象徴だったからガジェットとして有効に機能した。
ヤマトは科学的な要素をディテールとしながら骨組みはあくまで人の意思が世界を救うドラマだったわけです。
制作スタッフはそこらへんをちゃんと分かっていて、2199でもディテールとフォルムを極限まで高めた。
それが変わり果て放射能汚染以上に取り返しのつかない状態に思える焦土とガミラスフォーミングであり、それを上書きする「星の記憶」なのでしょう。
技術的にはスタートレック2のジェネシスシステムのようなものなのかも知れません。
でもあくまでこの地球救済劇は壮大な御伽噺なのです。
佐渡先生は本当に嬉しそうでした。
つい今さっき、沖田艦長は死んだ。
しかし、それを伝えにやってきた彼の眼前には、沖田の生涯が実に有意義であることを示す証があり、それはまさに新たな生命や営みの予感である。
森雪が生き返った奇跡も佐渡先生には自然に受け容れられたのではないでしょうか。
ヤマト2199は後に託す者と受け継ぐ者のドラマでした。
古い葡萄酒を新しい革袋に、と言うのはよく使われる言葉です。
でも、この言葉を使いたい。
ヤマトは一時代を築いたが故に素直には受け継がれず、後続のSFアニメにはむしろアンチテーゼの方が多かった。
大声で愛を叫ぶアニメは恥ずかしいとか、個人の活躍で戦局が大きく動くのは子供騙しであるとか、現実の国家や集団を模しすぎているのはわざとらしいとか、そういう数年して成長しヤマトを振り返った時につい入れてしまうツッコミを潰すような形でSFアニメは作られて来ましたし、わたし自身、そういうツッコミを入れたこと自体は全く後悔していません。
しかしヤマトはパパであった。
お父さんでも父さんでも父上でもなく「パパ」であった。
「パパ」は幼子にシンプルで力強い世界観を植え付けてくれます。
そして長じて反発したとしても、それは彼にとって嬉しいことですらある。
フォルム。
感情的に納得のいく話の流れこそがヤマトの最大の魅力であり、それを受け継いでくれたからこそ、2199はあのヤマトを古い葡萄酒のまま味わわせてくれたのだと思うのです。
ありがとう、ヤマト2199!

日本全国酒呑み音頭その273

9月30日は腐れ縁の日で酒が呑めるぞ
呑める呑める呑めるぞ〜
酒が呑めるぞ♪

2013年9月29日 (日)

厭魅の如き憑くもの

パッと見でタイトルといい概要といい京極フォロワーと思われたので試しに読んでみた。
舞台となる寒村が連続殺人の舞台として出来すぎていて、真相がどうであれこの特殊性あってのものなんだろうなと思うと真剣に読む気になれず、連発する神隠しや密室の謎に直結する地理描写なんかもつい斜め読みに。
やっぱりミステリと民俗学のハイブリッドは各々をほどほどに抑えないと駄目だな。
どっちの要素も全力でやろうとするから、かなり読み疲れした。
そしたら真犯人は超人。
肉体的な意味じゃなくて精神的な意味で。
もともとトリックや民俗学ウンチクそれ自体よりも、迷信や因習から逃れようと足掻く人々のドラマが読みたかった俺としては、この人の人生はなんだったのか、こんなに都合よくシステムの歯車として己を犠牲にできるものなのか、と納得がいかないことしきり。
社畜という言葉があるけど、敷衍して村蓄という言葉でも生まれそうな勢いだ。
物語全体としては一応のハッピーエンドではあるものの、古いシステムの被害者は誰一人として救われず、やがて因習から解き放たれていく村人たちも彼等を切り捨てて生きていくことになるのだろう。
そう言えば、そもそもの原因である憑き物筋の家柄という旧弊も、村人たちの自分たちを搾取する大地主への積み重なった恨みが発端だ。
最後の復讐を遂行して歴史的役目を終えた迷信は、合理的な価値観へと道を譲る。
そう捉えると、この村の信仰の歴史自体が主人公だったのだろうと思うし、その方が楽しい。

原書房公式サイトの該当ページ
http://www.harashobo.co.jp/

日本全国酒呑み音頭その272

9月29日は苦肉の日で酒が呑めるぞ
呑める呑める呑めるぞ〜
酒が呑めるぞ♪

2013年9月28日 (土)

情報の与えられ方とゲーム性

ファミコンのメトロクロスを1時間ほど。
ゲーム自体よりナムコゲームミュージックのCDでひたすら聴いていた思い出の方が強いけど、実際、久しぶりにやってみると、センスは抜群だし上手く連続で障害をクリアできた時の快感は最高だけど、解かせまい解かせまいというマップデザインのいやらしさが実に惜しいゲームだと思わせてくれる。
WiiFit(Wii)の収録ゲームであるアスレチックMiiがメトロクロスの不満点を解消した精神的続編とも言えて、アスレチックMiiを遊んでいると偶にメトロクロスのことを思い出して惜しいゲームだったよと思い出すわけで、だからバンナムよ、課金ゲームなんて作ってる暇があったらバランスWiiボード対応のメトロクロス続編を作ってくださいと。
と、続編を妄想したら3Dの話になるけど、横スクロールのままでメトロクロス本来の魅力を引き出すような移植を行うとしたらどんな形が望ましいのだろう。
最初は仮に機種を3DSとして下の画面にマップでも表示すればいいのではと思った。
もちろん、マップを覚えること自体がメトロクロスのゲーム性の1つでもあるのは、自分で記憶どおりだった時のヨシ!という感じで分かるが、死んだ時のなんでいきなり出てくるんだよ、マップを覚えるよりも純粋にアクションのテクニックで挑みたいという言い訳の方がより多く発しているので、やはりマップはほしいのだ。
とは言え、攻略サイトを見ながら挑んでも静止画のマップでは不十分なわけで、レーダーがあればいいなぁ、と要望はエスカレートしていく。
ただ、こんな要望を抱きながら、そういった要素を入れれば面白くなるのかどうか、実際のところ自信はない。
ゲームの面白さって、それ自体の他に、セーブや中断ポイントの場所とか回数とかタイミングとかで変わってくるけど、情報の与えられ方でも変わってくるんだなぁ、とかそんなことを考えました。

日本全国酒呑み音頭その271

9月28日はパソコン記念日で酒が呑めるぞ
呑める呑める呑めるぞ〜
酒が呑めるぞ♪

2013年9月27日 (金)

食パンを食いながら

朝食にトーストしないふわふわのパンを食べていると思い出すことがある。
ドラえもんに出てくるアンキパンだ。
あんなパンがあったら努力しなくてもテストでいい点が取れるのに、と多くの人が言う。
しかし、俺はあのエピソードを初めて読んだ時から駄目だった。
鉛筆で板書したノートにパンを押し付ける。
文字がくっきり写るほどに。
パンには鉛筆の粉ばかりでなくノートの表面の雑菌も深々と浸透することだろう。
こんな小汚ないパンは絶対に食べたくない。
そんな身も蓋もないことを考えるマセたガキだったのだ。
あんなのたとえ話だって今なら分かるが、いったんそう思い込んでしまうと、その影響は末代まで祟る。
今でもトーストしないパンに直接、ジャムを塗って食べるのに何か抵抗があるのは、アンキパンのせいだと断言できるのだ。
ただ、俺が特に神経質だったわけじゃないと思うのは、確実にのび太が腹を壊して記憶が定着しなかったというオチのせいだからだろう。
あれも勉強した知識が定着することを「消化する」という言い回しがあることに引っ掛けてるだけだって分かることは分かるんだけど、やっぱり小汚ないパンを食べたから腹を下したように見えちゃう。
て言うか、アンキパン製パン会社の企画スタッフは、案外とそこで篩をかけてるんじゃないか?
とすれば、アンキパンで楽して生きた知識を得るためには、強い胃袋が必要ということになる。
しかし根性がなくてストレスがたまりやすいからこそアンキパンに頼りたくなるわけで、結局、メンタルの強さが必要なんだったら、あちらを立てればこちらが立たず、だ。
いやはや、未来の道具はよくできてるわ。

日本全国酒呑み音頭その270

9月27日はロゼッタ石解読で酒が呑めるぞ
呑める呑める呑めるぞ〜
酒が呑めるぞ♪

2013年9月26日 (木)

しまむら土下座強要事件雑感

しまむら苗穂店で店員に土下座強要してその写真をネットにアップしたヒス女の事件があったけど、あの店、実家の近くで、何度か行ってるから実に生々しく感じられて、続報を聞くたびに嫌な気分に。
もちろん下手人の女と直接に関わったり被害を受ける機会なんてほとんどないし、たまたま同じ地区の住民というだけで一括りにされるのもお断りだ。
にも拘らず受ける嫌な感じってのは、いわゆる「穢れ」なんだろうな。
そのような感情を抱くことは極めて非科学的で害悪でしかないし、ラベリングやフィルタリングは思考の手間を省きたいという怠惰の為せる技であるのは明らかであるわけだが、時間は有限だわ穢れを利用して相手を辱める手合いの存在も考慮せなならんわで、そういう二律背反を含んだ「嫌な感じ」なんだよな。
昔から札幌市東区、特に苗穂は貧乏人が多くて民度が低いって言われていたけど、10数年前の西友元町店の産地偽装牛肉で安易な現金返還に無関係のチンピラどもが群がった事件も近所だし、この地域はクレーマーへの対応が弱腰過ぎるのではないか、その背景として程度の低いチンピラ客が多いのではないかと連想して、ますます嫌な気分に。
あの馬鹿女を擁護するわけではないが、あの手の女は世の中を踏み躙る側と踏み躙られる側の2つでしか考えられない幼稚な世界観の持ち主であって、そんな育てられ方しかされなかった哀れむべき被害者でもある。
そういう人間に限って何も分からないくせに自分が馬鹿にされていることだけには敏感だから、腫れ物を触るようにあしらわれることに激昂する。
土下座させておきながら、土下座されたことに対して、よくも軽々しく土下座なんかしたわねムキー!とますますいきり立ったのだろう。
それが女を写真をネットにアップなどという卑劣行為に走らせたのではないか。
なんと惨めな人生であろうか。

日本全国酒呑み音頭その269

9月26日はワープロ記念日で酒が呑めるぞ
呑める呑める呑めるぞ〜
酒が呑めるぞ♪