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2012年6月

2012年6月30日 (土)

ファイアーエムブレムをやりながら考えたことの思い出その4〜1マスの大きさ

ファイアーエムブレムに限った話ではないが。
それどころかシミュレーションゲームにすら限らないが。
マスで区切られたマップのゲームをやっていると、この1マスはいったい何m四方なのかということが気になるものだ。
だが、これには結論が出ないのが普通だ。
まず、設定自体がされていないだろうから、自分なりに考えなければならないのだが、その考察の根拠となる事実間で矛盾があるからだ。
武器によって攻撃の届く範囲が違うから、少なくともレンジ1の武器と2の武器の長さの違いの範囲内に1マスの辺の長さは収まるはずだ、という考察をすると凄く短くなるのに対し、最大級のモンスターでも1マスに収まるのだからと考えると逆に大きくなる。
ましてや建造物も1マス内に収まっていることが多いのだから、その差は大きすぎることになる。
これをわれわれプレイヤーは、「しょせんゲームだから」と冷めた目で諦めねばならないのだろうか?
いや、そんなことはない。
ここでも、地形効果の時に考察したように、一騎討ちしている2人の間であっても高速で移動しながら接近したり離れたり縦横無尽の戦闘をしているので、実際にはもっと離れているのだ、という妄想の余地がある。
それにもし1マスが10m四方ほどもある大きなものだったとしても、それぞれはそのマスの中にさえいればいいのだから、隣接スクエアにいる2者の距離は手が届くほどの距離であるかもしれないし20m近く離れているかも知れない。
両者のみの間で数ターンに渡る鍔迫り合いが行われている時は前者であると考え、その間にも他のユニットの相手もしているという状況では後者だと考えればいい。
そうやって臨機応変に解釈を変えて行けば、ゲーム内の1マスの大きさにも全く矛盾はないことになるのだった。
まぁ、もちろん、これは与太話だ。
本当に信じているわけではない。
でも、ストーリーが絡んできた時のために自分なりに脳内で繰り広げられる戦闘について妄想を構築しておくのは悪いことではないと思う。

2012年6月29日 (金) 今日の鯨の囀り

2012年6月29日 (金)

扶養義務を確実に拒否できる方法

「兄弟」で検索したら、「兄弟 扶養義務」が4位くらいにサジェストされててゾッとした。
それだけ多くの人の関心事ということだろう。
さて、タイトルでは確実に拒否できる方法なんて書いたが、そんなものはない。
何故なら、人間には情やプライドってものがあるからだ。
だから逆にもし情とプライドを捨てられるなら、扶養義務なんて簡単に拒否できるんだよな。
仮に法を思い切り改悪されて、罰則を伴った扶養命令が出るようになったとしてもだ。
どういうことかと言えば、例えカネを払えということになっても、受け取る本人が要らないと言えば、払わなくても済むはずだ。
だから、こんな屈辱を受けるくらいなら金なんか要らないと受け取る側に思わせる方法でカネを送れればいい。
毎月3万円を援助するとしたら、1日あたり1000円札1枚。
とても触りたくないほど「何らかの方法で」汚された紙幣が毎日のように封筒で送られてくるとしたら?
あるいは毎日「めぐんでください」と電話で言わないと1000円が振り込まれないとしたら?
1000円相当の外貨、それも毎日、違った国の外貨で今日は元で、明日はウォンで、明後日はジンバブエドルでと送られてきて、銀行員に嫌がられながら日本円に両替しなければならないとしたら?
そのうち相手は必ず精神的に参ってきて「お願いですからもうやめてください。お金なら要りません」と言ってくることだろう。
これで扶養義務は消え去るわけだ。
だが、実際にはこんなことは不可能だろう。
相手が参るのと同じくらいこちらも精神的に参ってしまうし、そんなことをしたことが知れ渡ったら、社会生活を送る上で多大な支障が生じるようになるだろうから。
そう、ここまでしなければ確実な拒否とまでは言えないからこそ、扶養義務は恐ろしい。
ほとんどの人は、泣く泣く払わざるを得なくなるのではないか。
現在の「できません」の回答だけでしなくていいやり方から、一歩でも踏み込まれたら、やがてはそういうことになりかねない。
そうならないことを願わずにはいられない。

2012年6月28日 (木) 今日の鯨の囀り

2012年6月28日 (木)

中指を突きつけろ!

9月からの新番組・仮面ライダーウィザードの制作発表があった。
もうハリポタは終わってるのに、いまさら魔法使いもないだろうとか、あの「スカート」はアクションの邪魔になりそうだとか色々と思うところはあるけれど、まぁ、実際の評価は観てみてからとしたい。
で、ウィザードは左手の中指に変身のための指輪を、右手の中指に魔法を使うための指輪をはめている写真が公開されているわけだが、どっちも中指というのが、やはり中指だよなという感じ。
別にエッチな意味で中指と言っているのではない!
これについては、個人的な思い出があるのだった。
TRPGに熱中していた頃、攻撃魔法が充填された指輪を敵に向けてポーズを取る魔法使いの絵も色々と描いていたのだが、中指と人差し指くらいしか格好よく決まらないのだ。
さらに人差し指は指自体を相手に突きつける時に決まるわけで、そこに指輪があるとラインが綺麗にならないから、あまり派手な指輪やごつい指輪にはできない。
自然と、握りしめた拳を突きつけ、その中指には指環が光り、台座に固定された宝石が相手に方向をしっかりと向いているという構図となるのである。
まぁ、親指を下に向ける挑発のポーズを親指に嵌めた指環からの雷光でビルドアップするとか奇策的なバリエーションはあるが、指環アクションは中指が基本なのは間違いない。
あと、片手に2本ずつの指環をはめると格好悪いというのもある。
これは絵を描く時というより、実際のRPGのセッションで出てきた話だったのだが、攻撃力を上げる指環と防御力を上げる指環と…複数の指環をはめて同時に使うことはできないのかという疑問はやはり出てくる。
ナドソコルの乞食の王・七本指のウリシュじゃあるまいし、そんなことをしても格好悪いだけだと思うのだが、できない理由をつけるのは難しい。
結局、説明なしでとにかくできないんだからそれに従えというRPGばかりだったように記憶している。
その流れで現在のコンピュータRPGでも装備できる指環は1つだけのはずだ。
と、こういった常識がRPG界隈にはあるわけだが、ベルセルクやハリポタが、巨大な剣を振り回すなんてあり得ないとか魔法使いの杖は鈍器としても使えるごついものであるべきだとかの「常識」をいとも簡単に突き崩してきたことを思うと、仮面ライダーウィザードが超絶にカッコいいいけてる誰も思いつかなかった斬新指環アクションポーズを生み出すことだってあり得る。
大いに期待したいところだ。

2012年6月27日 (水) 今日の鯨の囀り

2012年6月27日 (水)

キリギリスへの妬み

旧テキストサイトの日記で書いたことの繰り返しになるけれど、俺はアリとキリギリスの話が好きではない。
正確に言うと、話そのものは別にいいのだが、あの話が広く巷間で親しまれていることに嫌な感じがしてならない。
もちろん、備えあれば憂いなしという教訓として有り難がるならそう嫌悪感もないのだが、キリギリスを作家やミュージシャンなどのクリエイティブな職業に従事する人々と捉えると、途端に腹立たしい気持ちになってくる。
生真面目な日本人がアリに自分たちを重ね、キリギリスざまぁ見ろと溜飲を下げる構図に、ねちっこい厭らしさを感じて辟易するのだ。
アリは確かに夏に我慢して冬を生き延びた。
しかし、キリギリスの歌がなければ、アリの人生はさぞかし味気ないものになっていたに違いない。
そしてキリギリスのような生き方を選ばなかったのは、誰でもない自分自身なのに、その生き方を妬み羨み、「こういう仕事は売れてるうちはいいが売れなくなったらすぐに食うにも困るようになるんだ」みたいなもっともらしいことを言って、その実、転落を待ち望むとは、実に情けないではないか。
と、常々、心の何処かで考えているこのことが表層に浮かんできたのは、佐藤秀峰せんせいがツィッターで
“結局、「漫画家は好きでやってるんだから、野垂れ死んで当たり前」と思われてるんだろうなぁ、と思います。”
とツィートされたのを目にしたからだ。
このツィートを見た時、俺は自分がそんなことを思っているわけでもないのに、ものすごく恥ずかしい気持ちになった。
兼業ミュージシャンに対する異様なバッシング、“あの人は今”的な番組の裏にある他者の転落を娯楽として楽しむ感情。
まるで、いつ転落してもおかしくない状態でいろと無言の圧力をかけているかのようで、佐藤せんせいはそれを敏感に感じ取っているのだと思えたからだ。
そう言えば、塩野七生せんせいが、駐在員の奥さんたちの中には音楽や芸術をホールや美術館で楽しみながらも「この人たちは人間的には不幸だった」とひとこと言わずにはいられない人がいて腹立たしいとコラムで立腹していたが、同じ気持ちなのだろう。
俺もアリだ。
自分でアリとしての生き方を選んだ小市民だ。
しかし、キリギリスを妬むようなみっともない真似はしたくない。

2012年6月26日 (火) 今日の鯨の囀り

2012年6月26日 (火)

ファイアーエムブレムをやりながら考えたことの思い出その3〜地形効果の地形とはどこのこと?

ファイアーエムブレムは大戦略に代表される作戦級シミュレーションとドラクエに代表される育成型RPGのいいところをハイブリッドにしたその取捨選択の妙が大変に素晴らしいわけだが、最初のうちは1つだけどうしても気に食わないところがあった。
それが地形効果だ。
身を隠す場所の少ない平地にいるユニットは敵の攻撃をモロに食らってしまうが遮蔽物の多い森や建造物などの地形ではうまくかわすこともできるという事実を、パーセンテージによるダメージの減少で表現した地形効果のルール。
大戦略で使われていたものの割と素直な流用だが、これってそのまま考えるとすごくおかしい。
大戦略ならほとんど全ての戦闘が離れて撃ち合う、あるいは一方的に攻撃するんだから分かる。
でも、ファイアーエムブレム場合は、お互いの剣や斧が当たる距離でズンバラリンキンコンカンビシュッとやってるわけで、それで片方が森の中にいてもう片方が平地にいるっておかしくないか?
とは言え、いかに有利な地形を確保するか頭を使うのが楽しいのも事実なので、次第におかしいおかしいと不満を覚えながらプレイするよりも屁理屈でも詭弁でもいいから何かしら自分を納得させられる理屈づけをしたいと思うようになってきた。
そこで思いついたのが奇襲プラス積極的な地形利用説だ。
森から平地に攻撃する場合、敵はいきなり攻撃されるから大きく体勢が崩れ反撃の際に十分に足で大地を踏みしめることができない。
平地から森への攻撃では、もし倒しきれずに反撃された場合に、かねてより敵が森の中に仕掛けておいた(かも知れない)トラップを恐れるあまり及び腰になるのでこれまた思い切った攻撃ができない。
これがそれぞれ地形効果に相当するダメージの減少を齎すというわけだ。
さらにそれでも足りなければ、バトルアニメーションでは近い距離で戦っているように見えるが、実は互いに超高速で移動しながら相手の隙を伺い、相手の斬撃を避けたりいったん距離を置く場合でも、物凄いスピードで数10mも後退するなど、まるでドラゴンボールのような戦闘を繰り広げているのだと妄想するのもいい。
それなら手持ち武器同士の戦いでも、有効フィールドは半径数10mになるから、片方にだけ地形効果があっても全く問題はないというわけだ。
もちろん、こういった与太話を俺は本気で信じているわけではなく、とりあえず自分を納得させているだけだし、もっといい解釈はあるんだと思うが、何かをシミュレートするのが目的のシミュレーションゲームをプレイするのだから、こういう楽しみはまさにシミュレーションの本質の一つと言えるのではないだろうか?
まぁ、何ターンもお互いが同じ場所を動かず戦い続ける場合は、この理屈が当てはまらないんだけど、まぁ、そこだけは見て見ぬ振りをするわけだがw

2012年6月25日 (月) 今日の鯨の囀り