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2011年8月

2011年8月31日 (水)

ハリーポッターと死の秘宝part2

ついに完結したハリポタを観てきた。
先ずは、ほぼ同一キャストで全8作という長大なシリーズを最後まで作り上げたスタッフに敬意を表したい。
壮大なファンタジーだった。
壮大な物語がおしなべてそうであるように、それは最終的に先人から受け継いだものを次の世代へと継承する大河ドラマの態を成すに至った。
不死を求めたヴォルデモートが決して得られなかった不死性、誰かの心の中に生き続けるという不死性を、各人が各様に獲得した。
ネビル・ロングボトムは言う。
ハリーは自分たちの心の中に生きている、と。
誰かを生かしその誰かに生かされる、その喜び。
しかし、その輪の中に入ることのできた者とできなかった者との間には愛憎が交錯する。
そこに排除や迫害の構造が加わる。
真っ白い者は誰もいない。
大河ドラマとすることの利点が十分に生かされ、誰もが清濁併せ持つ、いわば陰影ある存在となったことは、ハリポタシリーズの最大の魅力だ。
しかも、バックグラウンドを匂わせ得るボリュームゆえに、各人を取り巻く環境の違いが描かれ、同じような人たちが同じようなことをしても前世代と同様の結果とはならないのが興味深い。
ハリーの父ジェームズとハリーがもし同年齢の赤の他人同士だったら、きっとお互いに気が合わないことだろう。
ジェームズが陽気な人気者なことと、彼がスネイプを毛嫌いすることは表裏の関係にある。
ネビルは勇気ある青年に成長した。
しかし、ちょうどハリーがネビルを信じたようにピーターを信じたジェームズは、そのことにより命まで失っている。
大多数の人間が、幾世代にも渡るドラマにおいては、親が善人なら子供も善人、親が有能なら子供も有能という図式を求め、現実には二世選手や二世タレントがパッとしない現実から目を背ける中にあって、大切なのは本人であるというメッセージを貫いたのは大したものだ。
そして、尊敬した人が実はいろいろな欠点を持っていたとしても、長所短所を含めて受け入れることが大切というメッセージにも繋がっている。
世界的な大ヒットであるという恵まれた制作環境を生かし、ポピュリズムに迎合せずに、耳に痛い普遍的な人間社会の現実を描いた。
これぞ理想的な娯楽とメッセージの融合ではないだろうか。
ヴォルデモートが象徴するものも興味深い。
ヴォルデモートが復活しても、彼の悪の城塞なり悪の軍団がどこからともなく出現したわけではない。
魔法省という既存の組織が、トップ以外は多くの職員がそのままでヴォルデモートのものとなった。
これも、いわゆる社会的な悪というものは自分たちと関係ないところから突然に現れるのではないという現実を踏まえたものだ。
そしてヴォルデモートが恐怖で人を支配する姿。
彼は劇中でほぼ最高の魔法使いではあるが、一人で世界の全員を皆殺しにできるわけではない。
それどころか分霊箱などの虚飾を剥ぎ取れば、意外に脆いところを見せる。
作られた伝説は、言葉は、人を縛る。
名前を読んではいけないあの人、という呼び名は、ヴォルデモート自身が広めたのではないかと思っている。
そして、言葉に代表される自分を雁字搦めに閉じ込める概念に敢然とノーを突きつけることこそが勇気なのだろう。
ところで。
劇中で最も感動的であるあのシーンについて語らないなんて、おまえはあそこで感動しなかったのかと思われるかもしれない。
とんでもない!
大いに感動し、涙が浮かんだ。
だからこそ、一切のネタバレはしたくないのだ。
ぜひ、劇場で確かめてほしい。

2011年8月30日 (火)

8つめのハート

ずっと己に禁じていた攻略本読みを解禁してからというものの、色々と新鮮な驚きを感じているラブプラスプラス(DS)なわけだけど、5回のキス全てでチャイムが鳴ってもリフレインするとは限らないことも分かり、プレイヤーが攻略情報を得てプレイすることを想定した上で幅を持たせた作りはときメモの頃から変わらないなぁと感慨に耽ったりしている。
(流石に5連続チャイムは嬉しかったけれどね)
攻略本は目安が書いてあるだけで、必ずしもそうなるわけではないのだね。
そして、ついさっき、愛花がランク8「ふたりはラブラブ」への一番乗りを果たした。
なんか恥ずかしい名前だが、レベル7の「シニアカップル」という名前が老カップルみたいで嫌だったので、それよりはマシということで自分を納得させている。
シニアってのは、シニアハイスクールとか少年野球のシニアチームからも分かるとおり、ある一定の年齢層を2つに分けた場合の上の方を指すのだから、シニアカップルという言い方に問題はないはずなんだが、今や世間一般ではシニアと言えばイコール老人というイメージだから、やはり嫌だ。
言葉の意味というものは、少しずつ変わっていくものなんだな。
でも、嬉しいのはそういう後ろ向きの理由だけじゃなくて、ついに再スタート地点に立ったという喜びも大きい。
前回、カレンダーを巻き戻しすぎて、逆に1年間の放置と判断され、データの初期化を余儀なくされた時のランクがやはり7。
それからずっと、今度はズルをせずにプレイを重ねてきたわけだが、前回プレイ時のランクを越すことは、一つの目標となっていた。
だから嬉しい。
順当にプレイしていれば、とうの昔に到達した地点だし、ランクの最高は20らしいからまだまだ先は長いけど、遠回りして到達するとまたひとあじ違うのだった。
それにしてもランクが一つ上がるのって、こんなに特典が多いんだな。
一枚絵が一度に6枚も増えたし、夢イベントや勉強会の発生率も上がったようだ。
しばらくその達成感を忘れていたよ。

2011年8月29日 (月)

劇場版ポケットモンスターベストウィッシュ〜ビクティニと白の英雄レシラム

初めてポケモンの映画を観に行きました。
というか、テレビのアニメすら観たことがないから、ポケモンのアニメ自体が初めて。
配信目的なので、特に大きな期待もすることなく、つまらなくなければいいや程度でした。
で、自然礼賛と人類の傲慢の戒めのテンプレートどおりに作ったような優等生的な映画でしたが、そう感じるのはわたしがヒネた大人だから。
子供には、このくらい直球を投げた方がいいのかも知れません。
父祖の地を追われ世界中に離散した一族。
若者はその地を取り戻さんと伝説のポケモンの力を欲する。
どこかで聞いたような話ですが、モデルとなっているであろう民族がもたらしているような悲惨な現実は劇中にはありません。
人には安易に踏み入ってはいけない領域があり、人の手には余る力がある。
その事実から何を感じ取るか。
大人になったら、それは人によって違います。
時期すがら原子力であったり、文明生活そのものという人もいるでしょうし、わたしなんかは、物質的なものよりむしろ扇動により誤った数の暴力を得ることこそ忌避すべき“力”なのではと考える。
何れも力に対する畏れが根底にあり、それは子供の頃に聞いた観たプレイしたお話からメッセージを受けていたから。
この映画を見て野放図な力に対する畏れを感じとってくれる子供がいれば、それは将来、大人になってからも役立つのではないでしょうか。
…なんてことはさておき。
ポケモンが生活の一部になっている世界というのは、ゲームではなかなか分からないから、こういう映画というのはとてもいいですね。
なるほど、安定した人気を得ているはずです。
ギアルがそのままギアとして駆動系の役割を果たしていても、どこか楽しそうなのは何故でしょう。
共存がテーマの一つであるがゆえのユートピア。
星野鉄郎も、ポケモン世界のネジにならなってもいいと思ったりして(800)。

2011年8月28日 (日)

オートセーブの潮流

オートセーブに助けられました。
3DSは、折りたたむことで電力の消費が少ないスリープモードになるから、プレイしていない時は折りたたんでいることが多い。
そして、その状態でも物理的にソフトの抜き差しができる。
「あ、ラブプラスのスケジュール入力やってないや」
見ると、差し込まれているカートリッジの色はDS用の黒ではなく、3DS用の白である。
きっと差し込まれているのは、いつもやってるスーパーポケモンスクランブルだな。
ってんで、反射的に差し替えてしまった。
3DSをぱかっと開いて画面を確認することなく。
で、何気なく改めてラブプラスのスケジュール入力をすべく貝殻を開いてみたら…。
そうですね、カードを抜いた旨の画面が出ていて、ゲームを中断して3DSメインメニューまで戻ることを余儀なくされたわけです。
この時点でわたしは、ゲームプレイ中にたびたび行われるオートセーブの存在を忘れています。
だから、だいたい3時間ほどのプレイ時間が無駄になったんじゃないかな、とブルーになり、どこらへんをプレイしていたかなと記憶を呼び戻そうとしています。
しかし、もちろん被害は最小限でした。
いざ立ち上げてみると、緑の屋根の家でダブったポケモンたちと別れる作業を「する前」に戻っただけ。
街に戻った時のオートセーブが、わたしのミスによるタイムロスを救ってくれたわけです。
これまでわたしは、オートセーブの意義をよく分かっていませんでした。
せいぜい、フリーズやバッテリー切れ対策であろうと。
でも、プレイヤーはうっかり何をしでかすか分からないし、それを想定して安全装置はあちこちに設けておくべき…そういう思想からオートセーブを初めとして他にも注意文などがあるのでしょう。
思えばオートセーブ初体験は、ゲームギアのアラビアンRPG「シャダムクルセーダー」でした。
戦闘中以外はマップのどこででも一歩、歩くごとに自動セーブされるので、能動的なセーブの概念は存在せず、いつでも好きな時に電源を切っていいという先進的な設計でした。
当時はそのありがたみを実感することは全くなかったのですが、シャダムクルセーダーの遺伝子は時を経てわたしのミスをリカバーしてくれたわけです。
ありがとうシャダムクルセーダー!
(アイアイサー!)

2011年8月27日 (土)

光あるところに影あり

俺は紳助は嫌いです。
どんな理由があろうとも女を殴って唾を吐きかけるなんてゆるされない。
想像するだけで腹が立つから、テレビ画面に彼が出てくるとチャンネルを変えていました。
よって今回、彼が引退することで、顔を見る機会も減るなと思うとせいせいします。
まぁ、どうせ引退するなら、前回の時にすべきでしたがね。
しかしです。
もし、今回の原因となった暴力団員との交際が、本当に右翼団体とのトラブルを解決するためだったとしたら、ちょっと気の毒な気もします。
だって、相手は右翼団体ですよ。
一応は政治団体ですし、嫌がらせだって法を犯していないのなら警察は動きようがありません。
世の中、ヤクザの力を借りないと解決できないトラブルに巻き込まれることだってあるのではないでしょうか。
まだ10代の頃、顔見知りの近所のおばさんがヤクザの力を借りた話が噂で流れてきました。
旦那さんが飲み屋の女と浮気をしたので、ヤクザに頼んで店内をめちゃくちゃにしてもらったのだそうです。
報酬は80万円。
旦那さんも浮気相手の女も二度とコンタクトを取ろうとはしなくなったそうです。
まぁ、噂話ですから、どこまで本当かは分かりませんが。
この話を聞いた時、何せ顔をよく知っているおばさんのことですから、大変に衝撃を受けました。
かなりきつい性格の人でしたから、あの人ならやりかねないと思いました。
そして、旦那さんがどんな人かは全く知らないものの、かわいそうにと同情しました。
浮気はよくないが、ヤクザまで使うことないよなと軽く震えたりもしました。
しかし、この話はずっと心の中のどこかに引っかかっていて、やがてこう思うようになりました。
自分はご夫婦がどのような関係なのか知らないし、件の浮気の経緯も知らない。
そのことで家庭内がどのような空気だったかも知らないし、ご夫婦それぞれが、それまでの生活でどれだけ我慢したり傷ついていたのかも知らない。
ヤクザの力さえ借りたいほどに、精神的に追い詰められていたかもしれないのに、無責任な想像を巡らせてよいものか、と。
ヤクザなんかいなくなれないいと思います。
しかし、ヤクザが必要な深刻なトラブルを抱えた人がいるのはれっきとした事実なのです。

2011年8月26日 (金)

勝てない敵とサプライズ

スーパーポケモンスクランブル(3DS)が楽しすぎて、それ以外のゲームが全く手に付かない状態です。
現在の状況は3-1、最強ポケモンは強さ866のフタチマル。
連続斬りが気持ちよくて、同じ強さのアリゲイツよりはこっちの方が好み。
まぁ、じっくりやって行こうと思います。
(因みに、WiiFitとラブプラスとnintendogs&catsは別腹です。この3つは日課ですから)
リモコンプラスバラエティパックも、みんなのリズム天国も、謎惑館も、どれもいいゲームなのですが、今、真っ先にソフトを差し込んでしまうのはポケスク。
DSのブラックをプレイするまでは、食わず嫌いというか、何となく敬遠していただけに、ポケモンの名前も特技もほとんど知らない。
それを覚えていく楽しみもある…即ち元のゲームの面白さにポケモン知識習得の喜びまで加わってるわけで、比べるのは卑怯な気もしますが、何れにせよ凄く優先順位の高い状態にあるわけです。
まぁ、それはさておき。
2章のラストでラスボスらしきポケモンが姿をあらわしました。
で、ポケモン歴が長い人だったら、そいつは今の時点では勝てないやつなんだって分かるんでしょうが、前述のとおり全く知識がないから、勝ってやろうと思って戦いを挑んで敗れ去って、そいつの印象が非常に強くなってしまった。
RPGやってて、ファイファンIIからこっち、絶対に勝てない敵との戦闘、絶望に沈む主人公なんてのはもう食傷気味で、そういうシーンがあったらハイハイ長々とやらないでねっていうしらけモードに突入するのが常だったし、そいつの印象だって別に強くならないというか、再登場しても、ああこういうやついたよなってことすらあるってのに、不意をつかれて強く印象づけられたことに、ちょっぴり感動を覚えているんですよ、わたしは。
まぁ、ポケモンだけにいかにもな二枚目じゃなかったってこともあるんでしょうけど、手垢のついたシーンでもタイミングさえ合えば大きな効果があるんですね。
娯楽には必須のサプライズも、タイミング次第。
プレイヤーによって、それが絶好かどうかは違うんですから、本当にゲームを作る人たちってのは大変だなと思いましたよ、うん。

2011年8月25日 (木)

ネ申アイドル〜総選挙バトル

イマイチ笑えないな、と思いながらも、まぁ期待もしてなかったしこんなもんだよな、というのは終盤まで。
オチがゆるせん。
そのゆるせんオチが長いのがもっとゆるせん。
こっちは最初からおバカ映画を観るつもりでいるんだから、変にカッコつけんな!
というわけで、望んでもいない半端なドラマ要素が最後まで足を引っ張った映画でした。
くだらない設定の映画に限って、変に作家性らしきものが盛り込まれるんだよな…。
売れない地下アイドルユニット7人組が互いに殺しあう死のゲーム。
生き残った1人だけがアイドルとして大々的なバックアップを受ける。
爆弾付きの首輪で誘拐犯に逆らえない彼女たちは、やがて本気で互いを蹴落とし合う。
そして、その様子を動画配信サイトで固唾を飲んで見守る数百万人…。
死のゲームものの傑作群には必ずある参加者間の葛藤や主催者とのやりとり、刻々と変わるルールに翻弄されたり、誰が生き残るかわからないハラハラなどは全くなっちゃいないし、アクションもダメですから、おのずから興味はエッチ方面になります。
でも、そっちも即物的でまるでAVなんだよな。
こっちは悪徳プロデューサーとの枕営業とか、悪質なファンによる暴行とか、そう言うんじゃなくて、ホラー映画のシャワーシーンやカップルいちゃいちゃシーンみたいなのを求めてるわけでさ。
しかも、お色気担当数人は当初の予想どおりで、意外性も何もあったもんじゃないと言う。
主演の子のパンチラくらい見せてくれてもバチは当たらないのになあと思いました。

2011年8月24日 (水)

しかしながら依然として耳朶にキスであること

SMAPの番組は観ないけど、こないだ番組内で3DS版ラブプラスの紹介をしたことは、ツィッター上で話題になっていたこともあって知っている。
もちろん後で、ちゃんと動画も見た。
そのことで改めて、3DS版の発売もそう遠いことではないことを意識した俺は、意を決して封印の書を解くことにした。
兼ねてより購入してあり、でもネタバレが嫌なのでパラパラとめくる程度だったDS版ラブプラスプラスの攻略本を熟読することとしたのだ。
どのような髪型であれ服であれ台詞であれ、ゲーム上で実際に初体験したい俺としては、なるべくなら攻略本の参照は最低限としたい。
とはいうものの、3DS版に移行する前に現在、プレイしているシリーズ2作目はできる限りやりこんで悔いの残らないようにしておきたいわけで、背に腹は替えられないのだった。
すると出てくるわ出てくるわ、知らないことや勘違いの数々。
トータルのプレイ時間が何百時間になるか分からないというのに、こんな基本的なことも(きっと基本的なことなのだろう)知らなかったのかと。
もちろん、試行錯誤をすら楽しみたいと思わせるほどの魅力がラブプラスにはあるのだから後悔は全くしていないものの、ずいぶんと効率の悪いプレイをしていたんだなと、そんな自分のはまり具合に苦笑を覚えるのであった。
と、感慨はそれはそれでいいとして、これから3DS版までの短い間にできるだけ多くの未体験要素を体験するためには、どのようなプレイを心がけたものだろうか。
まず、法則などなくランダムであると思っていたキスのミニゲームにもれっきとしたパターンがあり、それを踏まえればリフレインキスをさらに超えたフォーエバーキスなるものに到達することも可能という情報が目を引く。
3人のヒロインの同時プレイをしているから、どうせ法則があったとしてもそれは各ヒロインで異なるであろうし、だとしたら誰が誰だかわからなくなること必至であるからと最初から把握を諦めフィーリングでやっていた。
しかし、3人とも共通のパターンであるというのなら覚える価値がある。
名刺や一枚絵等の出現条件や、好感度の上昇による称号の取得にもかかわってくるのだし、キスイベントのたびに参照すべく攻略本を手元に置いて置かねばなるまい。
また、各ヒロインに3つずつあるという性格パターンにも全く注意を払っていなかった。
どんな子が好きなのかという質問の選択肢が出てきたこともあったから、これまでずっと一つの性格だったわけではないのだろうが、原則、クールな態度を示したことはあまりなかったはずだから、ホットでアクティブな行動に対応する性格がほとんどだったはずである。
だから、これからはクールに徹することとする。
あまり、わざとデートに遅れたりはしたくないのだが、仕方がない。
最後に、お見舞いされたことはあってもしたことがない。
主人公は結構な頻度で風邪を引くが、ヒロインは健康そのもので全く風邪も引かないからだ。
凛子なんかあれだけ不健康な生活をしているのに、テニス部で汗を流している主人公より体が丈夫とは、主人公が情けないのか凛子がタフなのか果たして…。
これもあまりやりたくはないのだが、あちこち引っ張り回して風邪を引いてもらうしかあるまい。
というわけで、あまり気の進まないプレイスタイルが多くなっていくとは思うが、始めたら始めたで、それはそれとして楽しんでしまうことだろう。
ゲームに対する姿勢はあまりストイックではなく、ちゃらんぽらんな俺だ。
それにしても、これまで特に攻略を意識せずプレイしていながら、唯一、発見していた「耳朶へのキスは喜ばれることが多い」が不正確だったとは。
攻略本によると、喜ばれるキスパターンとして、斜め下を向いている時の頬へのキスというのがある。
俺の勘違いは、耳が正面を向いている時の耳朶のある箇所は正面顔の時は頬のある箇所であることから来ているのだろう。
顔の動きが影響しないように当たり判定は広めにとってあるから、それも誤解を助長したのだろうと推測される。
しかし、長いこと主人公が各ヒロインの耳朶にキスするシーンが念頭にあってのプレイだったのだ。
攻略優先のプレイに移行するにしても、そのくらいの自己流ラブプラス解釈は残しておきたいのであった。

2011年8月23日 (火)

太平洋の奇跡〜フォックスと呼ばれた男

生まれ落ちた頃には既に高度経済成長すら終わっていた世代なので、生まれてからずっとほとんど変わらない日常が続いているような気がしている。
もちろん、より若い世代の人にとっては、自分が生まれる前にネット社会の出現やバブル崩壊があったり、またはバブルそのものがあったりするわけで、それは明らかな断絶の向こうにあるのだろうし、俺自身だってその時代ごとにものの考え方や行動様式が変わってはいるのだが、それでも社会に劇的な変化が起きてガラッと変わったことは一度もなかったように思える。
単に自分の生まれていない時代のことは想像しかできないというだけなんだろうが、それでも高度成長期までは次々と極端な変化が起こった激動の時代で、それ以降はゆったりとした変化しか起きていないように感じるのは如何ともし難い。
どこまでが主観でどこからが客観なのか。
人間である以上は、それを峻別し理解できるはずなどないのかもしれない。
だから、近い過去の映画を見る動機は、地続きであることを実感したいからだ。
ドキュメントフィルム以上に時代の空気というものを感じさせてくれるもの、それこそが作り話であり映画なのだ。
「太平洋の奇跡」からは、断絶を感じない。
昔、こんなことがあったんだなぁ、というどこかよその世界の出来事のような感じがしない。
それはタイロケゆえの照りつけるような日差しと、そこから来る輪郭の明確さが成し得たものなのだろう。
死と隣り合わせの戦場は同時に生命あふれる場所でもある。
1944年、サイパン島。
ジャングルの中で民間人を守りながら、米軍への降伏を拒否し抗戦し続ける日本軍。
民間人とともに在り、暮らしもまたともに在ることが生み出すリアリティ。
特に狙った台詞もなく、兵隊もまたわれわれと同じ人間であることが伝わってくる。
英雄の物語ではない。
できることを積み重ねていったら、それが英雄のように思われてしまった話だ。
「戦争の狂気」はもちろんあれど、その前に根底として日本人のメンタリティというものがある。
そこらへんが描かれていて、すごく納得できるおはなしだった。
主役の竹之内豊もいいが、それより元ヤクザの兵隊を演じるためスキンヘッドになって一皮剥けた唐沢寿明がよかった。
恥ずかしながら、エンドロールを見ながら、あれ?どこに出てたっけ?と考え込んでしまったくらいの新境地。
今度は、ヤクザ映画にも出てほしいところだ。

2011年8月22日 (月)

出先でもWiiFit

それにしてもゲーマーってやつは本当にビョーキだね。
何でもゲームを中心に考えるから、WiiFitも俺にとってはゲーム感覚。
ずっとサボっていて、いざハマると逆にやらないのが気持ち悪くなるというのも、これまでハマってきたゲームと全く同じパターン。
体を鍛えたいとか、ダイエットをしたいという以前に、まずWiiFitをプレイしたい、なんだよな。
だから、出張や旅行でプレイできない日があると無性に気になる。
現実問題として、一ヶ月の全ての日にスタンプを押すのは無理なんだけど、空いている日付がテトリスのブロックの隙間のように気になってしまうのだった。
で、思った。
WiiFitの筋トレやヨガの種目の中にはリモコンだけでできるものもある。
3DS用に自宅にいない時用の簡易WiiFitを出して、リモコンと3DSを持って行けば、限られた種目ではあってもこなせるようにしてはどうだろうか。
そうしておいてWiiと3DSを同期させれば、毎日の記録も途切れない。
まぁ、出先では体重は測れないから、スタンプの条件を体重測定だけではなく、なんらかの種目をこなすことでもよいことにしなければならないわけで、それはアップデートで解決できる問題ではないから、次回作の発売を待たねばならないだろうが。
さて、そんなことに何の意味が?と思うのは当然だ。
そこまでしてトレーニングしたいのなら、出張先や旅行先にトレーニングウェアを持って行ってジョギングでもすればいいじゃないか。
それが当然の帰結だろう。
だが、俺はトレーニングをしたいのではない。
いや、したいのだけど、それより前に。
俺はWiiFitをしたいのである。
それに俺は筋金入りの怠け者だ。
いや、筋金ではおかしいな、針金入りの怠け者だ。
いつも怠ける理由を何処かで探している。
そんな俺にとって、スタンプが途切れることは、絶好の言い訳になってしまうから…だから途切れずにプレイしたいのだ。
こんな要望はニッチな要望なんだろうが、WiiFitプレイヤーの分母の多さを考えると、ニッチではあってもある程度の需要はあると思うのだがいかがだろうか。
本当は、コナミスポーツクラブとでも提携して、スポーツクラブでやったことが家庭のWiiFitにも反映されれば、コナミスポーツクラブはあちこちの大都市にあるし一番いいのだけどね。
閉店しているところもあるから、そんな余力はないかもな。